誰の時間も止まっていなくて
友人の結婚
「(私たち夫婦と)友達夫婦で遊んできました!」
Instagramを開くと、そんな投稿が目に入った。
6年前、カナダはバンクーバーで1年間苦楽を共にした友人のものだった。
なんだかとても衝撃的だった。
結婚していたことは知っていたし(その時も衝撃を受けたのだが)、その友人に限らず周囲で婚姻関係を結ぶに至った人達を見かけることも増えた(これもまた大いに衝撃を受けるのだが)。
それでも、普段以上に衝撃を受けてしまった。
「そうか、もうあいつは6年前のあいつじゃないし、俺にもあいつにも6年分の時間平等に流れてるんだよな。」
そう思わざるを得なかった。
普段はそこまで敏感に受け取るような出来事ではないのかもしれないけれど、今日はもう一つ感情を揺さぶる出来事があったのが大きい。
後輩のライブ
所属していたサークルのライブを配信で見た。
1年の中でもかなり盛り上がるライブということもあり、非常に楽しそうだった。
(当然彼らは大学から通達されているガイドラインに則ってイベントを開催していた。早く何も制限がなくイベントができる日が来るとよいね。楽しさ的にも精神的にも)
自分や同期がサークルを卒業して数ヶ月。
今の4学年が織り成す雰囲気は、当時自分がいた時とは変わっていた部分も変わっていない部分もどちらもあるように感じた。
大学生活でできた初めての後輩はいつの間にか最高学年になっているし、全く顔を見た事もない新入生も大勢いた。
自分たちの1個上2個上が卒業した時も同じことを思っていたのかもしれないが、「ああ、もう俺がいた頃のサークルとは別物になっているんだ」と強く感じた。
当時は気が付かなかったけれど、一度組織の外から眺めるとここまで違いを実感するものかと驚く。
けれどその感情は決してマイナスなニュアンスを含んでいなくて(全く寂しくないと言ったら嘘にはなるが)、「それでも、"自分がそこに所属していたいと思えたいい部分"に惹かれてくれた(きっと)子達がこんなにいるのは嬉しいな」という安堵に近しいものだった。
では自分は
では「自分の時間だけ止まっているか?」と問われたとしたら、その答えはノーと言う他ない。
自分が他人を見て時の流れを感じているように、他人が自分見て時の流れを感じることもまた少なからずあるはずだ。
授業、サークル、バイト
それらが中心だった生活が一変してからはや4ヶ月。
最初は「週5で働くなんて絶対無理」と思っていたのに、いつの間にか週5日8時間の労働が生活の中心となっていた。
日々生きていく上ではそれを「変化」と捉える暇もなくただガムシャラに目の前のことをやるしかない。
ただ、ふとした瞬間にそれが「変化」であると実感し、
「ああ、誰の時間も止まってるいることなんてないんだな」と感じるのだろう。
数年後と今の生活を見比べたら当然その時も変化を感じるに違いない。