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交野地図探検(その2)私部南
前回の私市1丁目につづきまして第2弾。私部南の地図探検をしてみました。
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JR河内磐船駅前のエリアから第二京阪までのこの白抜きのエリア。市街化調整区域です。
水色の点線で囲まれている「私部南地区」は「地区計画」というエリアになっていて、住宅などを建てても良いというルールを交野市が策定しています。
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googlemapで見ると農地が広く残っているのが分かります。
このあたりは生活圏内で近くのスーパーやいきいきランドにも行ったりするのですが、まさかまちなかのこんなエリアが市街化調整区域になってるなんて思ってもみませんでした。
そういえば車で近くを通りながら、新しい家がどんどん建っていく様子をみて、「まだ開発するようなエリアがあったのか。どんなエリアなんやろ?」と気にはなっていました。
とりあえず朝の通勤時に自転車でふらっと寄ってみることに。
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農地が残る部分と京阪電車。
線路の向こう側は天野ヶ原エリアで住宅が並んでいます。
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宅地用に土地が整理されたエリアが都市計画地図の地区計画のエリアよりも広がっていました。おかしいなと思い帰ってから交野市のHPを確認してみると、地区計画のエリアが新しく令和2年に策定されていました。「私部南第2地区」というエリアです。最近工事が進んでいたエリアはここですね。
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遠くに見えるのが交野第一中学校。
令和7年に(仮称)交野みらい学園として小中一貫校になる予定となっています。中学校は今の交野小学校の土地に移ります。この中学校はどうなるんだろうか。
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第二京阪まで農地が広がっています。
「交野市はのどかな田舎」ということを耳にすることがあるのですが、こういった風景からきているんじゃないかなと思います。特に地元の方で学校の帰り道に広がる風景がこれだったら、そう思うよなーと思います。
ここで、ちょっとおもしろいHPを見つけたのでご紹介します。
「今昔マップon the web」というサイトです。
最近、交野市のことを調べ出して古地図を見るのが楽しくなっている中で見つけたサイトです。
なんとここでは、現代の地図と古地図のおおよその位置を同時に表示してくれるんです!これはすごい。。
その地域の変遷が一目で分かるというのはすごいことです。昔このあたりは一帯が田んぼだったんだなとか、このあたりは古くからある集落なんだなとかが分かってきます。
また僕の専門分野である建築の場合だと、住宅地になる前のかつての土地が農地だったりすると、地盤が弱いエリアだなというのがパッとみて分かったりします。
せっかくなので、今回探検した私部南のエリアをみてみようと思います。
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昭和22年の古地図と現在の地図の比較
幹線道路や第二京阪もなく、各集落のまわりにずっと農地がひろがっています。第二京阪とJR片野線はもうありますね。
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昭和45年の古地図と現在の地図の比較
集落のまわりに住宅が増えてきました。
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昭和53年の古地図と現在の地図の比較
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昭和60年の古地図と現在の地図の比較
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平成7年の古地図と現在の地図の比較
並べてみるとまちの変遷がよく分かります。
昭和22年の地図では私部や私市、星田村など各地の集落が点在しているだけでしたが、そこから徐々に集落を中心に住宅地が増えていく様子が分かります。
平成7年の地図だと、ほぼ今の地図に近いですね。(そこからさらに30年近くかけて少しずつ開発されています)
日常的に生活していると、「あそこの家が新しく建った」とか「あそこの家が解体されてた」とか小さな変化は目につきますが、地図と都市計画の視点でとらえると、どのあたりが変わらずに残されていて、どのあたりが開発が進んでいくのかなどが見えてきておもしろいです。
交野市としてこれからどういうまちをつくっていくのかは興味があるので、都市計画のマスタープランなどもこれから読んでいってみたいと思います。
歴史についても今後調べて、今回の私部南地区や前回の私市地区がどういった経緯で自然を残すエリアとなっているのかが分かってくればおもしろくなりそうです。
次回はどこにいこうかな。
それではまた。