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おさがり

 ぼくは古いものが好きだ。常に新しいものをシャワーのように浴びないと気が済まない人も中にはいるけれど、ぼくはそれと逆にである。そして、お下がり・中古という言葉も負けず劣らず好きである。
 

 ぼくは、(最近こそクレジットカードのポイントを使うために)少しは新しいものを買うようになったが、ちょっと前まではお下がりとか古着とか身につけるもの全てにおいてそんな感じだった。ぼくは人が着たものを着ることにあんまり抵抗はない。自分がそんなにも古いものとかに興味を持つようになったのは、祖父のおかげかもしれない。

 祖父は、孫が喜ぶだろうとディスカウントで投げ売りされてる中古のゲームボーイのカセットだとかぼくに買って与えていた。ぼくの好きなゲームだとかそんなものはお構いなしにだ。多分安いから買ってきたのだろうと思うが、そんなにも中古を買ってくる祖父を見て不思議に思っていた。小学生になると、自分の好きなゲーム(ぼくの場合はアクションだった)が決まってくる。だけど当時新品だと1万円近くするゲームを容易く買うことは中々出来ない。そこで中古ゲーム屋さんに入り浸る日々が始まった。何も買うあてはなくても安く売られてるソフトたちを見て目を輝かせていたのだ。そんな邪な経緯だが、段々とぼくは中古の魅力に取り憑かれていった。当初は安いからという理由で食い入るように陳列されたものを見ていた。
 
 大学になるとゲームだった興味が、次第にファッションへと移っていった。ぼくは、安い量販店のもを親に買ってもらっていたから、同じ要領で服を買う。しかし、その手の服は決まってダサいのだ。ぼくはそんな感じになるのが嫌で堪らなかった。そこで、友人に相談をして連れてってもらったのが原宿のChicagoという古着屋だった。そこで、気付かされたのが安いだけではなくて、何か奥深いことを感じた。「人は新しいものに飛びつくけど、ちょっと使っただけで価値はがくりと落ちてしまう」ということにだ。ただ、それはあくまで日本に限った話で海外の方では古着だとかは(当然ものにもよるが)中々価値が下がらないのだ。

 しかも、古着はほぼ一点物ばかりで周りの人たちとかぶることはないし少なくても量販店のダサいやつを着なくて済む、そしてなんといってもも安い。そこだけ取ると日本に生まれてすごく良かったとぼくは思った。

 そういう感じで、今まで過ごしてきているが、安い以外にも自分の中に感じることがある。それは歴史だ。ものにはそれぞれ歴史を持っている。安い古着であっても、クラシックカーであっても、いいなと思った誰かがそれを着たり乗ったり使ったりして、そして持ち主の手を離れ、また新たな持ち主の手に渡る…そんな循環の道だ。そういうところにもぼくは魅力を感じている。その扉の1ページを自分も担っているのかと考えると妙に感慨深いものがある。



 新たな持ち主になるべく、今日も古着を見ている…ぼくはやはり古いものが好きだ。

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