大内岳 × 福永健人「ぶどう」Music Video対談⑦ 〜絶望する準備ができている〜
【芸術のジャンプ力】
福永 : 絶妙だよね。そういう思い切りというか、ジャンプ力みたいなのって...さっき自分のことを「怠け者」って言ってたけど、怠け癖ってジャンプ力だよな、と思うんだよね。
大内 : あーでも確かに、怠け方というか、怠けるための道具というか。
福永 : 芸術的な跳躍というか、意味を越える時って、ある程度不真面目じゃないすか。明確に全て定義付けしていくと、ジャンプはしないんだよね。
大内 : そうっすねえ。
福永 : ずーっと紐づいて、紐づいて、で、理路整然としちゃう。どこかで清水の舞台から飛び降りる、みたいな思い切った不真面目さが必要というか。
例えば、言語の社会的な「意味を伝える使い方」だけでは意味と意味が結びつくだけで、説明文になってしまうわけで。詩にはどうしたってならない。
大内 : それこそ文学という分野にいた人は、みんな、不真面目になるために努力を惜しまなかった人たちというか。文豪や、特に詩人なんかは、いかに自分を怠けさせるかに人生を注いだ人たちだと思っていて。
福永 : ...真面目に生きちゃダメなんだよね。ダメってことはないけど。
大内 : もうそんな時代じゃないなんて言いつつも、やっぱり文豪みたいな人って今でも居るわけだから。そういう人たちって、こう、自分を素面に持っていかないように生きてる。
福永 : はいはいはい。
大内 : それは誰かにそうしろって言われたわけじゃなくて多分そういう本能がそうさせて...。
俺が気に入っている言葉があって、ネトフリとかのドキュメンタリーで見た言葉だったかもしれないんだけど...。
「絶望する準備ができている」っていう言葉。
福永 : おおお。
大内 : 幸せになることを求めるんじゃなくて、どう絶望するか、っていうほうを選ぶ、っていうのが、真に生き甲斐というものに近いんじゃないか、っていう。幸せは実はなんでも良い。生きている感じがするっていう意味でいえば、絶望の方が強いかもしれない。
福永 : ほおおお。
大内 : 自分の作品も、本当の意味では愛や平和には向かっていなくて。
福永 : わかります。
大内 : なんなら自分一人の得にも、お金にも向かっていない。これはただの徒労かもしれない。ラグビーボールが自分の顔面に飛んでくるかもしれない。
福永 : 何の役にも立たない可能性、あるよね。
大内 : 何なら人を悲しませるかもなって。でも表現のジャンプってそういうものだよな、と。
福永 : そのリスクを背負う覚悟ができているか。
大内 : そうそう。大損こく、自分だけが損をする、それをううむと噛み締めることができるか。
福永 : うん。
大内 : 抽象的なものってやっぱりそういうものだと思う。幸せを手にするためにはやっぱり具体を考えた方が早い。この人がいるから幸せだ、とか、ここに属しているから気分が良い、とか。今日は何々を食べに行くから楽しい、とか。
福永 : 短絡的に言えばそうなるし、何ならそんな抽象的なことを考えない方が気が楽だろうとも思いつつ。
大内 : でも食べたらなくなるし。
福永 : フンになるだけだからね。
大内 : 美味しいものはなくなるし、それを失う機会が増えるとも言える。なんか幸せの話みたいになっちゃったけど笑
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対談はこれでおわりです。全7回に渡る記事を読んでいただきありがとうございました。
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福永健人 - ぶどう(official music video) dir.大内岳
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