
○○な人
昨日は櫻田サロンのオフ会に行ってきました。
内容は2018年を振り返ったり、2019年の計画をしていく内省。
櫻田サロンのイベントに参加するのは2回目だったのですが、所属している箕輪編集室とは違った面々でとても刺激的です。
どちらもTwitterで発信してる人が多いので、アカウントから知るタイプの人は多いのですが、櫻田サロンは100人という狭い括りなので、あ、知ってる!って人も選りすぐりです。
懇親会(昨日は忘念会と言ってました。笑)でいろんなやりとりを見てると、
「図解コンサルの人ですよね!」
「本の内容を図解してる人ですよね!」
「グラレコの人ですよね!」
と、言わば肩書きのような「○○の人」と言われているのをよく見かけました。
そもそも櫻田サロンの櫻田さんはインフォグラフィックの人。
人に出会った時「○○の人」という情報ひとつ覚えるだけで、その人との距離がグッと縮まる。
会話の切り口になったり、極めた人はそれが仕事になる。
さて、僕の場合はどうだろう。
何かを極めて「○○の人」と呼ばれた経験が全然思いつかない。
所属や肩書きで呼ばれることはあるが、何かを極めたことで出来た代名詞が思いつかない。
そもそも人間は2パターンに分けられると思っている。
スペシャリストとジェネラリスト。
スペシャリストは、何かを極めてプロになった人。
ジェネラリストは、あらゆることに精通した人。
「○○の人」は前者。
そして、僕は圧倒的に後者のタイプだ。
活躍する人見てみると、
堀江貴文は後者、落合陽一はどちらにも当てはまる、前田裕二や箕輪厚介、明石ガクトは前者。
堀江貴文はそもそもプログラマーからキャリアを始めているので元々は前者。
つまり、一線で活躍することを目指すならばスペシャリストになるしかない。
考えてみれば当たり前の話だ。
デザインを極めた人にデザインの依頼が来るし、
システムを作り続けた人にシステム開発の依頼が来る。
(そういえば僕もロゴ依頼を受けたり、HTMLのコーディング依頼を受けたことがある。)
ただ、ここでひとつ思う。
「○○な人」とスペシャリストの違う点について。
これは時代のニーズにあるだろう。
スペシャリストはいわゆるスキル。そのスキルを活かし、時代に沿う、人々のニーズにフォーカスし直した人が「○○な人」になる。
田端信太郎の「ブランド人」という言葉をそのまま置き換えてもいい。
まずはひとつのことを極めて、時代のニーズにフォーカスを当て直して、認知されるようになる。
SNSが発達した時代、それがそう難しいことじゃないってことはわかってる。
だからこそ、手を動かして実践し続けなければならない。
2019年が終わる頃にこれらが実践できていることを祈って。