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ゴッホの生きた跡を追う
ポジティブな感情を抱くとは限らない。
けれど、それはきっと自分にとって大切なものになるに違いない。
Bonjour!
ワーキングホリデーで今年の6月からフランスに来ています。
今は南仏プロヴァンスの町「サン=レミ=ド=プロヴァンス」(サンレミ)にある日本食レストランで働きながら、フリーランスのWebデザイナーとしても活動しています。
僕がここに滞在するのはあと1ヶ月となりました。
手続きの書類を申請したことで、レストランの退職日と借りてるアパートの転居日が正式に決まりました。
1月からはパリを拠点にする予定です。
クリスマスムード真っ只中のフランスですが、個人的には少し寂しさも感じ始めた今日この頃です。
さて、フランスといえばアート。
実際、フランスで活動していた画家は数多く、日本にも強い影響をもたらしました。
パリで生まれた印象派は、大きなムーブメントとなり、現代に続く一つの時代を築いています。
僕が生活している南仏プロヴァンスという地域は、地中海性気候で過ごしやすい気候帯です。
その風光明媚な景色を求めてこれまで多くの画家が拠点としてきました。
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(出典:Actualitix)
特に印象派以降の画家たちは、屋外で描く機会も多かったことから、この地域を好んでいました。
有名な画家だと、セザンヌ、ルノワール、ピカソ、マティス、そしてゴッホなどです。
ゴッホは、私が今住んでいるサンレミでも暮らしており、多くの作品を残しています。
プロヴァンスに来てから、ふとゴッホについて学びたいという衝動に駆られました。
いろいろと情報を漁り、生い立ちを理解しつつ、実際に何度かに渡ってゴッホゆかりの場所を訪れてみました。
ゴッホとプロヴァンス
フィンセント・ファン・ゴッホは、1853年生まれのオランダ人画家です。
オランダで生まれ育ち、その後は画商や聖職者としてヨーロッパ各地を転々としていました。
フランスを拠点としたのはゴッホが33歳の頃です。
37年という短い人生の中でわずか4年半ほどしかフランスにいませんでした。
しかし、現在評価されているゴッホの作品のほぼすべてが、この晩年のフランス生活の中で制作されたものです。
特にアルルとサンレミという南仏プロヴァンスの2都市で生活した2年間に生み出された作品が高く評価されています。
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(出典:routard.com)
1888年、パリで弟テオとの生活に限界を感じた34歳のゴッホは、印象派がもたらした絵画の「明るさ」を求めて南仏へ向かいました。
日本に憧れていたゴッホは、アルルに着くなり「ここは日本のように美しい」と感じたそうです。
ホテルでの生活を経て、「黄色い家」と呼ばれるアパートに住み始めました。
ゴッホはこの場所を、画家たちが集う理想郷にしたかったそうです。
精神疾患を抱えており、人間関係のトラブルが絶えなかったこともあり、理想郷の計画も結局は道半ばで終わります。
それは、ゴーギャンとの共同生活、そして耳切り事件に象徴されています。
正義感が強く、敬虔なキリスト教徒でもあったものの、その信念の強さが他者を遠ざけてしまった面もあります。
しかし、弟テオは生涯唯一の味方であり、晩年までゴッホを支え続けました。
それゆえゴッホは作品を量産することができ、死後にその作品が評価されることとなったのです。
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アルルを歩く
アルルは古代ローマ時代から2000年以上の歴史を持つ町です。
世界遺産に登録されている円形闘技場は、1世紀末頃に建造され、現在でも闘牛イベントに使用されています。
旧市街は細い路地が入り組み、迷路のように複雑です。
僕は一度、この旧市街を車で運転したことがありますが、難易度が高く、二度と運転したくないと思いました。
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駅から歩いてすぐの場所に、ゴッホの黄色い家の跡地があります。
建物は第二次世界大戦の戦禍に巻き込まれて、すでに解体されています。
すぐ近くにレリーフが設置されており、当時の場所を確認することができます。
ゴッホはここで理想郷をつくるため、「ひまわり」をはじめとする多くの絵を制作しました。
パリから同じ画家のポール・ゴーギャンを招いて共同生活を始めるものの、お互いの方向性や性格の違いから2ヶ月も経たないうちに破綻。
ゴッホはストレスから自分の耳を切ってしまいました。ここはそんな悲劇の場所でもあります。
ちなみに、南仏プロヴァンスで家を借りて住んでいたのは、ここが唯一でした。
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その近くにはローヌ川が流れています。この川はスイスのレマン湖付近からフレンチアルプスやリヨンを通ってここに至ります。
この川沿いでゴッホは『ローヌ川の星月夜』を描きました。広い河川敷と夜の光景はとても印象的です。
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円形闘技場や古代劇場を横目に旧市街の奥へ進むと、フォルム広場にたどり着きます。
夏にはオープンカフェでビールを楽しむ人々で賑わうこの広場は、ゴッホの「夜のカフェテラス」の場所です。
今でも実在するそのカフェは、ゴッホの作品同様黄色く塗られており、ゴッホが描いた絵のアングルで立つことができます。
初めてこの場所を訪れたときの感動は、今でも鮮明に覚えています。あの有名な作品はここで描かれたのか、、、
ちなみに、モデルとなった「カフェ・ヴァン・ゴッホ」には黒い噂があり、現在は休業中です。
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この広場の近くには「エスパス・ヴァン・ゴッホ」という施設があります。
ここはゴッホが耳切り事件の後に入院させられた市立病院の跡地です。
ゴッホはここで鉄格子付きの部屋に監禁されながらも、数多くの絵を描きました。
『アルルの病院の中庭』で描かれた中庭の風景は、今でもそのまま残されています。
耳切り事件の後、アルルの街中にゴッホの悪評が広まり、市民はゴッホを街から追い出そうとします。
その評判に心を痛めたゴッホは仕方なくアルルを離れることになりました。
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本人は気に入っていたアルルの街も、住民からは腫れ物として扱われ、悲しい別れを告げることになります。
理想郷を目指したアルルの黄色い家を後にし、医師に紹介されたサンレミの修道院へひとり馬車で向かうことになりました。
ちなみに、黄色い家はアルルの一等地に位置していたため、家賃を払う弟テオには相当な負担があったと言われています。
アルルにあるもう一つのゴッホゆかりの場所が「跳ね橋」です。
ラングロワ橋とも呼ばれるこの橋は、旧市街から30分ほど歩いた郊外にあり、現在は観光用に整備されています。
一度解体された後に再建されたため、ゴッホが生きていた時代とは場所が異なり、当時の風景とは背景の風景が異なります。
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サンレミの修道院
サン=レミ=ド=プロヴァンス(サンレミ)は、人口1万人ほどの小さな町です。
プロヴァンスの丘の中にある富裕層が暮らす町で、大予言でおなじみのノストラダムスが生まれ育ったと言われています。
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そのサンレミの市街地から20分弱歩いた場所に、アルルを去ったゴッホが新たに拠点としたサン=ポール=ド=モーゾール修道院があります。
ここは修道院ですが、かつては精神病院としての役目もあったそうです。
ゴッホが入院する頃にはすでに歴史的建造物としての価値がありました。
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ゴッホはこの時点で、幻聴と幻覚、てんかん発作、認知症の発作などを発症していたと言われています。
そのため弟テオの協力により、修道院の2階の一室を寝室とする他、アトリエと保管庫のためにもう2部屋を使用することになりました。
ここでゴッホは、最高傑作と言われる『星月夜』を始めとして、自画像の中でも特に有名な一枚や『花咲くアーモンドの木の枝』などを描きました。
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修道院は、静かで美しく、プロヴァンスの良さが詰まっています。
アルルで滅入ってたゴッホが創作活動に専念できたのは、この風光明媚で落ち着いた環境だったからかもしれません。
『星月夜』は、ゴッホの幻覚を見たままに描いた、との解釈もあります。
生きるのにしんどくなったゴッホが夜な夜なひとりで創り上げた作品には、考えさせられる点がたくさんあります。
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ゴッホの足跡を追って
これらの場所を巡り、ゴッホの生涯について考えてみました。
ゴッホは精神的な疾患や対人関係の問題を抱えていましたが、それが結果として彼を画家として偉大な存在に押し上げたとも言えます。
生前はほとんど絵が売れず貧しい生活をしていたものの、その作品は現在も人々に感動を与え続けています。
ゴッホの悩み苦しんだ形跡には、同じく生き方を悩む僕自身と重なる部分もあります。
それでも、ゴッホのような社会性のない人でも社会に影響を与えられたのだから、もう少し肩の力を抜いて生きてもいいのかもしれません。
アルルもサンレミも本当に美しい街です。
ゴッホ云々に関わらず、この自然豊かで歴史ある素敵な環境にいられることには感謝の気持ちがあります。
ただ、それに加えて、僕はゴッホがいろんな葛藤を抱えて暮らしていたこのような場所の近くで生活することで、生まれた感情や考えさせられる体験があります。
そのことにも改めて感謝の気持ちがあります。
ここで暮らす人たちがいろんな考えの上で生活し、そこで生まれた歴史や芸術。
その跡をひとつひとつ追うことで、違った観点で街を見れるかと思います。
もしフランスに旅する機会があれば、南仏プロヴァンスのアルル、そしてサンレミまで行き、ゴッホの足跡をたどってみてはいかがでしょうか?
きっとここでしか感じられない感覚に気づけるかもしれません。
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ゴッホを知り、ゴッホの足跡を追う。
それは必ずしもポジティブなものではないかもしれません。
もしかしたら苦しいことになるかもしれません。
しかし、これらはきっと全ての人にとって大切なものになると思います。
だからこそ、知ることに意味があると思うし、それこそが芸術や歴史の意義かもしれません。
クリスマスムード一色のフランスの年の瀬は、華やかな反面、凍てつく寒さがあります。
これからもこの田舎町での生活は続きます。
↓ワーホリのきっかけなどはこちらに書いてます。