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フランスの田舎町にあるレストランで働き始めた【フランスワーホリ】

大変。めちゃくちゃ大変。

でも、こんな経験絶対に日本じゃできないから、それだけで成功だと思ってる。



Bonjour!

6月からワーキングホリデーでフランスに来ています。もうすぐ3ヶ月が経とうとしています。

7月から8月の2ヶ月間、リヨンにある語学学校に通ってフランス語を学んでいました。
そして、9月からは場所を変え、南仏プロヴァンスの田舎町にある日本食レストランで働き始めました。

やっと最初の一週間が終了。くたくたのヘロヘロ。
大きく環境が変わり、気持ちの変化も大きくありました。



1年間と期間が限られたワーキングホリデー。何をするかは自由です。

大使館のHPには「フランスと日本の若者の国際交流を促し、互いの親交および理解を深めること」と書かれています。(こちら
しかし、特定の何かを指しているわけではありません。

ワーキング(仕事)もできるし、ホリデー(バカンス)もできる。勉強もできる。
何をやろうがその人次第。これがワーホリの醍醐味です。

僕自身は、フランスで特にやりたいことはありませんでした。
ただ、来たかったから来た

勉強したいしお金を稼ぎたいし、遊びたい。そんなプランは頭の中で思い浮かべていたものの、具体的なことはほぼ決めずに来ました。

パリでの宿、リヨンの語学学校を1ヶ月だけ申し込んでいた状態で来仏。

そこから、パリでの延泊、語学学校の延長、そしてこのレストランでの仕事などがあり、今に至ります。
ノープランで動いていたため、怖さと楽しさの両方を抱えた期間だったと思います。



8月末でリヨンを離れ、南仏プロヴァンスの「サン=レミ=ド=プロヴァンス」(Saint-Rémy-de-Provence、通称サンレミ)という町にやってきました。
人口1万人に満たない小さな町です。

大予言でおなじみの「ノストラダムス」の出身地で、画家のゴッホが『星月夜』を描いた修道院が位置しています。
近隣にはアヴィニョンやアルルといった有名な観光地があります。
小さい町ではあるものの、南仏の遺産めぐりをする人やゴッホのファンにとっては比較的ポピュラーな場所です。

僕は、日本食レストランで働くために、この町にやってきました。もちろん来るのは今回が初めてです。

本当にこの小さな町に住めるのか?

都会育ちの僕にとって、そんな疑問は常に抱いています。

ゴッホ「星月夜」の案内看板



リヨンにいた頃、日本人向けのフランスの掲示板で求人を探し、今の仕事を見つけました。
南仏エリアはパリに比べると求人は少なく、探すのにとても苦労しました。

求人はほとんどが飲食業。手当たり次第に連絡したところ、一本のメールを受け取りました。

その人は、いくつかの飲食店を経営している日本人。
ワーホリやビザを持っている日本人から現地のフランス人まで幅広く採用しているとのこと。

その後、電話での面接の末、正式に採用が決定
人員の都合で、場所はサンレミの店舗となりました。
期間は僕の希望もあり、年末までの4ヶ月。短い期間でも採用してもらえて感謝です。

住居は、会社や店舗としては持っていないため、オーナーがちょうど探してくれるとのことでした。
何から何までやってもらい、至れり尽くせりでした。



8月末、この町に来てすぐにオーナーが探してくれた新しい家に引っ越しました。
ここは町の中心部から2kmほど離れた何もない場所。隣に大家さんが住んでいる長屋のような2階建ての家です。
家具家電は概ね揃っており、布団はオーナーの家で余っていたものを譲り受けました。

スーパーまで徒歩20分、これから働く店舗までは30分。
この遠さが気になったものの、家の周囲は木・草・森の自然豊かな場所です。

しかしながら、洗濯機なし、虫たくさん。
家賃は600ユーロ(9万5000円)と決して安くありません。

なんでこんな場所で、、、という気持ちになって寂しくなりました。
夜一人で過ごす時の寂しさも相まって、一瞬ここに来たことを後悔しました。

しかし、翌日になるとすぐに気持ちは切り替えられました。
4ヶ月という短期だけだし、せっかくワーホリに来たんだし。
こういった不便な環境も楽しもうじゃないか

気づいたらポジティブな気持ちになっていました。



勤務は翌週からだったため、引っ越した日から一週間はポッカリ時間が空いてしまいました。

フリーランスの仕事や読書、町巡りなどに時間を使うのも良いなと思いました。
けど、せっかく8月終わりの気候の良い時期ということもあったので、地中海沿岸へひとり旅に行くことにしました。

バカンス真っ最中のニースでは、念願かなって地中海を泳ぐことができました。(目標達成
水は少し寒かったものの、ギラギラ照りつける残暑の夏は開放的でした。
あぁ最高。

日が沈む様子を見ながら、ビーチでのんびり。そんな心地よい時間も過ごせました。

また、ニースから日帰りでモナコに行ったり、帰りにマルセイユに寄れたり、行きたかった場所にも行けてとても満足です。
突然の休みでも即行動できる自分に嬉しくなりました
やはり自分のいちばんの長所はフットワークの軽さかもしれません。

ニースから臨む美しい地中海



そして9月に入り、飲食店での仕事が始まりました。
勤務は、火曜日から土曜日の週5日固定シフトで、時間は店舗の営業時間+準備・片付けを含めたものです。
まかない料理が昼・夜と一日2回含まれているため、あまりお金を使わない生活になりそうです。

朝、30分歩いてお店まで行きました。
まず、オーナーやこれから一緒に働く店舗スタッフと挨拶しました。

スタッフは全員年上の日本人で、僕は最年少でした。
みんなフランスには何年も住んでおり、精通している安心感があります。

基本は僕を含めた3人のスタッフで回すことになります。
ホール専門の方、キッチン専門の方、そして僕。

僕のポジションはキッチン優先で、ホールも掛け持つ役割。他2名の補助もしつつ、マルチな遊撃部隊として働きます。
とはいえ、小さな店なので、役割に固執せず、みんなで協力することが求められます。

緊張の中、まずはキッチンをメインに働き始めました。

キッチンは学生時代の和食料理店でのアルバイト以来。
僕は普段全く自炊をしないため、調理自体がかなり久しぶりでした。
レシピはあるものの、基本は美味しく作ることを重視。そのような方針で仕事をしていきます。

最初のお客さんがやってきて、早速言われるがままに自分のつくった料理を提供しました。
どうかな、美味しいかな?
これだけで一苦労です。

その後も調理内容から仕込みの方法、掃除の仕方までいろんなことを教わります。
空いた時間にはメニューを覚えたり、洗い物をしつつ、食器や食材の場所を把握。

どんどん頭の中に詰め込みます。同時に手も動かします。

その日は頭の限界値を超えるくらいにいろんなことを教わりました。
夜帰ったらクタクタになってすぐに寝てしまったくらいです。



キッチンスタッフは覚えることが多く、大変な仕事です。
それに対して、ホールスタッフは人に合わせた接客という別の難しさがあります。

ホールは日本を出る直前にしていた箱根のホテル内のレストランでのアルバイト以来。
ただ、ここはフランス。お客さんの大半はフランス人です。
当然、接客はフランス語です。英語ではありません。

2ヶ月間フランス語を勉強していた、ということが即戦力と捉えられたのか?
最初はキッチンから、という話だったのに、2日目からはホールも担当することになりました。

急遽忙しいタイミングが来て、ホールの方が手一杯になってしまいました。

「ケントくん、この醤油ラーメンを◯番卓に提供してきて!」

!!!!(驚)

熱々の醤油ラーメンを持って、恐る恐るお客さんの元に向かいます。
テーブルに置き、笑顔で「ボナペティ!」と一言。

お客さんは「メルシー!」と言って受け取ってくれました。
良かった。。。

汗びっしょり。
突然のホールの機会は難なく終えました。
わずか1分足らずでただ提供するだけなのに、とても長い時間のように思えました。

この日からは、ホールスタッフの補助として、お客さんに料理やお酒を提供する役目もすることになりました。
不思議なもので、一回やってしまうと2回目からは抵抗なくできるようになります。

ただ、もっと自分なりの方法を考えてみることにしました。

C'est un shoyu ramen. / セ アン ショユラメン
(これは醤油ラーメンです)

Voila. / ヴォアラ
(どうぞ)

Bon appétit! / ボナペティ!
(めしあがれ)

まだ咄嗟にフランス語を話すのが難しく、どうも詰まってしまいます。
英語であればすぐに話せるものの、フランス語は難しい。

しかし、理解してくれて喜ぶお客さんを見れるのはとても良いものです。

また、本家本元の「Bon appétit」を使えるのも嬉しく、「フランスに来ている」という実感を感じられます。



キッチンスタッフはやることがたくさんあります。
分量を守って美味しく調理しなくてはなりません。
事前にちょうど良い量の仕込みを作らなくてはなりません。

特に営業中の忙しい時間は、全員が手一杯になってしまうため、効率的に考えながら調理を進めなければなりません。
そんな時にどう動くか。飲食店ならではのこの感覚を久しぶりに思い出しました。

僕はドジなところがあるし、心配性でもあります。
迷惑かけてないかな、と毎回不安でネガティブになってしまいます。

早く慣れてネガティブをなくしたい
忙しい状況でもスムーズに乗り切りたいです。

ホールスタッフはまだ言葉の壁を感じてしまいます。
追加でデザートやコーヒーを尋ねたいのに、うまく聞けなかったり。
そもそもボナペティすらも咄嗟に出てこなかったり。

また、お店は小さいとはいえ、スタッフが少ないため、新たに電話の受け取りも担当することになりました。
これは接客以上に難しく、いつも頭にはてなマークを浮かべてしまいます。

ただ、これも一回やってしまうと2回目からは抵抗感がなくなります。

すべては経験で上達するもの
もっと積極性を持って、時には辛抱して、挑み続けていきたいです。



最初の一週間が終わり、体力的、精神的にくたくたになってしまいました。
あっという間ではあったものの、いろんなことがあった一週間でした。

良いことはたくさんありました。
自分の調理したものを食べてくれたし、お客さんの笑顔を見れたし。
仕事に貢献できている、という感覚がとても嬉しいものです。

でも、同時に自分の未熟さもたくさん認識しました。
ミスはするし、覚えられないし。
30歳にもなってこんな体たらく。。悲しい。。

でもみんなに助けてもらいました。
スタッフは全員優しく、このお店のお客さんも優しい人ばかりです。
そんな環境で働けていることに感謝しながら、これからもっと貢献していきたいです。



1年前どころか、フランスに来た当初すらも全く想定していなかった今のこの状況。

ITに精通してるのに、フリーランスでWebデザインの仕事もしてるのに、英語話せるのに、、、
なんでフランスの田舎町の飲食店で働いてるの?

自分でもなんでなんだろう、って思ってしまいます。
特に理由はないし、でも風に吹かれて生きてみたらこうなっただけです。

僕のワーホリでのテーマは「偶発的なものに喜びを覚える」こと。

偶然雇ってもらったお店で、偶然住むことになった場所で、偶然やることになった仕事を、偶然一緒に働くことになった人たちと。
そんな偶然だらけの中だからこそ得られる経験や見つけられる気持ちがあるし、出会える人がいます

僕はそこに面白さを感じてるし、それが喜びになっています。

町中にあるちょっとした広場



僕は今、フランスで生きている。
リヨンの語学学校にいた時以上に、この感覚を覚えています。

気持ちに従い、風に吹かれ。
大変なことも多いし、心が折れそうなことも何度もあります。
僕はメンタルが弱いので、つらいときには底の底まで落ち込みます。

でも、その中で気持ちを立て直し、また新たな決断をする。
それを繰り返していくと、自分らしさを積み上がっていくと思います。

人間性を大事にする自由の国・フランス。
ここに来たことは僕にとってラッキーであり、必然だったのかも。

日本ではできない経験をもっともっと重ねて、成長した姿で日本に帰りたい
それが自分にとっての成功だと思っています。

これからもこの田舎町での生活は続きます。




↓ワーホリのきっかけなどはこちらに書いてます。

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