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渋谷ハロウィンを肯定的に捉えてみる

メディアでわーきゃー言われてもうこりごりな渋谷でのハロウィン騒ぎ(以下、渋谷ハロウィン)の話題。

こないだの週末も渋谷センター街はすごかったみたいだ。
来たる31日はどうなるんだか。
ちなみに天気は晴れらしい。

年々過激さが増している渋谷ハロウィン。
騒いでる主な層は20代の若者たち。
去年のトラック横転事件があってから、世論は特に激しく批判の声を浴びせている。

そんな僕と同世代の人たちが集う渋谷ハロウィンに対して、同世代という視点から賛成の意見を提示しつつも、客観的側面から分析してみたいと思う。

渋谷ハロウィンに対する声

渋谷ハロウィンのようにわかりやすい話題はいろんな意見が拾える。
今回もSNSやネット上でたくさんの世論を見ることができた。

そんな世論のうち、批判的なものを見るとざっとこんな感じ。

・ハロウィンは元々キリスト教の文化だ。日本の文化ではない。
・ハロウィンは子供が仮装するイベントであって、大人が仮装するイベントではない。
・仮装して正体を隠したようにして、悪事をはたらくのはいかがなものか。
・良い年した大人がなにをやっている。
・渋谷という街をぶち壊している。
・近隣住民に迷惑だ。
・渦中の飲食店や小売店はかえってお客が来なくなっている。
・単純に邪魔。
・日本人として恥ずかしい。

辛辣すぎて心が痛くなる…

また、批判の声だけでなく、実際に前述のトラック横転であったり、店頭のシャッターが破壊されたり、女性へのセクハラであったり、問題はたくさん出ている。

対して、僅かながら賛成の声もある。

・経済が潤っている。秋はイベントが少ないことからとても必要な需要だ。
・東京の新たな観光資源になる。

しかしながら、賛否両論というよりは批判の多い事象であると言える。

なぜ若者は街に出るのか

ここで話を遡って、なぜ若者が街に繰り出すのかを考えたい。

正直、ハロウィンがどうとか、渋谷という街がどうとかっていう議論は本質ではない気もするが、一旦なぜ渋谷ハロウィンが生まれたのかを考えてみたいと思う。

渋谷で若者が騒ぎ出すキッカケになったのは、2002年の日韓ワールドカップだと言われている。
自国開催もさることながら、初の決勝トーナメント進出(ベスト16)になったことで日本中がとても盛り上がった。
そして、勝利に酔いしれた人々がなんとなく、自然発生的に渋谷の街に繰り出した。
以降、サッカー日本代表の試合や年越しなど、イベント事が起きると渋谷でお祭り騒ぎが起きるようになった。
「DJポリス」なんかが生まれたのもこのあたりの時期だろう。

また、ハロウィンで仮装するという文化だが、一般的にキリスト教発祥と知られているが実際はケルト人が発祥であり違う。
しかしながら、国内外でキリスト教の文化として定着しているため、ここでもその考えで話を進める。
ご存知の通り、子供が「トリックオアトリート!」と言って大人からお菓子を貰う一連のイベントだ。詳しい内容はネットで調べて欲しい。
つまり、この文化自体が輸入されたものに過ぎない。

今や日本の経済を大きく動かすことになったバレンタインやクリスマスだってキリスト教の文化だ。輸入品だ。
だから、キリスト教云々といった批判は、バレンタインやクリスマスとセットの意見でなければ論外と言えよう。

戻って、なぜそのキリスト教文化のハロウィンが「仮装する」という部分だけ抽出されて世に定着したのか。
感覚的にはここ最近に起きた話だと思う。
理由はいくつかあると思うが、いちばん大きいのは東京ディズニーランドの存在じゃないかと考える。

ハロウィンの時期になると、東京ディズニーランドや東京ディズニーシーに仮装した人がたくさん訪れる。
ディズニーは非日常の空間だから、中では特に悪事を働かなく、裸でない限りどんな格好をしようが自由だ。

ディズニーで行われていた、ハロウィンの時期に仮装する、という文化が俗世界に流れ込んでしまったのが渋谷ハロウィンなのではないか、というのがボクの考えだ。

それら渋谷という街の特性やハロウィンという文化が組み合わさって、若者が街に繰り出し、渋谷ハロウィンの盛り上がりが生まれたんだと思う。

対策について

盛り上がりが度を超えてしまった渋谷ハロウィンの対策面について考える前に、
そもそも去年の渋谷ハロウィンで起きたトラック横転事件はなぜ起こってしまったのか、を振り返ってみたい。
とある証言によると、ハロウィン当日の夜、トラックがわざわざ人混みの渋谷センター街に入って若者を煽っていたという。

悪意よりは面白がって、という意図らしいが、カオスな空間に巻き込まれ、結果あのような事件が発生してしまった。
そうなると100%若者が悪い、とも言えなくなってしまう。
これをわかってて批判している人はおそらく少数だろう。

木を見て森を見ず、ではないが、ひとつのニュースを多面的に捉える必要があると強く感じる。

さて、渋谷区は今回の渋谷ハロウィンに先立ち、イベント事がある日に限り路上での飲酒を制限する法律を立案し、施行した。
今年は25日〜27日の金土日曜日、そして31日当日と翌11月1日の5日間だ。
少しでもの抑止策ではあると言えよう。

また、渋谷区は今回、年々被害が増加していく渋谷ハロウィンに対して警備費1億円を出すと言っている。

渋谷区は我が町が盛り上がるなら、と渋谷ハロウィンに賛成側の立場であったが、理解ある長谷部区長もそろそろ限界なのかもしれない。
また、この警備費1億円は渋谷区の税金から捻出されることから、渋谷区民からは批判の声が上がっている。
そもそも渋谷ハロウィンで騒いでる人達に渋谷区民はどれだけいるのかも指摘されている。

そんな状況の渋谷区であるが、他方、このハロウィンというお祭りごとを自治体と参加者が上手くやっている例も散見される。

たとえば川崎市。
カワサキハロウィン」と銘打った仮装パレードを主催し、毎年大盛り上がりを見せている。
これは、市と商店街組合と商業施設がタッグを組み、パレード参加も事前申請制としていることから、大きなトラブルなく、また近隣住民からも批判が出ることなくイベントが執り行われている。
週末日曜日に開催され、今年も大賑わいだったそうだ。

行政の取組み次第ではハロウィンを健全なお祭りごとにすることも可能だということが実証されている。
まぁそれを理由に一概に渋谷区を批判するのもまた違うとは思うが…

若者の立場から

ここまで実情をつらつら語ってきたが、ここからは僕の意見を述べたいと思う。

冒頭にもある通り、僕は賛成のスタンスだ。
渋谷ハロウィンには、論理的には語りづらいが、同世代ならではの悩みや苦しみからの解放といったものが現れていると思うからだ。

僕は今では渋谷ハロウィンに繰り出してないが、2・3年前は仮装はしなかったもののハロウィンの渋谷を闊歩していた。
とても楽しかった思い出だ。
(仮装してなかったため浮いてしまったが…)

各々がいつも出来ないような超個性的なファッションに身を包み、日常空間を非日常空間に変えていく。
そこにはとてもとても大きな快感がある。
そう、渋谷ハロウィンは若者たちの快楽の場になっているのである。

なぜ渋谷でハロウィンに仮装するのかという理由は前述の通りだが、世論を見ていると若者が置かれている状況についての意見がなかなか見られないように思える。

そもそも東京の若者は息苦しい世の中で生きているのだ。
親世代である40代~60代の人は、学生闘争を経験している人からバブル期で良い思いをしてきた人、高度経済成長で家計が潤っていた人など、自らの主張を通せたり、生活が豊かになっていく時期を過ごしてきた。

それに比べると、今は窮屈な時を過ごしているんじゃないかと思う。
あくまで僕の感じる範囲であるが、過去にあんなことやこんなことがあったと親や先生から伝えられながらも、自分が生きてきた世界は、阪神淡路や東日本の大規模災害、リーマンショックなどの世界的経済悪化、少子高齢化や地球温暖化もろもろの暗いニュースなど、全体的にどんよりとした空気が世間な漂っている感が強い。

たしかにオリンピックだの万博だの良いニュースもあるけど、どこか自分事になれない出来事でもある。

また、公園でボール遊びや花火ができなくなったり、「危なそうだから」、「批判が出るから」と理不尽な理由でなにかとルールを設けられ、やることなすこと制限されているのが現状だ。
学生闘争の時代に警察に向けて石とか投げてたような人達に、ルール守れなんて言われても説得力のカケラもない。

そういう一連の暗いニュースや締め付けのツケが渋谷ハロウィンに現れていると強く思う。
僕ら若者は奴隷じゃない。

ルールによって下の世代を締め付けてきたのに、その解放をルールによって束縛する。
これが良いとはとても思えない。

渋谷ハロウィンの今後

もう今年のハロウィンではあまり出来ないが、来年以降の渋谷ハロウィンに求められるものを考えてみる。
僕の意見は、クリーンなイメージ定着と渋谷の街への金銭的還元だ。

渋谷区は現在の長谷部区長体制が続く限り寛容な姿勢は変えないと思うが、今回の呼びかけや法整備でどこまで平和なハロウィンが実現されるのかは未知数だ。

また、渋谷区自体も街を盛り上げたい、という意思があることから強気な規制をかけたくはないはずだ。

となると、やはりクリーンなイメージをつくって世論から認めて貰うこと、そして渋谷という街にカネを落とすことが大事なのだ。

クリーンなイメージを付けるにはやはり渋谷ハロウィンに集う若者たちへの意識改革だろう。
昨年、ハロウィン翌日の朝にゴミ拾いしていたありがたき有志の方々がいたが、他のアプローチも必要だろう。

たとえば、地球温暖化を防止するもの。
良いアイデアが浮かばないが、仮装でいくらでも訴求するものは作れるだろう。
そう言った、中にいる人による啓発のメッセージは何かと響いたりするのだ。

カネの部分では、ハロウィンはバレンタインと同じくらいの経済効果が出てきているが、その恩恵を受けているのは渋谷センター街の飲食店・小売店ではなく、それ以外の飲食店や仮装グッズの販売店などである。
ハロウィン当日の渋谷は街を歩くだけで精一杯。とても買い物したり、ご飯食べたりなんか出来ない。
ましてや路上飲酒禁止の法律も出来てしまって小売店は追い詰められている。

今のままでは渋谷の人達は納得いかないことから、やはり渋谷に集まる人々が渋谷にお金を落とす仕組みが必要だろう。
前述の川崎のパレードのような行政がある程度枠を用意し、参加費を徴収するのはひとつ選択肢としてアリかと思う。
しかし、渋谷ハロウィンは規模が大きくなりすぎてしまったため、一筋縄には行かないだろう。

入場料を設けるとか、あえてモノの販売をするとか、若者に訴求できるアプローチはありそうな気がする。

最後に

羨望から来る嫉妬心が批判のエネルギーをつくりだすこともある。
楽しそうにしている人達がいること自体が批判の声を強めていることも考えられるため、批判の内容は必ずしも正義ではないと思っている。
しかし、現に迷惑を被っている人がいるため、この問題はなんとかしないといけない。

僕は渋谷ハロウィンを始めとした若者のエネルギーはすごい大きなものだと思っている。
これをぞんざいに扱ってはいけない。
だから、今の時代にそぐう適切な対応をする必要があると思う。

日本に多くの外国人観光客が来ている今、渋谷という街全体が注目を浴びている。
連日連夜、スクランブル交差点には多くの人々が集まり、四方八方に消えていく。外国人はその様子を見てCOOLだと言う。
また、外資系企業や大小様々なベンチャー企業など、多くのIT企業が立地し「ビットバレー」なんて呼称もつけられている。
こんな高濃度な都市は世界を探しても類を見ない。

そんな中生まれた渋谷ハロウィンという新たなムーブメント。
これを好機とみなすか、邪魔者とみなすか。
それによって今後の観光立国としての日本の存在感がかかってくるんじゃないかと思っている。

若者の活力でみなぎる渋谷を、僕はこれからも見ていきたい。

【参考】
・田村淳の訊きたい放題(東京MXテレビ)
・絶望の国の幸福な若者たち(古市憲寿)

ケント・ナガヤ

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