不自由下でポジティブになれる方法を考える【海外就職への道23】
こんにちは。マニラからお届けします。
今回は前回の続き、コロナ禍でフィリピンに渡航できない中で行った沖縄ワーケーションについてお話しします。
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オリンピックが開会した2021年7月、僕は沖縄にいました。平日に仕事をして、週末に遊ぶ「ワーケーション」。仕事はフルリモートであったため、東京の自宅を離れ、沖縄で長期滞在をしていました。今まであまり縁のなかった沖縄という土地で、島内の各地を巡りながら、その魅力を見つけに行きました。
7月下旬、僕は中部・読谷村に行きました。読谷といえば「ざわわ」で有名なサトウキビ畑。着いてすぐ、自転車を借りて残波岬やサトウキビ畑を見に行きました。沖縄ならではの大自然に触れてじわじわ湧いてくる活力を感じました。宿泊したゲストハウスは、最初は貸切りだったものの、オーナーや途中から来た他の宿泊者と仲良くなり、とても楽しく過ごせました。平日の昼休みに座喜味城に行き、おにぎり片手に絶景を眺め、心から楽しいという気分を感じられました。
同じく中部の沖縄市は、現在でも「コザ」という旧名で呼ばれ、古き良き街並みが見られる場所です。ベトナム戦争当時、週末に多くの米軍人が街に流れ込みとても賑わったものの、現在は多くの店が閉店し放置されています。そんな街のゲストハウスは、オーナーがとても優しくて物知りの方。沖縄に関するいろんなことを聞けました。観光地ではないものの、そのディープさからこの街の魅力にどんどんハマっていきました。
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コザにいた頃、東京オリンピックが終了しました。あっという間だったオリンピック。結局僕は一瞬も見なかったけど、人々が一つになれる祭典はやはり必要だなと思いました。スポーツは結果が第一だけど、結果があるからこそ、手にした時の大きさは絶大だと感じました。ちょうど、空手で沖縄市出身の喜友名選手が金メダルを取り、街中がひとつになっていたものを感じました。少しはテレビでも付けて見ればよかったと、後悔もしています。
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オリンピックが閉幕したその日は僕の27回目の誕生日でした。25歳で行く予定だったフィリピンには未だに行けず、しかも何故か27歳で沖縄にいる。コロナ禍で予定は大きく狂ってしまったけど、でも狂ったなりに自分で新たな道を切り開きました。行きたくても行けない海外に対し、じっと耐えていてもストレスが溜まるだけだった日々でした。時間は常に流れている以上、何かアクションを取らないともったいないし、しかも20代半ばという貴重な期間に刺激を感じない毎日を過ごしてしまったことへの後悔があります。
コロナ禍で不満や不安がうずめく中、ポジティブになる方法を考え、実践していくことの大切さを強く感じました。僕はたまたま沖縄に行くことで、それを認識し、ポジティブになれました。今後、また何か感染症や大災害で不自由を強いられることがあるかもしれませんが、この経験を活かし、自分の感情をうまくコントロールしていきたいなと思いました。
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沖縄に染まっていく中で見つかったいろんな感情を認識しつつ、楽しいワーケーション生活は続いていきます。
この続きはまた明日。では。
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