ヒマラヤに還る
「獣と人間のあいだのような存在だな」薄暗く、埃っぽい安宿の一室。雑な施工のコンクリートの壁。ボロい扇風機が天井でガラガラと音を立てながら億劫そうに回っている。不衛生な洗面台の上、くすんでヒビの入った鏡に映る自分の姿を見て最初に浮かんだのがこの言葉だ。長旅は、僕からあらゆるものを削り取っていく。川が石を転がして丸くしていくように。自身の存在を構成するものの外側にある、人間らしい思い込みからどんどん削り取られ、中心にある動物的な部分ばかりが根強く残り続ける。鏡に映る僕の目は、先入観なく反射的に動けるように、思考を挟まずに世界を観ている獣のような目だ。
バックパック一つで旅をしていると、人間が生きるために本当に必要なものの少なさに驚かされる。必要最小限にしたはずの持ち物が、日に日にさらに減らされていく。五年も旅を続けていると、荷物はかなりシンプルになる。着物2枚、ふんどし、下駄と地下足袋、ターバン、手ぬぐい、パソコン、歯ブラシ、そして旅の道中でもらった様々なお守り。そんなもんだ。消耗品、つまりシャンプーや洗剤などのようなものは一切使わない。なくなるたびに手に入れるのも面倒だが、それを心配する事自体が大きな負担になる。実際は、水さえあれば入浴も洗濯も全て賄えるのだ。
持ち物を減らしていくと、所有物に所有されることが減っていく。何かを所有する時、人は所有物に意識を向けることで、心が縛られる。所有物を管理することで、体が縛られる。多くのものを所有するほど、所有物達に自身を細切れにして、逆に所有させることになる。そんな訳で、持ち物を減らすほど、軽く、自由になってゆく。僕が僕のものになってゆく。服は所々ほつれ、ふんどしは穴だらけ、下駄にはヒビが入り、鼻緒は裂けて綿が飛び出している。肌は真っ黒に焼けて、へそまで伸びた長い髪が波打ちながら垂れ下がっている。ギリギリ人間だと認識できる生き物だ。そんな気楽な生き物の習性上、目的地にしないような場所もある。それは寒い土地だ。軟弱な哺乳類である人間は、代わりに道具を手に入れた。防寒具もその一つである。それらの道具をほとんど手放した僕は、結局ただの軟弱な獣にすぎない。過酷な寒さには耐えられない。そんな訳で、南半球と北半球を行き来しながら夏を追って旅をしてきた。そして、だからこそネパールに来ていながら、ヒマラヤには登らない事にしていた。しかし、遠目にでもヒマラヤの姿をこの目で見ておきたいと、麓の町のポカラまでバスに揺られてきたのだ。
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