見出し画像

貧困の子ども達から学んだ「計画的偶発性理論」-Vol.2

前回の投稿では、インドの家庭にお邪魔させてもらったこと、そこで見た子ども達の様子について書いた。▼

これから書くことは全て僕の原体験に基づいた考えである。

インドの家族と一緒に過ごしてみて感じたことは、家庭に溢れる愛情だった。豊かな日本と比較しても全く引けを取らないどころか、もっと家族の距離感が近い暖かさが感じられた。

そして、近所の子ども達からは、顔や行動にはなかなか出さなくても、彼らの心の底にある影の部分を見ることができた。

この日の出来事が僕の心に引っかかったのには理由がある。

ボビーファミリーや、近所の子ども達の様子を見る前、僕たちは旅先のいたるところで物乞いをしている子ども達に出会ってきた。

個人的には、イタリア、タイ、カンボジアに行った時にも物乞いする人達を見てきたが、インドのそれは強烈に脳裏に焼き付いている。

ボロボロの服装をして、動物の糞やゴミだらけの場所を素足で歩いている。足首を骨折し、変な方向に曲がったまま治したせいで、明らかに歩き方がおかしい。足の傷口から菌が侵食し、パンパンに張れている。

そんなこと気にも留めず、ひたすら僕たちの服を引っ張り、今にも泣きそうな小さな声で、なにか囁き訴えてくる。言葉は聞き取れない。何度断ってもずっと傍を離れずついてくる。

耐えきれなくなって、コインをあげると他の子ども達が「俺にもくれ」と近寄ってくる。その手を払いどけながらその場から急ぎ足で立ち去る。

「かわいそう」という感情を通り越し、何もできない自分に対して、心を締め付けるような無力感と罪悪感を抱く。

総じて言えるのは、みんな目が死んでいる。
哀しそうな目、辛そうな目とかそういう次元じゃないと思った。表現の仕方が思いつかない。

しかし、その境遇が裏で作られているとしたら。。?

これについては長くなるため興味がある方は是非この記事と本を読んでみてほしい。
『レンタルチャイルド -神に弄ばれる貧しき子供たち-』▶ [https://ddnavi.com/news/288521/a/

こういう子ども達を見てきたため、今回、近所の子ども達を見た時はとてもうれしかった。だから日本のお土産をあげようと1円玉を与えた。けど結局反応は一緒だった。

何が共通していて何が違うのだろう。

物乞いする子ども達と、近所の子ども達。共通点はお金がない現実で、相違点は死んだ目とキラキラした目だ。

そして、何よりも感じたのが、周りの大人たちや家庭環境の違いだ。子どもに対しての情を利用して物乞いをさせるような大人に育てられるのと、愛情かけて接し、金をくれと騒ぎ出す子どもに対してしっかり注意できる大人に育てられるのでは全然違うと思う。

シンプルだが、結局人間は

「周りの環境に依存して形成される」

という結論にその時は至った。

これについては、僕のnoteの第一弾に少し書いている。▼

様々な社会問題や事情があることは理解しているし、もちろん一概には言えないが、環境が違うとここまで人は変わるんだと、その時は素直に思った。

さて、ここからが本題だが、

これから僕が言いたいのは、貧困の子ども達を救ってあげたいとか、インドの子ども達と比較して、自分たちの環境に感謝しようとかそういうことじゃない。

感謝するのはもちろん、もう一段階掘り下げて、自分の周りの環境によって人は良い方にも悪い方にも転ぶということを、もう一度認識して考えてみてほしい。

例えば、ヤクザの家庭で育てば高確率でヤンキーになるだろうし、クレヨンしんちゃんのような家庭に育てば、高確率でユーモアたっぷりで元気な子どもに育つだろう。

自分に当てはめてみても、日本に生まれて、小さい頃腎臓の病気を患って、年の離れた兄弟がいて、サッカーをさせてもらって、、というように自分じゃどうしようもない運命みたいなものによって、自分のキャリア、人格、アイデンティティなどが成り立っているのかなあと考えることができた。

ここで例に挙げた家族のように変えることのできない、小さなコミュニティを中心に人は、学校、バイト、部活というように、様々なコミュニティ(環境)に属していて、それぞれの‘‘顔‘‘を持っている。

正直、変えようが無い環境に関しては、どうしようもない部分も確かにある。しかし、人の属しているコミュニティは1つではないのだから、付け加えていくことが可能だと思う。

そもそもこのテーマを取り上げたのは、最近世間がコミュニティブームだったりするからである。

ここから、タイトルにもある『計画的偶発性理論』という考え方を用いて説明するが、この理論は、「人のキャリアの8割が偶然によって決まる」という考え方に基づいている。

この理論は、スタンフォード大学の、ジョン・D・クランボルツ教授が20世紀末に提案したキャリア理論だ。

この理論の要点は2つ、

*個人のキャリアの8割は予想しない偶発的なことによって決定される。
*その偶発的なことを計画的に導くことでキャリアアップをしていくべき。

例えば、バイト先やサークルを選ぶとき、人との偶然の出会いが決め手となった方も多いだろう。彼氏彼女と運命の出会いをしたという人もいると思う。「計画された偶発性理論」では、個人のキャリアはそうした予期しない出来事の積み重ねで作られる、と考える。
(参考、詳細はこちら▶[https://furikake.doda.jp/article/2018/09/10/52.html])

自分のキャリアについて考える時に、
未来に重点を置くか、現在に重点を置くか。考え方の違いはここだ。

実は「計画された偶発性」とは後者の考え方である。計画すると聞くと中長期の将来を細かく計画してイメージ通り確実に進めていくものだと思うかもしれないが、圧倒的な速度で変化している今の時代において、未来のことなど誰も予想できないと言われている。

だからこそ、今自分がいる環境をより良く変えていくことが重要なのではないか、というのが「計画的偶発性理論」であり、僕の考え方だ。

今の生活が何か充実してない、数年前と比べ少しも成長してない、今の自分から変わりたいけど何からしていいか分からない。そんな人はたくさんいると思う。僕自身もそうだった。

学生でいうと、一番簡単なのは、今のバイトを辞めて、自分を成長させてくれそうな人がたくさんいたり、武器になるスキルを身に付けることができるバイトに変える。もしくは、ちょっと調べて興味がある団体が見つかればそこに入って、動きまくる。これが一番早いと思う。

家族や仕事などのコミュニティを変えることはなかなか難しい。けれど自分を成長させてくれる‘‘人‘‘や、所属できるチームが現代には溢れているし、オンラインを駆使すれば、一瞬でつながることができる。

「けど今のバイトは辞める気無いし(新しく探すのだるいし)、自分が興味あることが分からんからなかなか動けない。。」

そんな人は、すぐtwitterを開こう。

具体的なやり方を提案すると、

①自分のフォロワーの意識高そうな奴のフォロワーを探る。
②意識高めで面白いツイートを沢山する有名人(インフルエンサー)や一般人をひたすらフォローする。
③タイムラインを将来に役立ちそうな面白いつぶやきで埋める。
④そうしているうちに自分が興味ありそうな分野が何となく見つかってくる。
⑤興味ある分野の誰かがイベントやプロジェクトをやりたいみたいなことをツイートしていたら、即フォローして「興味あります。詳しく教えてください^_^」とDMを送る。

もしくは、facebookで面白い社会人を探してメッセージを送りスカイプで通話すれば大体の大人は、良い情報をくれる。

しかも今流行りの、「オンラインサロン」というものもあったりする。

こんな感じでやっていくと、直ぐ新しいコミュニティを作れる。

人は凄い人を見ても意外と成長しない。自分の親しい誰かが一生懸命やって成長していく姿を見ると、「俺にも出来る!」と思える。その「出来る!」と思わせてくれる装置としてコミュニティが機能する。by佐渡島庸平さん

もっと言えば、コミュニティじゃなくても良いと思う。シンプルに良い人に繋がれば、その人に導かれて良い方向に進んでいく可能性もある。

このやり方はあくまで僕のやり方だが、、自分の周りにある環境を計画的にデザインしていき、常に成長の上昇気流に乗るイメージで、先輩だったり、自分より能力が上だったりする人の近くにくっついて(自分の近くに置いて)、ドラゴンボールの魔人ブウが如く、その人の知識や能力を吸収して自分のものにしていく。

それくらい自分の環境は重要だと思う。

もちろん、コミュニティに所属すればそれがゴールではないし、目的無く所属しても空振りして虚しくなる。ここからが大変で、次に生まれるのは自分の能力・知識不足からくる危機感だ。次の課題は、その場所で自分はどんな価値を周りに提供できるだろうかと思考することだと思う。

「予期しない出来事をただ待つだけでなく、自ら創り出せるように積極的に行動したり、周囲の出来事に神経を研ぎ澄ませたりして、偶然を意図的・計画的にステップアップの機会へと変えていくべきだというのが同理論の中心となる考え方」である。(引用:「計画的偶発性(プランドハップンスタンス)理論とは?」All About)

インドの子どもたちは、こういう周りの環境を選ぶ選択肢があまりに少ないのだと思う。

その分自分たちは、
「大量の情報」と「選択肢」と「ツール」がある。

部活に所属している人も、違うコミュニティ(肩書き)を作ることは、部活という閉鎖的な空間にある価値観とは異なる意見や、違う角度からの考え方を得られるため、課題を解決したりするのに役立ったりする。

そして肩書きはある程度自分がコミット可能な数であればいくら持っていてもいいと思う。
本田圭佑選手だって、サッカー選手、監督業、教育者、経営者、投資家など何足もの草鞋を履いている。そしてその肩書きをフルに使ってオンリーワンな存在になっている。

これから就職活動を控える人たちにとっても、これらの考え方は少し参考になると思う。

今この瞬間からの行動によって、予測できない未来が良い方向に歩み出す。

是非、自分のキャリアについて今一度向き合って、自分にとって少しでもいい環境を創るために、アクティブに行動してみてほしい。

かなり長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

#インド #旅 #子ども #貧困 #家族 #生きがい #環境 #コミュニティ #オンラインサロン #計画的偶発性

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?