貧困の子ども達から学んだ「計画的偶発性理論」-Vol.1
今回は僕の経験談とともに「計画的偶発性」という言葉を使いながら、自分の今の生活に満足していない人はまずこれからどういう行動をとっていけばいいのか、僕の考えを発信したい。
まぁ知っている人は知っていると思うし、
そんなに難しくないので気楽に読んでもらえたらと思う。
今年の8月に3週間ほどインドに行ってきた。▼
現地の子ども達の様子を見て考えたことを、皆さんに共有出来たらと思う。
そしてこれを読んで、自分を一度見つめ直すきっかけになってくれれば幸いだ。
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僕たちはインドのアーグラーという都市で1人のトゥクトゥク(三輪タクシー)の運転手のボビーと仲良くなった。
自分たちの家族の話で盛り上がったことがきっかけである。
インド人は他人に気遣いとかしない印象だが、自分のファミリーのことは非常に大切にしている。
ゲストハウスのロビーでお互いの家族の写真を見せ合いながら言葉の壁を超えステキなひと時を過ごしていた。
ボビーには3歳くらいの息子がいる。
その写真を見せてもらったのだが、まぁたまらなく可愛かったので、褒めちぎると次の日家族に会わせてくれるということになった。
翌日、ボビーは自分の家に招待してくれた。
季節が雨季だったため雨で出来た巨大な水たまりの中でウシが水浴びをしている。
その様子を横目に見ながら住宅街へ案内してくれた。
狭い道が迷路の様に広がっていて、そこに二階建くらいの家が何件も連なっている。
手を伸ばせば隣の家に入れるし、中の様子も普通に見れる距離感だ。
奥さんと息子さんとお婆ちゃんに挨拶をしてから、家の周りを散歩してみることにした。
住宅街の狭い路地にも安定にウシが歩いていた。
暫くすると一瞬のうちに大勢の子どもたちが集まってきた。日本人なんて相当珍しいのだろう。
カタコトの英語でめちゃくちゃ質問されたりハイタッチしたり写真を撮ったり、、僕たちが移動すれば20人くらいの子ども達もぞろぞろ後をつけてくる。
まるでスーパースターにでもなった気分だ。
多分彼らにとって日本人と写真を撮ったり連絡先を交換したりするのは彼ら自身のステータスになっているんだと思う。実際、滞在中何度も写真を求められた。
だからその時は少なくとも、"僕たち"に興味を持ってくれていた。
『日本は知ってるよ!いつか日本に行ってみたい!』
と笑顔で言ってくれていた。
シンプルに日本人であることが誇らしかったし、嬉しかった。
何か思い出になる日本のモノをプレゼントしてあげたいなぁ。
そんな思いから、バッグを探すと、たまたま1円玉を持っていたので、1人の少年にあげた。
次の瞬間
ついさっきまで純粋でキラキラしてた子ども達の目と様子が一瞬にして変わった。
両手を差し出しマネー!マネー!と騒ぐ子ども。
僕のシャツを引っ張ってねだってくる子ども。
どさくさに紛れてハンドバッグを漁る子ども。
中には周りで様子を見てたオッサンも混じっていた。
もうお金は無いんだ。
そう言っても全く諦める様子は無い。
それは紛れもなく死ぬ気でカネを求める
貧困の子どもの目だった。
子どもたちの目からは感情がすぐに現れる。
彼らの僕たちを見る目が
「日本人」から「獲物」変わった瞬間のように思えた。
あの時の子どもたちの変わりようは、未だにはっきりと覚えている。
かなりショッキングだった。
あまりに勢いが凄かったので、周りの大人達がやめろやめろと注意してくれたお陰で少し落ち着いたが、身の危険を感じるレベルだった。
もしあの時周りにいた大人たちもグルになって集団でリンチされていたら、今頃動物のエサになっていてもおかしくない。
東南アジアやインドでは良くあるが、こういう状況のときに嬉しくなって軽い気持ちでお金をあげると大変なことを身をもって学んだ。
何とかその場離れてから、ボビーと一緒に今晩の夕食で食べるチキンを調達しに出かけた。
その夜は新鮮なチキンとインドの家庭料理をお腹いっぱい振舞ってくれた。
食事後、みんなで日本とインドの話をしたり、一家団欒の時間を共に過ごしてくれた。
その時間の中心には常に幼い息子がいて、息子が笑うとみんなも笑うし、ふざけるとみんなも注目する。
子どもの存在が生きがいで、家族のアイドルって感じだった。
愛があるなぁ。。
と、インドに来て憔悴していた心がほっこりして、あたたかい気持ちにさせてもらった。
見ず知らずの言葉もあまり通じない日本人に対して、最高のおもてなしをしてくれたボビーファミリーには本当に感謝している。
言葉ではなく、態度で気持ちを示せば、最初は警戒心が強くても打ち解けられる。
サンキューとグッドくらい喋れれば何とかなる。
宿に戻り、今日あったことを日記に書きながら振り返っていた。
色々あったが、やっぱりあの子ども達の姿が脳裏に焼き付いて離れなかった。
なぜお金を与えた途端あんなに変化したんだろう。
逆に、どうしてお金を与える前はあんなにキラキラした目をしていて、貧しくても幸せそうな表情だったんだろう。。
その夜は、友達と自分たちの考えを語り合った。
気が付くと深夜2時を回っていた。
長くなるので、とりあえずVol.1はこれくらいに。
次回、この経験から今に至るまでで僕自身が考えたことについて「計画的偶発性」という言葉を使い説明していく。
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