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先日、ジュリアン・ラージのライブをブルーノートで観た。
私は特定の音楽家を深く聴き込んだりできない性質なのだが、ジュリアン・ラージは例外だ。他のミュージシャンへの参加作品を含めて、ほとんどのアルバムを聴いていると思う。彼が表紙の雑誌は買う。ファンである。が、ライブを見るのは初めてであった。

今回のライブは、ホルヘ・ローダー(ベース)、デイヴ・キング(ドラムス)のトリオでの演奏だった。ライブ映像などで知ってはいたが、メンバー全員の演奏力がとんでもなく高い。ドラムとベースの心地良いリズムのうえで、ジュリアン・ラージは自由に動き回る。大きく弦を飛ばしたり、細かい速いパッセージも弾きまくるなど、その場の流れに合わせて遊んでいる感じが楽しい。即興ではないテーマ部分にもそういう感じがある。これは相当に演奏者としての地の力がないとできない芸当である。
決められたものをバチバチに演奏する、たとえばメタルやハードコアとは真逆のスタイルといっていいだろう(どちらが優れているという話ではない)。崇高としての音楽ではなく、遊びや憩いとしての音楽。

もうちょっと踏み込んで考えてみると、ジュリアン・ラージが実践していること、たとえばフレーズのスケールやベースに対してどの音をあてるか、とったある種の訓練や知識が必要な部分を、自分は全く理解できていない。雰囲気だけで良いなと思っているのだ。ジャズの歴史の中で、どういう位置にいるのかもわかっていない。つまり、分からなくても良いと思わせる魅力があるということか。

一方で、ある程度理解できるような気がするのはテーマ部分である。それはジャスというより、アメリカーナであったり、ロック、ブルース、ブラジル音楽的なものを想起させるものだ。明るくカラッとしている。
そういったキャッチーなテーマ部分と、即興部分を支える演奏力への憧憬…などが自分を惹きつけているのかもしれない。

とはいえ、いざライブを見終えると、もう少し彼が何をやっているのか理解したいよね、と思うのが心情である。妻が教えてくれたワークショップの動画が面白かった。

「弦やフレットを飛ばしますが、どう練習してますか?」という問いには、「体全体から考えれば、それほど大きい動きではないよね、体を大きく動かしてからやってみよう」と答えていたり(参照点を変えよう、ということだろう)、コードを選ぶ時は、ベースとトップの間を埋めるものとして考えている(これはまさしく和声法である)、など興味深い受け答えがあって、面白かった。

1つ残念だったのは、演奏時間が正味60分弱と短かったこと。こんなものなのだろうか?1stステージを見たのだが、2ndはアンコールはあったのだろうか。どうやら前日の梅田クワトロでは90分くらいやったらしい。ブルーノート以外の選択肢があれば、そちらに行っても良いのかも。

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