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【交換note】僕が考える対話とは
交換noteとは、対話・実践ラボの参加者たちが「対話」について考えたあれこれを「交換ノート」のように書き綴っていく取り組みです。
第1回目の「交換note」はこちら
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対話をするって何だろう
辞書で調べると
「向かい合って対等の立場で話すこと。二人の人が言葉を交わすこと。」
対等の立場
僕が考える対話の基盤となる部分だと思ってます。でもこの対等というのが難しいのです。
でも今は
対話ができているのかわからない。
現在僕は高校教員として働いている。学級の子供たちは僕を「先生」と呼ぶが、僕は「先生」と呼ばれるのが嫌です。なぜなら呼称によって急に発生する縦の関係性が何となく嫌だからだ。
呼び方が変えれば「対等の立場」に近づくのか
答えはわからないですね。
いやわからないのかい!そう突っ込みたくなることでしょう。
というよりも、答えはないんじゃないでしょうか。
そこに人がいれば対話が生まれる。
定義やなんや、「対話とは」という問いは葦のように生まれ枯れを繰り返しますが、
「人が集まるところに対話あり。」
だと今は思ってます。
対話とは偶発的なものなのか
「対話をしよう!」と思って、対話ができるのか。必発的な対話
今ラボで学んでいるのは、「対話」という場・コミュニティづくりだと思っています。
締めの言葉思いつかないのですが、
世界中全ての人が対話できたなら、世界は平和になると思っています。
対話は平和の礎となる(何だそれ)
恥ずかしいので次の方にバトンを渡します。