私の継続力の原点 ─ 中学サッカー部時代に顧問が教えてくれた大切なこと
「なんでこれまでnoteを続けてこられたんだろう」
ふと感じた自分への疑問について今までの人生を振り返ってみると、たくさんの苦楽がありながら高校2年の冬まで続けたサッカーの存在があり、その中でも特に中学サッカー部のことが思い浮かびました。
思い出したことを忘れないうちに、私の小中学校時代のサッカーについて、そして素晴らしい出会いについてまとめたいと思います。
1.小学校1年生から地元のサッカーチームに加入
サッカーを始めたきっかけは、よくスタジアムに連れて行ってくれた両親の存在がいたからだと思います。物心がついた頃には自然とサッカーが好きになっていました。
始めた頃は心から楽しくて、毎日のように昼休みや学校終わりに友達と集まってはボールを蹴っていた少年でした。
最初の転機があったのは、小学3年生の時。
2年連続で足を骨折する怪我をしました。夏のギプスは辛かった記憶があります。しかも怪我をしたのはサッカーとは関係の無い体育の時間。
急にみんなと一緒にサッカーが出来なくなりました。治ったと思ったらまた怪我をして、辛い時でした。当時の自分なりに色々考えたんだと思います。そして、私は少年団を辞める決断をしました。
2.再び始めたサッカーと大切なことを教えてくれた顧問
その後の小学校生活についても、サッカーが好きな気持ちは変わりませんでした。どこかでまたちゃんとサッカーしたいと思っていた私は、決心して地元の公立中学校でサッカー部に入ります。
しかし、少年団を辞めてから約2年半のブランクは当時の私にとってとても大きなものでした。
かつて同じ少年団にいた仲間達は随分と上手くなり、他の小学校から上がって来た子供達もいたことで全然レベルについていけませんでした。
中学2年生になっても伸び悩んでいた私に、ある日顧問が声をかけてくれました。
「kentamo君はサッカーノートとか書いたことある?なければ、練習とか試合とかで感じたこととか書いてみたら?」
私は何の意味があるんだろうって思いながらも、その先生のことをリスペクトしていたので素直に書き始めてみることにしました。
こうして、私は出来事を記録や文章に残すという作業に取り掛かることになりました。
3.私に大切なことを教えてくれたもの
私は、何時から何時まで練習をして、どういうメニューをやって何を思ったか。土日はどこに行ってどのチームと戦ったのか。結果がどうだったのか、何を思ったのか。ということを毎日書き残しました。
読み返すと、とても一生懸命書いてありました。毎日これを書いていたのか、と思うほどです。
なんでそんなに一つの事を続けられたのかと考えたときに、継続をすることの意味やプロセスを見てくれていた顧問の存在があったからだと思います。
特にその顧問の先生に対してノートを見せたりとか、発表したり友達に見せたりということは一切ありませんでした。
しかし、顧問が何度かノートを書けているか聞いてくれたり、それに対してこういう風に書きなさいと指示することなく見守ってくれていたりしたことを覚えています。
そういった直接的な言葉ではない、「見てくれている感」があったことで、私は一つのことを続けられたのかもしれません。
4.まとめ
私は、中学2年生の途中から3年生の引退の時までサッカーノート書き続けました。
そのことが直接的に何か成果を出したとは思いませんが、それ以上に「素直に受け入れてやってみる力」や、「続けることで誰かが見てくれている」ということといった大切なことを教えてもらいました。
サッカーの試合でも、学校のテストでも、今の仕事でも結果だけを見て判断をしたり評価をしたりすることは比較的簡単なことだと思います。
プロセスを大切に出来る大人になりたいと思いました。
人生の目標は豊かな老後を過ごすこと。
そこから逆算した日々を過ごします。
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