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お願いすることは、もうやめた

ぼくは元来、ひとにお願いをするのが大の苦手だ。

ことあるごとに「お願いによって得られるかもしれないメリット」「断れるかもしれない怖さ」を天秤にかけて、そのほとんどの場面で後者が勝利してきた。

原因が「磨かれすぎたプライド」にあるということは、もう何年も前から判明していて、ぼくに染み付いて離れない「それ」をどうにかして削ぎ落としたいと、一応は思っている。(と思っている)


けどまあべつに、お願いができないわけじゃない。

ここだ!と思ったときには、破廉恥な自分に大いに酔いながら、お願いしまくる。

だから、「”お願い”が伝家の宝刀化しすぎている」という状態が、一番正確なのかもしれない。

(いい意味で)プライドのかけらもなくお願いし続けられる人や、人に頼るのがうまい人をみると、すごいなーと尊敬する。

人生の荒波をうまく乗りこなすのは、こういう人たちなんだろうなーと、思ったりもする。


10日ほど前に、こんなツイートをした。

「ここがぼくの生まれ変わるきっかけになるかも!」という淡い期待を抱いて、お願い連弾をやってみることにした。

なんか、精神が摩耗した。

noteの下のサポート欄を「シェアお願いします!」に変えて、本文最後に埋めてるツイートの前につける文言も「フォローお願いします!」にした。

結果、プライドかなぐり捨てようと思ったけど、ぼくの心が荒々しくなっただけだった。


甘々なのは、百も承知。

切羽詰まってないから、お願いすることにためらいを感じてるという側面も大いにあると思う。

でも、何日も連続でお願いしていると、だんだんと「お願い」の3文字が麻痺してきて、ぼくにとってはそれが耐えられなかった。

「お願い」はやっぱり、普段は鞘(さや)に収めておいて、いざというときにシュパッと抜くやり方のほうが、ぼくには合ってる気がする。


基本的なスタンスは「こういうのがあるので、もしよかったらどうぞ」な、ちょっと控えめに置いておく感じがいい。

これはもう、「プライド」って呼んだらカッコ悪いから、「ぼくの美学」ということにしておく。

健全な精神で、「続ける」ことを最優先にする。

でも続けないといけないから、本当に「ここだ!」って思ったときは、容赦なく乱舞するけど。


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藤本 健太郎 / 編集者
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