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今さらながら、ぼくりりさんの曲を聴き始めた

最近、今さらながら、ぼくりりさんの曲を聴き始めた。

「ぼくりり」というのは、「ぼくのりりっくのぼうよみ」というアーティストの略称だ。

ハタチの天才シンガーとして注目されており、Twitterのフォロワーは約15万人にもおよぶ。

みたいな情報だけは知っていたのだけど、実際に曲を聴いたりすることはなかった。

じゃあ、ぼくはぼくりりさんの何から入ったかというと、「メディア」だ。

ぼくりりさん、クラウドファンディングで資金を募って、メディアを立ち上げている。

ぼくりりさんが話を聞きたいひとに会って、対談をするというものだ。

これがなんとも面白い。

対談相手は、落合陽一さんや家入一真さんなど、ぼくのTwitterタイムライン界に生息してるベンチャー・スタートアップ系のひともいれば、「俺」という、ぼくが全く知らなかった世界のひとなんかもいて、多種多様である。

対談では、基本的にぼくりりさんの聞きたいことを、ゲストに投げかける形式なんだけれども、その投げかけがけっこう抽象的な次元で展開されていて、かなり読み応えがある。

なんというか、これが天才ゆえの悩みなのかな....?といったものばかりだ。(ぼくが天才じゃないのでそこらへんの詳しいところはわからないけど!)

特に印象に残っているのは、家入一真さんとの対談で交わされた、とある会話だ。

家入さんはクラウドファンディングサイト『CAMPFIRE』を運営しており、ぼくりりさんがメディアの運営資金をCAMPFIREで募った関係から、話題は「クラウドファンディング」になった。

そのなかで、クラウドファンディングがうまくいくコツとして、家入さんが「「共感」ではなく「共犯」に持ち込むようなものですね」と話した。

共感とは、「わあすごい!応援したい!」と思うということだ。ただ、あえて言い方を変えれば、思う「だけ」である。

それに対して、共犯とは、「一緒に作る側に回る」ということだ。

例えば、ライブ資金を集めるクラウドファンディングをしたのなら、支援してくれたひとには、「ライブスタッフとして参加する権利」を付与するといった感じだ。

ただ応援するだけよりも、後者のほうが関わり度合いが深いので、より支援してもらいやすくなる、という理屈だ。

ただ、その意見に対して、ぼくりりさんは「……正直なところ、ぼくは共犯したくないんですよ。」と答える。この返答が、ぼくはすごく印象に残っている。

時代は、明らかに「共犯」である。共感よりも共犯を獲得するような施策をとったほうが、成功する確率が高まるのは間違いない。ぼくでさえ感じているのだから、ぼくりりさんももちろん、そのことについて頭では理解しているはずだ。

ただ、それでもあえて「共犯したくない」と答える。そして、「ぼくがやりたいことをするので、それを気に入ってくれる人だけが支援してくれればいい。」とそのあとに続けた。

最初に読んだとき、そこであえて時代性に逆らう理由はなんなんだろう?と思っていたけど、ぼくりりさんへの理解が多少は深まったいまなら、すこしはわかる気がする。


すこし前に、ぼくは『受け手を置いてけぼりにしたい』というnoteを書いた。

これは、いまは共感や共犯といったものが求められるけれども、たまには受け手に「はあ、わかるわあ」と共感させないような、ただただ圧倒するようなものをつくりたいといことを書いた。

そして、つくりたいんだけれど、凡人が受け手を振り切ろうしてフルスイングしたら、たいてい空振り三振に終わる確率が高いんだけど、天才がフルスイングすると、世をあっと言わせるような、とんでもないものが生まれるんだろうなということを続けた。

そう、ぼくりりさんこそ、フルスイングして圧倒的なものをつくる「天才」に該当する。

ようは、上記の発言は、めちゃくちゃ言葉を荒くして言えば、「あななたちは邪魔しないでほしい。おれは自分がつくりたいものをつくる。それでその作品が気に入ったら、応援してくれればいいから」というスタンスの現れなのかなと、ぼくは感じた。

キンコン西野さんも、よくブログで「アクセルをベタ踏みしたい」という表現をしているけど、いわゆる天才は、じぶんの考えていることと世の中の理解度との乖離に、つねに葛藤を抱えているのだろうなと。


そういうことで、そんなフルスイング欲を抱えるぼくりりさんの曲を実際に聞いてみたくなり、最近遅ればせながら、聞き始めた。

いい。

すごくいい。

すごくすごくいい。


まだ3曲くらいしか聞けてないけど、歌詞も音楽も、PVの演出も、どれも独特で受け手を近づけすぎない感があって、すごくいい。

特に最近リリースした『人間辞職』は、もう何度もリピートしている。

ただ、ぼくりりさん、2019年1月をもって歌を辞めてしまうらしい。

たぶん、これは天才ゆえの苦悩だと思うので、なにか本人のなかでめちゃちゃ考えることがあったのだと思う。

上記の「人間辞職」なんかは、ぼくたちが普段暮らしているなかではなかなか出てこない発想だし、曲のなかで出てくる「人間なんてオワコンなんだよ」っていう歌詞なんて、パワーワードすぎる。

歌をやめたあとも、なんらかの活動はたぶんされるとは思うのだけど、遅ればせながらぼくりりさんの曲を聞き始めた人間のひとりとして、活動停止はやはり残念がある。


こういう異質な才能を、懐深く受け入れられるような世の中をつくっていく。


★作り手というのは、いつの時代も無条件に尊い


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藤本 健太郎 / 編集者
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