気持ち良さに負ける
写真を撮る楽しさは色々あるが、その中に「目が直接受ける刺激の気持ち良さ」という物がある、と以前から気づいていた。
写真好きな人達に「写真のどこが、何が好き?」と質問すると、人によって様々な答えが出てくるのだけど、その中で「見ると気持ち良い視界」と答える人はかなり少なかった。また、そんな答えをくれる人に「何が気持ち良い?」と質問しても、それに対して明確に答えるだけの分析ができている人は皆無だった。
快感という意味では、「自分しか捉えられない瞬間を切り取った」とか、「絶妙な露光で表現が完成した」とかの答えをくれる人は多いけど、それが作品の魅力になるとは限らない。
写真作家として大成しようとしたら、誰もが良いと感じる写真を撮れる技術は必要だと思うし、自分の視界の中に何を詰め込むか?という命題にも取り組まないといけない。
だからこそ、写真を楽しむ人達にそんな質問をしてきたのだけど、自分自身も何故こんなにも写真に惹かれるのかがわからなかった。
気持ち良いって何だろう・・と思ったのは10代の頃。
自分の中の気持ち良さの根源は、身体への刺激と連動している事に気づいたが、具体的な「気持ちよい」が見つけられず、悩みまくる。
ある時、自分の食の好き嫌いが食感とトラウマの二つで構成されている事に気づき、好きな小説や音楽などから受ける心の動きも「感触」というパラメータで測っている事がわかった。
そう、自分にとっては「感触」が気持ち良さの根源であり、尺度であり、感触に導く方法が、経験によって構築されて写真の構図やメロディー等へ変換・還元されているのだ。
だが、その「変換される前の感触は何か?」となると、また悩む事になる。
そして「目が直接受ける刺激」の中の「気持ち良さ」を探していて、コレだと気づいたのが次の写真だ。
この水面のキラキラが気持ち良い。
規則性が有るような無い水面に理由無く惹かれる自分がいて、その惹かれる理由は「見ていて気持ち良い」という事。
そして悟ったのは、自分にとって気持ち良い写真は他人には理解できないだろう。という現実でもあった。
構図の面白さ、見せたい空間、仕込んでいく意図、等々写真を撮る時には、考えて撮る事は多いけど、自分の気持ち良さを盛り込み過ぎると色々と破綻が生まれてしまう。
だから、構図だけでは無く、被写体の動きやイマジナリーラインの構成、構図上での立体感や、見せたい明るさや色合いなどを調整する。
そこに仕込んでいくのは、時勢に合わせたメッセージだったりその日その時の現実になっていくが、それを説明する必要がある時点で、やっぱり一般向けな写真にはならないのだろう。
街を散歩しつつ撮る写真は、どっちかと言えば「自分の気持ち良さ」を切り取る感じに近いものになる。
同時に「今、撮らないと消えてしまう光景」の保存でもある。
この1枚はRF100-400mm F5.6-8 IS USMの性能テストで撮ったものだが、撮影場所は現在存在せず、図らずも二度と撮れない1枚になってしまったが、写真の持つ能力の一つ「記録」としては、価値があるものに相当するのかも知れない。
ちなみに、高額で購入を悩む人が多いだろうRFレンズの中で、一般的ユーザー向けのラインナップに所属するRF100-400mmは、驚くほど解像力が高い。
が、しかし、レンズ径の小ささから暗く、描写もボケ味が硬くカッチリし過ぎていて、結果Lレンズに及ばない、という性格を持っていた。
でもこの、肉眼では見えない部分が見えるという「気持ち良さ」は、標準レンズ以外を使う楽しさの一つであると言ってよい。
そしてやっぱり、こんな水面を目にすると撮ってしまう。
これが自分の中での「気持ち良さに負ける」写真であり、今もって尚、シャッターを切る原動力の一つであり続けているのだ。
ただ、原動力の一つと言ったのは、他にも色々と抗えない「目が受ける気持ち良い刺激」があってのこと。
例えば、惹かれてしまう刺激の中には「色」もある。
明け方のほんの一時と、夕方のマジックアワーと言われるタイミングが見せる、独特の「青」。
その中でも、強く惹かれるのはデイライトのカラーフィルムが見せるコバルトに似た青で、マジックアワーの中で現像するまで出て来ないその色を、デジタル現像でどう表現するかは、未だ命題の一つになっている。
例えばこんな青。
もう少し明るい感じが望む青なのだが、写真としてはこの明るさが良いと考えて現像した。
勿論、敢えてセンターの女性が見ている景色にピントを合わせているが、女性が明るすぎると構図や色の魅力が弱くなる。
そして、表現したい空気感が薄れてしまうから・・の調整だったが、色の刺激の気持ち良さに強く惹かれていた事は否めない。
あ、そう言えば、惹かれる色とモチーフには、こんなのもある。
この写真は、横浜市南区にある中華料理屋「酔来軒」の名物「酔来丼」の、裏メニューとなる「スペシャル酔来丼」だ。
街撮りをしていて、その街の飲食店で出会う料理には、その日その時でしか撮れない景色があって、同時に食べ物のビジュアルと味は自分にとっては「記憶の鍵」になるので、必ず撮影するようにしている。
この丼は、所在地が下町地区故に安価でないと外食できない人達も多かったために、牛丼と同じ価格を目論みつつ名物を・・と考えた店主が作った物。
ラーメンの具材と調味料で食べる丼物で、ノーマルの「酔来丼」は現在500円の設定になっている。
ノーマルは目玉焼き1個、叉焼は細かく切って2〜3枚程度としているが、スープがついての料金なので、これを目当てに食べに来る住民が多かったりする。
写真のスペシャルは具材が倍以上に見えるので950円設定でも納得で、これ一つとビールでかなり楽しい。
・・と、目から受ける気持ち良さに「食欲」という命にも関わる誘惑が乗っかるから、食べ物の写真を撮るのはやめられない。
でも、写真表現としての料理写真は、あまりにリアルじゃないので面白く無い。
そう、写真ってやっぱり、リアルに見えないとつまらないって思うんだけど、そこら辺は人それぞれって事なのでしょうね。