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いつもと違う場所を撮ってみた
前回は視点を変えた写真を上げてみたけど、今回は同じ視点でも日頃は注目しないモノを撮ろうと横浜中華街辺りの散歩して撮ってみる。
とは言え、毎週の様に定点観測的に撮っているので、モチーフを探すのが難しい。
なので、いつもはあまり通らない道を選んでみた。
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昭和な時代だったら絶対入りたくなかった路地裏、からの1枚。
シャッターに浮かび上がるのは所謂タギングの一種に見える。
実は今の中華街ってタギングが多くて、それを追っかけるだけでも1記事書けるくらいにバリエーションがある。
ただタギングは、グラフティの形式の一つだけじゃなくある特定の人やグループを示す意味もあり、しかもグループの場合テリトリーを主張する意味まで持つので、不特定多数に向けたメディアの中で取り上げるのは如何なものか、と思って自粛してきた。
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そんなタギングが多い街だからか積極的に絵を描いちゃう店もあったりして、そういう視点で見ると中華街も違って見えてくる。
サインや看板、トレードマーク。
どれも中華街っぽさを意識している様で、そういう意味でアメリカのグラフティ文化を反映したタギングが違和感を生むのは当然の事なのかも知れない。
看板と言えばこんなのもあるけど、この意匠を使う様になったのは随分前からだったと記憶している。
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実はこの形、変換前の香港で街路名を示すために使われているもの。
これを懐かしいと思える人は、街中で「ニセモノトケイアルヨ」と声がけされた経験もあるだろう。
ちなみに現在はこんなタイプに統一されているようだ。
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まぁ、彼の国は強さが無いと生きていけないくらい厳しい環境もあって、そういう意味ではストリートスナップもかなりエベルギーを使う。
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今回アップした2枚の写真は過去のもので、DXO PhotoLabの補正力で蘇っているけど、特に2枚目のモノクロはEOS kiss X6iで撮ったものだから、10年前の写真とかも再現像しようか・・と考えてしまった。
人が溢れる香港と比べたら日本は?って思ったのもコロナ前の事で、今やオーバーツーリズムが問題になるほどの観光客増加で、中華街もなかなか大変な事になっている。
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今回はそんな人の数を見せるのではなく、曲がって立っている電柱を狙ってみた。
この関帝廟通りは電柱があって昔の本通りに近い姿を見せているが、それにしてもここまで曲がっていて大丈夫?って思ってしまうのだけど。
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それでもウィークデイだと、ちょっと離れれば人は減る。
だが、観光客が通り過ぎた後に、食べ歩きした後に出る容器等を放置していく人は多くて、対策に苦慮しているのは飲食街から離れてもある張り紙の多さから想像できた。
でも、観光客の多くがそれを求めるなら対応して商売するのが中華街スタイルなワケで、人通りが多いからと開業したニッチな商品を出す店舗は客が入らず、撤退を余儀なくされるのもまた、中華街の常識になってきた。
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コロナ禍で営業を辞めてしまった飲食店が多くあり、その空き店舗に占い店や食べ歩き用食品販売店が入るのは、正に観光客のニーズが高いから。
その結果、食べ歩き用食品の数やバリエーションは増え、以前の様に椰子の実ジュースや天津甘栗が流行った様な猫も杓子も同じ商品で勝負する形は減っている。
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この話題を書くと長くなるのでやめるけど、特にゴミ問題は大きいので地域住民としては、飲食店で飲食を楽しんで欲しいと思っている。
でも、面白いと思ったのは、中華街本通りと関帝廟通りの2本をメインにしたエリア以外は、かなり観光客の数は減ってしまうこと。
そしてそんな場所には、こんな店もあったりする。
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昔はもっと多くの商店があった。
八百屋や鮮魚店、調理器具を売る店や電気屋、文房具屋や薬屋なんかもあったけど、今や建て替えやマンション化が進み、中華街の周りも景色が大きく変化した。
明治の時代この辺りは各藩名を町名につけていて、その名残として通称で「加賀町」「薩摩町」「九州町」が残っている。
(加賀町警察署・横浜市営バス「薩摩町中区役所前」バス停・九州町通りなど)
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古くは外国人居留地でありその後は港町として船員相手の飲み屋があって、中華街も「南京町」と呼ばれていたが、その呼び方を知っている人はかなりの高齢者。
昭和30年に建てられた牌楼門(現在は建て替えられて善隣門となった)に中華街と書かれた事から徐々に中華街と呼ぶ人が増えたが、私の親の世代は南京町と呼んでいた事を思い出す。
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堀割川があって艀が浮かび、食品加工工場(鶏肉加工等)や同潤会アパートがあって、裏の小径を歩くのは恐怖その物だったが、こうやって堀割川方向を見れば暗渠の上に作られた駐車場が見え、如何に時が流れたかを再確認させられる。
日頃見ていると変化に気づき難いのは仕方無いけど、こうやって日々、特に撮るべき対象が無い風景でも撮っておくだけで時がその価値を高めてくれる、と今は思えるしエネルギーにもなっている。
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生活エリアに向かう小径も、デコレーションしてくつろぎの空間を持つカフェへ誘う工夫がされたり・・と、中華街もその姿を変えてきた。
この路はオリジナルデザインでブランド展開しているアパレルがやっているカフェへのエントランスで、その世界観を反映させた造りになっている。
そのブランド名は「ROUROU」。
オーナーデザイナーは横浜出身で、「ネオアジア」をコンセプトにこのブランドを立ち上げた。
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横浜は港町故に実力だけが自己の証明となる社会が醸成され、日本初な物も多くある中で、新しい流れを作る機運が高い土地でもあると感じているが、このオーナーもオリジナルである事を大事にしたのだろう。
それにしても、こうやって定点観測的に中華街を撮っていると、コロナ禍前と後で街の姿が大きく変わりつつある事を感じてしまう。
メディアがマスコミからWebメディアにシフトするように、飲食や観光地も新たな姿にシフトしていくのかも知れない。
あ、でも、自分が立つ足元はしっかりとしないとね。
よく見ると、ちゃんと自分が積んできた経験が象る何か、があったりするからね。
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