客観視
住み慣れた地域の街撮りで一番難しいのは客観視。
見慣れた風景の中にある面白さを見落とすのは、既にある物として記憶しちゃって
いるからだろう・・と勝手に思い込んでいるけど、実際毎日見る景色の中で
目に付くのは、いつもと違う事ばかり。
旅行に行けば、見慣れた風景はないので、単純に面白いと感じた物が切り取れる。
写真は京都の料理店にあった犬矢来だけど、横浜ではここまで見事なものは見たことがない。
これもきっと、この店の前を毎日歩いていたら、なんの感動も無いまま通り過ぎてしまうのだろうけど、代わりに日常の中にある変化にはツーリストより敏感に見る可能性はある。
なので、いつの頃か街撮りには人を絡めるようになってしまって、人と街との組合せを楽しむのがスタイルになってきた。
観光地であっても日常はあり、地域住民はその地ならではの姿でそこにいる。
それは旅行先でも変わらないのだが、土地柄が見えてくるのが面白い。
私のホームフィールドは横浜。
ずっと横浜に住んでいるので、街の変化はしっかり記憶できている。
ある時期まで横浜は、明治からの空気を持つ部分と高度成長期によって新たに
組み立てられた部分が混在し、街並みを上手く切り取る事で魅力的な写真にも
なってきた。
だがそれも、一気に古い建物が消え去り個性が無い姿にシフトしだすと、慌てて古い建築を保全しようという流れも生まれ、どこかチグハグな姿で今に至っている。
そんな街並みだけを被写体にしたら街撮りは続かなかったと思うけど、人を絡める事で興味を持ち続ける事ができたので今も撮り続けられるのだけど、新しく建てられた建物が、どこか東京的だったりアミューズメント施設っぽかったりするのは、何故なんだろう。
客観視で見つける光景に、街の所在地の説明は要らない。
一目でどこかわかったり、その1枚で大概のことがわかるような写真は、
仕事としては求められやすい構図。
でもプライベートで撮る写真は、その日その時見つけた自分にとって必要な光景だから、その中に説明として入れる要素は考慮しなくていい。
そうやって写真撮り続けていると、自分の感情がしっかり写っている事に気付けるから、写真を撮る行為は面白いと感じるのだろうね。