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健太しゃちょうの富士の野焼き そして暮らしと農業考
2025年2月1日。東富士演習場において一斉野焼きが実施された。ワタシ、こと勝亦健太=かつまたファーム株式会社代表取締役も、入会組合員の一人としてこの作業に参加したのであった。
※入会組合とは、かつてその土地で生業を行っていた実績を持つと認められた地権者たちにより作られた組合である。防衛庁に土地貸与をする前は、農業資材としての茅類や、山菜の採取を生業の一部としておこなっていた者の末裔と言える。
さて、東富士演習場というおよそ一万ヘクタールに迫る日本最大級の茅(かや)野原がある。ここは日本最大の建材用茅の日本トップ産地でもある。我々が今回作業を担当したのは、そのうちの2800ヘクタール。東京ドームに換算(東京ドームを一つ4.7㌶とする)約600個分の面積を、毎年毎年焼くのである。もちろん残りの面積も、ワタシの所属とは異なる組合によって、野焼きを施される。
「なぜ」とか「いかに」という話は既に一連の投稿の中で説明しているので、詳細には述べないが、「害虫としてのダニ(ツツガムシ)」の駆除」が第一義であり、第二、第三義として、野火の災害化の抑制や、良質な茅材採取の助けとして、という目的もある。が、重要なのは第一義なのである。
今回は「暮らしと農業」の関係性について考えてみる。
生活の中での分業は近代化の中で進み、留まることなく進展している。かつての食料生産、つまり農業は、ほとんどの場合「家業の一部に組み込まれていた」ものが、次第に「稼業」との分離が進み、あるものは製造に携わり、あるものは流通に、あるものは販売、あるものは行政に、その時間労力の配分を集中させることで「稼業」としての効率化を進めて来た。食料生産たる「農業」は、それを専門とする「生産者」にお任せをする、という分業が進んでいったわけだ。いつから、と定義するのは難しいが、祭祀を専門とする専門職が生まれたのははるか弥生時代からであるだろうし、平安には貴族が生まれ、鎌倉には職業武士が生まれ・・・。人類の発展と共に、この「分業分離」は度合いを高めてきたが、令和の今日現在も留まることなく、この分業分離は進んでいる、と言って良いと思う。
この分業分離の善悪をここで語るものではない。ただ、私たちがもう一度確認しておかなければならないのは、「私たちは、他人の『業』についてはリアルにイメージしたり、肌感覚も含めて正しい判断をするのは困難」である、ということ。
これって、説明が必要だろうか?一応します?
私が自分の生業として経験があるのは
①音楽演奏
②教育・教員
③農業生産
の、3つで、この3業態については、ニュースや業界内の変遷を耳にしても「なるほど、それは良い改善だ。より業界の発展が期待できるだろう。」とか、「相変わらずの混迷を続けているな。これは現場は苦労しているだろうな。」などと、おそらく「頓珍漢」な判断をせず、ことを見極めることができると感じている。
他の業態の話、となると、自分が「頓珍漢」なのかどうか、その判断も危うい。知りもしない業界のことを考える、というのは、そもそも判断材料が乏しいのである。誰しも精通していない分野において、評論家を気取る際に、己の頓珍漢を晒す場面がある。
そんなわけで。
今回は私が考える際に、材料が比較的豊富な話題。農業と暮らしについて。野焼きという行事を起点にして考える。
農業と暮らしについての考えを簡単にまとめておこうと思う。
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さて、今2025年の2月。
2024年からの流れで、社会全体の「農業に対する眼差し」としては、例えば・・・
「令和の米騒動」
急にお米が品薄になった。値段も爆騰。一体どうなっているんだ!中間業者の中抜きか!?それとも政府が農家をないがしろにしてきたしっぺ返しか!?
こんな意見、感想が噴出している時期である。
そして、その部分も今回は掘り下げない。
ちょっと関わる程度に留める。
今回のテーマは、「農業は、未来の都市デザインとは不可分」というハナシ。
そもそも論だが、この国における農業用地は、都市生活区域と近接していたり、交互に入れ乱れている、というケースが多い。
ウクライナやブラジルの農園の映像をご覧になったことがある方もいらっしゃると思うが(ほんとか。笑)、大規模効率農業生産が実施されている国柄においては、都市生活区域と農業生産区域は、綺麗な分離をされていることが多い。農場の風景は、地平線まで農場であり、都市の風景には農地が紛れ込んでこない。
振り返って我が国を見ると。
昭和から平成までサラリーマンとして活躍した父母世代が購入したマイホーム。窓を開けたら田んぼ。あるいは徒歩圏内にまあまあには農地が見える。車で10分圏内には、そこそこまとまった田園地帯もあったりして・・・。
これが大半の日本でしょう?
あるいは本格的な農業生産地を訪ねても、非常にまとまりの良い大規模農業地域であっても、非農業者の生活区域ときれいに分離されているケースはほぼ見かけることがない。ちょっと車で移動すれば、あるいは徒歩圏内にも、非農業者生活区域が隣接している。
例外となるのは、北海道、それも一部地域だけではないかと思う。
若干冗長になってしまったが、何を言いたいかと言うと、この国では、基本的な生活デザイン、都市デザインから、農業用地を完全に無視・分離したデザインは不可能なのだ、ということなのだ。それがこの国の国柄である。
人口減少や、農業の担い手が減少していく今後の予想の中で、私たちはよりコンパクトで、経済性と持続性の高い都市デザインを模索しながら、「都市の再構築という名の撤退戦」を進めていかなければならない。
「戦」という表現をしたのは、農業を肌感覚で知っている人間からすると、現場には「自然と人間の戦い」があることを知っているから、と申し上げておこう。
弥生時代から連綿と続く、日本人の、農耕を基盤とした発展。それは、「自然に対する侵略戦に、着実に進めて来た勝利の連続」であった、と言って良い。森を切り拓き、山を平らめ、水を引き、他の生命を押しやり、糧を生んで、子を成す、増やす。
人口増と生活圏の拡大は、自然との戦いの中において、勝利の言い換えである。
ここで、少なくとも我が国ニッポンにおいては、有史以来初めて、戦況の劇的な変化を迎える。
「人口が、減少に転ずる」。
人口が減少に転ずるとは、我々の種にとって、それくらいインパクトの大きい事件なのである。
人口が減少に転ずるということは、食糧需要もまた減少していくということを意味する。
それは必要とされる生産量も、農地の面積も減少することを意味している。
ここで、ワタシとは逆に、「農業に肌感覚が届かない皆さん」の多く、つまり別種の稼業を営まれている皆さんは、例えば・・・
「経済性に劣る田畑ならば森に返してしまえば良い。」
とか。
「知らん。そのまま放棄して何か問題があるのか。無理に公の財政出動して、需要の無い農地や農家を守る意味が分からない。」
というような意見を開陳するのを見かける。
ところが、そんなに簡単な話では、当然、ないのである。
なぜかって。
人口増や、食糧生産増という、時に緩やかに、時に急速に人類は領土拡大に成功。「自然への侵略戦に勝利する経験」しか持たなかった我々日本人、及び人間は、「撤退時に、上手に撤退が行えるような仕組み」を持たない都市デザインをしてきてしまった、という、まあ、仕方ないのだけれど、今直面する宿命とも言える課題を抱えてしまっているのだ。
では現場からのお話をする。
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行政(市役所)からの依頼で、「ここだけはなんとか勝亦さんのほうで耕作放棄地解消に取り組んでもらえないだろうか」というような依頼をもらった。もう4年も前の話。
戸数にしてざっと30戸ほどの集合住宅街が、我が市にある。おそらく昭和の最後か、平成の初めころに整備された区画なのだろう、と推測する。
それより前は確か森であったはずだが、さすがに記憶が定かでない。
また、住民は、ほぼ100%、農業でない仕事を生業としている方たちである。
この住宅地が、ぐるり一周農地に囲まれているのだが・・・。
彼らが整備したこの区画を買い求めた、「経済及び人口推移で、斜陽前の日本」においては、農業全体も、小規模農業者も含めてまだ、元気だったころであった。
閑静な住宅街は、手入れの行き届いた水田や畑に囲まれていた。その農地の絵面自体が、生活区画の「デザインの一部」として、上質なクォリティの形成に寄与をしていた。また、その穏やかで行き届いた田畑の向こうには雄大な富士山の姿が、これまた素晴らしいデザインとして組み込まれ、成立していたのである。田植え時期、我が街の水田に写り込む「逆さ富士」の絵面なんてね、そりゃあ素晴らしいもので、親戚友人招待して、披露したくなりほどのものなのですよ。
ところが、である。
平成の初めころから、小規模農業経営はどう考えても赤字にしかならず、この土地に生き残り、存在していた「兼業農家」の農業からの撤退、本業・稼業への専念、伴って発生する耕作放棄地、というコンボが、目を逸らせないほどの速度で進行を始めた。
気が付けば、閑静で景観に恵まれた近代的な田園風景+地域資源である風景セットの住宅街は、一転して耕作放棄のジャングルに囲まれた「鬱々とした隠れ里」の様相を呈するようになってしまった、ということなのだ。
自然と、人間の暮らしの境界で生業を営む我々農業者の目から見て、非農業者の皆さんには、声を大にしてお伝えしたいことがある。
「人間と自然の共存」というと、とってもキラキラした字面で、我々が目指すべき絶対善の美徳のように聞こえるかもしれないし、多くの人が憧れるスローライフの根本理念のように感じられてしまいます。
だが実際には、「自然は、人間という特定種族との共存を望んでなどいない」ということを知って欲しい。そこにあるのは「互いのテリトリーを奪い合う侵略戦」があるという事実。自然って、人間に対してはちっとも優しい存在ではないのである。
さて。本稿は東富士の野焼き、という行事を起点にして、論をスタートしたわけだが。
ぐるり耕作放棄のジャングルに囲まれた住宅街。ここでの生活者が受ける最大の自然からの驚異は、第一が「ダニ」なのである。我が街で特異なのは「ツツガムシ」と言われるダニの1種となる。
自然が人間を優遇して可愛がり、ダニを疎んじて遠ざける、ということはない。こいつらはウイルスや熱性病を媒介する、人類にとって危害度上位に属する「害虫」である。
もう一度言いますが、我々入会組合が、千、万に及ぶヘクタール数の茅野原を毎年焼き払わなければならないのは、このダニの駆除という手を止めることができないから、なのである。
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ダニ達もまた、我々とは違う視点、起点から、「侵略戦」を繰り広げている。常にその生息域の拡大を目論んでいる。
我が街の耕作放棄地は、その近接度に由来し、まずもって「茅」を一番手としての荒廃を進める。そしてジャングル化する。なかなか「茅」をイメージしにくい方もいらっしゃるだろうが、まあ、「すすき」である。都市生活者のあなたが今、すすきと聞いて、ふと脳裏にイメージした「中秋の名月」に付随する風流な植物。それはこの植物の、ほんの一側面に過ぎない。
草丈は2mを優に超える。繁殖が早く、あっという間に視界をふさぐ。その葉は鋭利で、群落に進む際には素肌を晒すことはタブー。また巨大な根塊を形成し、一度繁茂すると、地上部を刈り取った上でのトラクターなんかでは歯が立たない。土木用重機出動での抜去が必要になる。
住宅隣接農地が放棄された場合、一番悩ましいのが「ダニ達の新規進出先」になってしまう、ということなのである。
窓を開ければジャングル。風景を遮断し、住宅の採光度を下げる。そこにはダニの繁殖。とても安心して子育てができるような環境ではない。定期的に自治組織などで草刈りを行えば、茅の繁茂の抑制くらいはできようが、真夏に長袖着用(鋭利な葉とダニへの防御)での草刈りは、経験者であれば、どれくらいの過重度であるか、想像に難くないと思う。
このケースの住宅街の自治会も、数年に及んで、「草刈りによる徹底抗戦」を試みたが、押し寄せる高齢化や、決して収益にはならない過重労働の果てない連続に、ついに抗戦を断念した。そして静かに朽ちゆく密林の隠れ里に・・・。
なりつつあるところで、行政から救助要請があった、というワケである。
そりゃー感謝されましたよ。けど、このケースはワタシのほうの、善意と持ち出しがあった感は否めない。そういう解決方法には持続性や再現性が無い。低い。
では、この農業者によるヘルプがなかったらどうなったか、ということは、非農業者の皆さんにもイメージしていただきたいところである。
止められない耕作放棄と、「最悪なんだけど、ホント実際にありうる最悪のシナリオ」を示してみよう。前提は自治体ごとの人口減少と税収減少。
スタート。
耕作放棄地に囲まれた住宅街は著しく生活品質、環境品質を低下させることになる。
さすがに、購入世代がその持ち家を捨てて出ていく、とまでは考えにくいが、息子夫婦は都市生活の中心から距離のある荒廃地の住宅ではなく、より繁華なエリアへの転出を図るだろう。子供も小さい為、「安全」や「気持ちの良さ」を優先するのが、親の心というものだ。
人為的に作られた小さな住宅街は急速に過疎をはじめ、生活インフラ維持負担感や自治組織維持の過重感も同時に上昇し、離脱者の増加も抑制が効かなくなる。
こうなるともうこの住宅街自体の放棄は近い。
住宅街の放棄が行われると、隣接する別の住宅街と共用されてきた、電気・水道・下水・道路舗装などの生活インフラの負担、出費的負担を、残された住宅街に丸ごと押し付けることになり、連鎖的に負担感を高めていく。
やがて、行政が維持管理するインフラコストも税収でペイ可能な範囲を超えると、市民と行政が膝を突き合わせて「まるごと生活放棄地」を決断し、「自然に返納」、「私たち人類の管理下からの放出」を行わなければならないステージに到達する。
これ、悲観的に過ぎますか?
ワタシはそうは思わないし、これが今私たち日本の市町が「当然のように」辿る道筋だと考えている。
断っておきますが、ワタシ個人の意見としては、「生活圏も含めた農業用地との一括放棄」が悪い、とは思っていないのです。
投資と回収のバランスが崩れたのならば、一括放棄は当然取るべき手段の一つだと考えている。「ぜひ、公費を投入して、全ての農地を守って欲しい」などとは、露ほども思っていないのだ。ワタシは農業者ですけども。
「農業は、未来の都市デザインとは不可分」と既に申し上げた通り。
どこを捨て、どこを守るのか。という問題と、ワタシたちはこれから向き合っていかなければなりません。
この不可避の課題について、ワタシたち農業者はリアルに、肌感覚で感じているけれれども。
非農業者の皆さんはどのように感じていますか?
農地の管理従事者(つまり農業者)も、間違いなく頭数自体は減少していくので、全面防衛は諦めていただきたい。食糧生産は心配不要です。少人数の従事者が、より効率化を図って生産を維持していくことを想定するほうが、経済的にも妥当ですし、持続性が高まります。
むしろ、これは「非農業者の問題」なのだ、ということをお伝えしておきたい。
非農業者は、広大な面積を荒廃を避けて維持管理する機械もノウハウも持っていないが、そこで生活をしなければならないのです。
そうなると。
非農業者が自らの生活圏の荒廃や一括放棄を「避けたい場合」、上手に農業者を誘致する必要があります。農地の不都合や、区画規模の小ささなどを解決して、貸し出してでも誘致を行うべきでしょう。私自身、このケースの誘致、申し出、他の自治体からも、プロポーザルを定期的に受けます。
田んぼ大きくするよ!借地料も安くする!だからけんたくん!この農地お願いしたいよ!ってケースである。他の自治体からヘッドハントされるのです。
これは、そのエリアの住民が、農業者も含めて、10年20年先の自分の街のデザインに取り組むことができた例です。手放す、入れ替える、整備する、任せる、集約するなど、それなりの一大事業ですが、ある程度のタイムリミットを意識し、「間に合ううちに」取り組む必要があります。手遅れになる、というケースも十分あり得ます。
また、一括放棄を「避けない場合」というのは非常に簡単で、なにもことを起こさず、なにも考えずに待ちの姿勢でいれば自動的に一括放棄に向かっていくので、そのまま座して待てば良いでしょう。
ただし、一番私が危惧するのは、この「避けない場合」というケースが、きちんと主体的な判断で事態を放置、やがての放棄を覚悟して上でのことならば構わないが、実はそんな風にはならず、住民たちが進退窮まった際に及んで、「こんなことになるなんて思わなかった!」、「こんな事態になるまで放置した行政が悪いんだ!」と騒ぐ。そして「だからなんとかしろ!(公費投入で問題を先送り、あるいは解決しろ、という意味)」と訴え始めるという事態。
これが困っちゃうのですね。
すでに人口減に伴う税収減は避けらない確定事項。増税すれば収入は増やせますが、さらに人口減は進むでしょう。基本的に人が減れば税収は減ります。より目減りする財源を、回収不可能な目的に投入することは、どんどん難しくなるわけです。選択と集中は避けられなくなるのです。
その時になってから行政を責めたってしかたありません。彼ら、彼女らは「分業により、市民を代表してその職務に当たっている」に過ぎず、市民一人ひとりの見識を大きく上回って、先読みして、先回りして課題を解決する人々ではないのです。
逆を言えば、市民一人ひとりが取り組む課題解決や、問題意識には寄り添い、解決の進行を代行してくれる人たちではあります。
さあ、非農業者の皆さん。なにから始めますか?というハナシなんです。
ナニをワタシたち農業者に期待しますか?というハナシ。
どちらが主でもなく、従でもなく。
一緒に・・・
「農業は、未来の都市デザインとは不可分」という前提に立って、これからについて考えていけると良いですね。
もう一度だけ言っておきますが、ワタシたち2025年に生きる日本人は、祖先たちが味わったことの無い「自然との戦いにおける撤退戦」という未曽有の局面に立ち向かっていかなければなりません。問題や病徴そのものは既にいたるところで表面化を始めています。
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東富士の茅の原は、石混じりの砂地で歩くのもしんどい。高齢化した入会組員に混ざって、火をつけては歩き、歩いては火をつける。火は巨大な火柱でワタシたちの顔を炙りつつ広がり、また消え。ワタシたちはまたつけて、と繰り返す。広大でドラマチックな風景がそこには広がっていたわけですが、ワタシはそんなことを考えていたのでした。