子供の頃の病気に対する認識・理解
思い返してみると僕は物心がついた頃から小さいなりに自分の病気について理解していたのだと思う。
それこそ自分が病気だということを理解する以前から自分に対する周囲の大人の態度が違うのは気づいていたしそういうことは敏感に感じ取れるものだと思う。友達と走り回って遊んでいるだけなのに心配そうに見つめる人もいれば好奇な目で見ていた人もいた。両親からもあまりに走り回っていると躾とは別の意味で怒られることもあった。
小学校に上がると自分が他の子とは違うことをさらにはっきりとした形で知ることになる。まず校長先生をはじめとして担任になる先生と体育の先生と両親が面談して病状の説明を新年度が始まる前に毎年行っていた。さらにクラスにも先生の方から簡単に説明をしていただいていた。幸いなことに病状が極めて良かったためにクラブ活動や運動部への入部は医者から禁止されていたが体育の参加は認められていた。そこではとにかく無理をしないこと、疲れたら自分から申告して休むこと、心臓がドクドクしてきたら立ち止まることなどのルールを定めての参加だった。これが守れなかったら体育をはじめとする一切の運動を禁止すると医者には言われていた。また「頑張れ」という言葉は絶対に禁句で、他の子には掛けていた「もう少し頑張ろう」や「もう一回頑張ろう」という言葉は僕に掛けないということを体育の先生は両親との面談で約束させられていた。
普段の学校生活で自分だけ違う扱いを受けていれば自分が他の子とは違うのだということははっきりと認識する。それは目に見える形でも。胸の手術跡も自分としてはその姿の自分しか知らないわけで何も違和感がないが、体育などで着替える時にどうしても目立ってしまい悪気なく聞いてくる子もいる。それがどこか面倒になり手術跡が見え難いシャツなどを着るようになってしまった。
病気に対する理解も自然と身についてしまったのかもしれない。僕が幼少期を送ったのは20年以上も前で今のようにネットで情報が得られるわけでもなかった。よって家には両親が購入した小児心臓病に関する書籍が何冊もあった。自分の病気の章には付箋が貼られていたり、線が引かれていたりしてそれを興味本位で読むこともあった。また、毎年の検診は最後の先生による説明の際にも自分から積極的に質問をしていた。それらは純粋に自分の体・病気について理解したいという好奇心から来るものだったのかもしれない。
最後に、小学生の時に一番気にしていたのが緊急時にいかに病気を正確に伝えるかである。幸いそういった機会は訪れなかったが、小学生が病名などをはっきりと覚えて伝えるのは無理がある。普段の生活は自分が気をつけて調子が悪い時は多少ワガママと思われても自分の主張を通せばどうにかなるが、万が一の時にはそうもいかない。そこで僕は物心がついた頃から小学校を卒業するまで外出時には必ず胸からお守りの入った袋を首からぶら下げていた。ポチ袋サイズのその袋には緊急連絡先とともに病名、手術歴、血液型などが書かれていた。もしもの時はそれを見せるために。