「『おばけなんてないさ』の本当の怖さ」
誰でも一度は歌ったことのある『おばけなんてないさ』ですが、この曲で表現されているのは、
①おばけ(怖がるべきもの)の存在を否定して安心しようとする心理
例;歌詞の『おばけなんてないさ おばけなんてうそさ』
②おばけ(怖がるべきもの)の存在を認めたとしても、それを実際よりも怖くないとみなすことで安心しようとする心理
例;歌詞の『ともだちになろう』(おばけを友だちになれる存在とみなすことで、安心しようとしている)
です。
そういった心理がどのように生まれるか以下に解説します。
乳幼児の記憶は、個人差もありますが、0~4歳くらいまでの間に、
Ⅰ、感覚的・運動的な記憶(0〜1歳半くらい)。
Ⅱ、イメージとしての心の中に取り込まれた記憶(1歳半くらいから)。
Ⅲ、言語で表現した記憶(4歳くらいから)。
というように、より意識的なものへと発達していきます(もちろん新しい記憶の仕方が出現した後も、前の段階の記憶の仕方も使われ続けます)。
この記憶の発達の過程で、幼児は、心に入ってきた情報(画像や音声等のデータ)を言葉(テキストデータ)で表現すると、情報が圧縮され、さらにシステム化された言葉のネットワークに組み込まれますので、覚えやすく、さらに思い出しやすくもなることに気付きます。
(言葉の発達が早かった子が、後々、小さい頃のことをよく思い出せるのは、このためです)。
さらに、「あってほしくない」と思うものに対して「そんなものなかった」と言葉で自分に何度も言い聞かせたりするうちに、幼児は、言葉で表現された記憶は、言葉によって改ざんできることに気付きます。
(そして記憶を再生するときは、言葉での記憶を骨格とし、それにその他の断片的なイメージや感覚的な記憶を肉付けして、情報が再構築されますので、覚えたときになかったイメージや感覚的な記憶もいろいろ混ざります。
そうやって作られた記憶が実際の出来事と違うものとなったとき、これを心理学では「虚記憶」と呼びます。
イメージや感覚的な記憶は、言葉と違い、システマティックに整理整頓されずに蓄えられてますので別の記憶と混ざっても気付きにくいのです。
このため、例えば警察の取り調べなどで、無実の人が「お前がこんなふうにやったんだろ?」等と言われ続けると、やってないにも関わらず、自分がその犯罪をしたという虚記憶が形成され、「私がやりました」と言ってしまったりします。)
かくして、幼児は、この歌にあるように、「あってほしくない」ものに対しては「○○なんてないさ」「○○なんてうそさ」を自分に言い聞かせるようになります。
そして、どうしても、その存在を認めざるを得なくなった場合は『ともだちになろう』と、言葉で現実をより怖くないものと捉えなおすことで、安心しようとします。
この「自分に言い聞かせる(セルフトーク)」テクニックは、言葉で世界を記憶しなおしたり捉えなおしたりすることで自分の感情をコントロールするという側面もあります。
また、正しく使えば偏見や差別的感情などをなくしていくために用いることもできます。
しかしながら、「本当に恐れるべきもの」があるときに、この言葉の働きが使われると、問題が放置されることになります。
最近メディアを騒がしている某芸能事務所の問題が長いこと放置されていたのも
①そんなことがあったなんてただの噂でしょ?本当はなかったんでしょ?(存在を否定)
②あったとしても、ごく軽いものでしょ?噂がひろまるうちに尾ひれがついて、ひどい内容になったんでしょ?(実際よりも軽いものとみなす)
という『おばけなんてないさ』心理が働いていたからではないかと私は思います。
この『おばけなんてないさ』の心理は、他の例でいうと最近「コロナなんてないさ」「あったとしてもただの風邪さ」として、一部でしばらく力をふるいました。
今後も、上記以外の恐れるべきものに対しても「○○なんてないさ♪ ○○なんてうそさ♪」という形で表れてくると思います。
うーん…恐ろしいことですね…
本当にいる「恐れるべきもの」と、本当はいない『おばけ』を正しく区別するのが大事かもしれません。
※『おばけなんてないさ』は作詞:槇みのり、作曲:峯陽の日本の童謡です。引用した題名および歌詞の部分は『』で示しています。