大江戸ぶら歩き 〜世田谷・豪徳寺編〜
江戸時代の大大名の菩提寺=豪徳寺
渋谷から三軒茶屋で乗り継ぎ東急世田谷線「宮の坂」駅から徒歩で5分ほど歩いたところに「豪徳寺」というお寺があります。
こちらのお寺。江戸時代の大大名彦根藩井伊家の菩提寺となっており、「安政の大獄」「日米修好通商条約の締結」そして「桜田門外の変」などでも有名な大老・井伊直弼もこの豪徳寺に眠っています。
なお、彦根藩の領地の大半は、現在の滋賀県彦根市を中心とする滋賀県北部地域ですが、飛び地として、現在の世田谷区一帯も彦根藩の領土として幕府から与えられていました。世田谷と彦根の意外な関係性も興味深いです。
豪徳寺の参道。立派な松並木が迎えてくれます。
外国人観光客にも人気!
井伊家の菩提寺としても有名な豪徳寺ですが、こちらのスポット、外国人観光客にも有名で都内の人気観光スポットとなっています。
人気の秘密は、こちらの「招き猫」で、寺内には「招福殿」と呼ばれる建物があり、そこには至るところに招き猫さんの軍団がいらっしゃいます。
灯籠の中にも招き猫が。。
様々な言語で描かれている絵馬。国際色豊かです!
招き猫発祥の地
なぜ、井伊家の菩提寺が招き猫発祥の地なのでしょうか?
それは、江戸時代初期、彦根藩2代藩主「井伊直孝」が鷹狩の際 (現在の目黒や世田谷は江戸時代は都市化されておらず、絶好の鷹狩スポットでした)、住職の愛猫「たま」の招きにより門内に入ると天気が急変、雷雨となり近くで落雷もあったそうです。
直孝は「たま」のおかげで落雷を免れた!この伝説から、「幸運を招く猫」として、招き猫と言われるようになり、豪徳寺が元祖「招き猫」の寺として有名になったそうです。
井伊直弼の墓
歴代彦根藩主で、江戸参勤中に死んだ藩主は、この豪徳寺で埋葬されることとなっていました。桜田門外の変で暗殺された井伊直弼もこちらで埋葬されており、現在も直弼の墓に参拝することができます。
日本を開国へと導いた名君:井伊直弼。彼の評価には賛否両論がありますが、後に日本が急速に西洋諸国との交流を深め、近代化を成功した歴史から考えると、非常に先見の明があったと言えると思います。
彼が眠る菩提寺にたくさんの外国人観光客が訪れる現状を最も喜んでいるのは、直弼自身なのかもしれません。