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ポストモダン回顧と現在(ポストモダンの多様性批判_2)No.4

ポストモダンの多様性には、明確な限界があった。それは、ティモシー・モートンも示唆しているように、多様性に境界を引く反多様性のモーメントである。多様性を称揚する主体が、多様な要素の上位にいることから生じる多様性に荷重される制限(集合化)である。それは、多様なものを認識の基礎に据えたカントにもある、多様性の囲い込みとまったく同じ心的機制である。
これに気づいていたホミ・K・バーバは、それを回避する理論的仕組みを考案した。それは、主体と他者の間の二重の境界線である。主体と他者という主体が持つ二つの境界線(主体の意識と対象の間の境界)を重ね合わせて、その間に位置する領域(狭間)を想定、構想する。この主体と他者の中間で培われる微妙な二重意識(双方向ではない)が平等の戦略である。
この仕組みによって、どちらの主体も、互いの他者の優位に立つことはなくなる。というより、主体のパースペクティブは他者のパースペクティブの裏打ちがあって、初めて主体同士が、上下ではなく平等の関係を築くことが可能になる。この二重の境界線を実行できるのも、バーバがカントのような主体/対象の二元論に依拠するマジョリティ(植民者)ではなく、二重の境界線をいやというほど経験させられたマイノリティ(被植民者)に属しているからなのだ。
このように、バーバのような他者をもう一人の同等の主体として扱うことに習熟している人間を、真のマイノリティと呼びたい。
さて、多様性のポストモダンは20世紀末から21世紀にかけてグローバル化されることで、多文化主義を生み出された。これはポストモダンの一つの到達点の精華ではあったが、上述の多様性の制限ではない多様性の別の瑕瑾を刻印していた。それが、多様性の境界ではなく、多様性の物象化的硬直である。多様性を構成する各文化が制約を受けるのではなく、自立させることを急ぐあまり、特定の文化的位相の固定を自らに招いてしまうのだ。
日本は極端に言えば、富士山・芸者というような紋切り型の文化に固定される。それによって、多様性に外的に限界があるのではなく、内的な限界を作り上げる。多文化主義は、この硬直化に陥ることで生き生きした文化的なダイナミズム(交流と変化)を失い、2010年までにグローバル化されたアートの世界から消え去った。
2010年代、多様性とカップルであり、それを保障する民主主義が、世界的に広まった全体主義やファシズムの政治的勢力によって、危機に立たされた。もはや様々な制約や欠陥のある多様性すら表明できなくなったのか?
以前からアートは社会(政治、経済)の支配を受けてきた。とはいえ、アートは宗教や政治と手を組み、支配階級に属していたことも確かだ。だから、2010年代は特別ではない。言ってみれば、アートはここ100年間、受難の時代を経験してきたのである。アートを規制するのが、アート自身ではなく社会や政治であることが、アートが歴史の主体(主人)ではなく、その脇役(奴隷)に後退したことを示している。
歴史の主体は、政治に受け渡されたのだ。この状況でアートはどうするのか? 表現の自由が許されなくなった(それに抗議することはまだできるのだが)。この劣悪な立場で、アートはどう振る舞うのか? 2010年代の社会の支配者はポピュリズムの主権者つまり大衆である。彼らはアートに関してまったく無知である。その無知がアートの動向を左右する。
だが、2010年代以降のアートが目指す多様性が、ラディカルな多様性、つまりそれを下支えする民主主義と平等であることを忘れてはならない。ラディカルな開かれた多様性は、民主主義だけでは十分ではない。それに随伴して平等が担保されなければならない。平等があるために多様性が無限に向かって開かれるのである。
これに敵対する社会的勢力のポピュリズムのイデオローグ、ニック・ランドの普遍主義批判を受け入れれば、我々は普遍的であることを主張できない(その必要もない)が、民主主義と平等が実現されている(あるいは実現しようとしている)他のローカルと結びつくことは可能だ。
我々の民主主義はラディカルな多様性であり、それは主体(大きな物語、限界のある多様性の言説も含まれる)ではなく、主体と他者(小さな物語)の間(間主観ではない)のダブル境界にその活動の拠点を据えるので、普遍(主体)でも個別(対象)でもない。言い換えれば大小の物語ではなく、その中間の物語に住まう平等な民主主義である。
見出しの写真は、今年のシドニー・ビエンナーレに参加したIltja Ntjarra / Many Hands Art Centreの作品。
下の写真は、Nicholas Galaninの作品。

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