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なぜ私は日本一のコーチになれないのか?「日本一」を掲げるリスクについて
皆さま、こんにちは。
エグゼクティブ・コーチ&リーダー育成家の林健太郎です。
この記事では、なぜ私が日本一のコーチになれないのか、というちょっと刺激強めのタイトルを掘り下げてみたいと思います。
私の頭の中をダダ漏れさせる内容に仕上げてみますので、ご興味ある方はどうぞ最後までお付き合いくださいませ。
【理由その1】”日本一”ってなんやねん?
私たちが生きている令和の世の中は、ネットを見ても、テレビを見ても、”住みやすい街ランキング”やら、”美味しいレストランランキング”やら、やたらに順位付けをすることがもてはやされているように思います。
コンテンツを作る側からすると、ランキングを発表していくスタイルは最後まで見たくなる、つまり途中離脱が少なくなるので、作ったものを最後まで見てもらえる可能性が高く、メリットが多い手法だと思います。
そんなこともあって、私たちの頭の中では「一番になる」ことは優先度合いの高いことである、ある意味洗脳されていると考えてもいいのかもしれません。
私がコーチングをしている中でも、お客さまが「日本一の○○になりたいです」という発言をすることは結構多くて、その度に私は「日本一ってなんやねん?」と言葉に出さないツッコミを頭の中で呟いていたりします。
そんな私も、どんなコーチになりたいですか?と誰かに問われたとすると、自動的に「日本一のコーチになりたいです!」というフレーズが頭に浮かんできて苦笑いする時があります。
相手にとても分かりやすくて、「おお!さすがですね、いいですね〜」という反応をいただけるので、都合の良い言葉だったりもします。
だけど、そんな言葉を頭に浮かべるたびに思うのは「日本一」って何?という疑問。
「日本一ってなんやねん、誰が決めんねん?」と関東人の私が思わずエセ関西弁で自問自答してしまう瞬間です。
そうなんです、この「日本一」って明確なゴールなように思えちゃう言葉なんですけど、反面どうやって定義するのかが曖昧な言葉でもあります。
何を持って「日本一のコーチ」と定義するのかしら?売り上げ?顧客数?認知度?声の大きさ?動画の視聴数?
例えば、売り上げだとして、多くのコーチの売り上げは非公開なわけで、それを一人一人直接連絡をして売り上げを教えてもらって、それをリストにして自分が一番売り上げていたとしたら、日本一売り上げているコーチと名乗ることができるのかもしれません。
ただそれも瞬間風速的な話で、永続する「日本一」ではない。。
というのもあるけど、そもそも日本のコーチ全員にヒアリングするなんて不可能な話なので、精度の高いデータ取りができないので、私は「日本一のコーチにはなれない」ということが逆に立証されるという話だったりします。
【理由その2】残り5メートルが頑張れない
私は中学生の頃、オリンピック出場を目指していた水泳選手でした。
東京都の大会では出場選手が多いので、だいたい予選落ちだったのですが、本番になると私はいつも同じパターンで負けていました。
それは、最後の5メートルまで泳いでくると、そこから先頑張れなくなっちゃうというパターンです。
選手の頃は、そこまで泳いでくると全エネルギーを消費してしまうので、そこから力が残っていないんだよね、なんて言い訳をしていました。
確かに、それも事実なんだと思うんですけど、試合の時の心理状態って近視眼的というか、目の前のゴールしか見えていないんですよね。
私は100メートル自由形の選手だったので、100メートル泳いでそこにある壁をタッチすれば終わり。という競技を泳いでいました。
オリンピックに出る!みたいな大きな目標があるにもかかわらず、試合の時は100メートルのところにあるタッチ版を思い切り叩いてタイムを出す、ということしか考えられなくなっちゃうのです。
そんな状態で泳いでいると、残り5メートルのところでゴーグル越しにタッチ版が目視できるようになります。
「見えた!!」
と目先の到達点が目視できたその瞬間、私はきっと安心しちゃうんでしょうね。
そして無意識的に失速してしまう。
そんな最後まで頑張りきれないというパターン、大人になってもたいして変わらないのかもしれないなと思うことがあります。
日本一になりたい!みたいなことを言ってるのに、一つ一つのコーチングセッションの終わりの5分は疲れてクオリティーが下がっちゃう、みたいな話かもしれません。
それでは、やっぱりライバルには勝てないのかもな。。
そんなことを思ったりします。
【理由その3】なったらどうなるの?に答えられない
オリンピックの話も、日本一のコーチになる話も、そもそも「なぜ」それになりたいんだっけ?
実は、昔の私はそれに答えることができませんでした。
オリンピックに出たらテレビに出れるとか、日本一のコーチになったら師匠に自慢できるとか、なんかそんな理由は語れますけど、それって「なった瞬間」の話で、テレビに出ることも普通の話になって何もときめかなくなっちゃうだろうし、自慢話も3日もすれば飽きちゃうだろうし、いわゆる気分がいい状態は未来永劫続くわけではないのですよね。
そしてそして、私は、考え方によってはいま「日本一のコーチ」なのかもしれません。
YouTubeでも検索上位に出てくるし、日本の名だたる企業様とたくさん仕事をしているし、学びにくる生徒さんも引きを切らないわけだから、そう考えることができるのかもしれません。
そうやってきっと周りの方は認めてくださる。
だけど自分の中ではいつまで経っても「日本一」ではないという認識の中で生きている。
そしてやっぱりこの問いが生まれるのです。
「日本一ってなんやねん?」
この「日本一」という言葉は一見客観的なデータのように聞こえますが、よく考えると根拠が乏しく、誰かが定義した主観的な基準や規範のことを指しているのではないかと私は思います。
だとして、人が決めた基準に照らして自分を評価することに、私はあまりときめかないなというのは正直あったりします。
そして、一つまた別の切り口でこれを考えてみるとして・・・
私は「日本一のコーチ」になったらどうなるんだろう?
そこの想像力が欠けている可能性があります。
「一番になることは、通過点であって最終到達点ではない」のだと私は思います。
例えば、登山において山のてっぺんは最終到達点に見えるけど、登ったら下山することは避けられないので、頂上は通過点であると考えるのに似ているかもしれません。
山頂まで行ったら、そのあとどうするの?
これを決めておかないと、水泳の残り5メートルで失速するようなことが起きるのだと思います。
方や、下山することが最終到達点だと考えると、山頂までの道のりで燃え尽きてしまうなんてことはなくなるはずなんですよね。
なので、私は「日本一のコーチになる」をゴールにしない。
「日本一のコーチになる」は山頂という通過点で、そこから尾根伝いに伸びる道で何をしたいのか、そこに想いを巡らすことにもっと時間を割きたい。
そんなことを思ったりしています。
目指すものの先にある未来を想像できてる?
これまで、なぜ私が日本一のコーチになれないのかというお話をしてきましたが、これを読んで皆さんはどんなことを感じられましたか?
日本一、世界一、業界ナンバーワン、最も人気のある・・・、など、一見大きくて立派に聞こえるものも、誰かが定めた通過点なのかもしれません。
そして、その不確かなものを目指すと、なんとなく途中で失速したり、満足感を得られなかったりするのかもしれません。
もし仮にその「日本一」が通過点だとして、その先の未来に人生の大半の時間を使えるとしたら、あなたはどうしたいですか?
そんな問いをぜひ、あなたも問いかけてください。
私は毎日それを自分に問いかけるようにしています。
私は最終的に、コーチングという職業が廃れていくという未来を想像しています。
これはつまり、コーチングという手法が世の中に圧倒的に普及して、全ての人類がコーチング的コミュニケーションを取れる世界を私が作る!から、職業としてのコーチは需要がなくなる、ということを示唆しています。
ここに向けて私は毎日進んでいくので、日本一であろうがあるまいが、あまり関係がない、という話なんだと思います。
ということで、タイトルに惹かれて読み始めていただいた皆さま、この記事はいかがでしたでしょうか。
少しでも思考や行動の足しになったとしたら嬉しいです。
いつものことですが、長くて文字数の多い記事を最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
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それではまた次の記事でお会いしましょう。