240615代々木
浮き、ズレ、はみ出、歪み。コイツらのせいで色んな場所でちょっと浮いてしまう。ホームであるはずの場所でもちょっと浮いてしまう。でもそのはみでてしまった部分はとっても大切で、個性と呼ばれるその部分でちょっとだけ目立ったり、少ない人たちと重なる部分として共感に変わって、1mmずつだけどそれが道標となってくれる。そんな”のびしろ”が僕にだってあるんじゃないかって。Rと松永のMC(ラジオ)はいつだってリスナーの内部にあることを、いやまだないかもしれないけど何かモヤモヤしていることを言語化して、音楽に昇華して気持ちよくしてくれる。
Creepy Nutsは最高だ。
実はこのライブの前夜に会社の飲み会、一応僕のチーム歓迎会があった。その飲み会は朝まで続いて、僕はなんとか抜け出して始発で帰ることができた。僕が10年間若さとがむしゃらさという時のエンジンを捧げたフェンシングを心ない言葉で蔑まれ、人差し指を僕の顔の前に発射前の矢のように引きかねて、気持ちよさそうに言葉を発していた。本人も覚えてない間違いだらけの行動で、嫌な気持ちになってしまった。僕が帰りの丸の内線に飛び込めば、それが何よりもの報復になるのではとも考えたが、代々木の玉ねぎの下に立っている二人に会いにいく一方的な約束があったおかげでそんな馬鹿げたことは考えないで済んだんだ。でもね、その代わりすごく嬉しいこともあった。今日も隣にいた友人rが内定貰って就活に一段落ついたらしい。長い戦いだっただろうな。モヤモヤしてただろな。今日来てくれてありがとう。自分以外のことで心から喜べた刹那だったけど、こういうのの積み重ねが結局のところの「生きる力」であってそれは決して大きな塊のようなものではない。また、出来上がったそのものはその人の人生で得た経験や財産以外にも外から来る「貰った力」が絶対にあるはずで、僕はこれからたくさん貰わないといけない人生かもしれない。その力に依存するかもしれない。でもいつか、それを含めて「実力がついた」って勘違いして、自信を持てるようなそんな日が来るといいな。一日を乗り越えるのが精一杯な今だけど、いつだって彼らのべしゃりと音を聞けば、パッと咲いて散って灰になる刹那を生きる。
ことくらいできると思う。思わせてほしい。
首痛えー。俺も流石に年末空けとくわ。