作家と編集の対立構図という一般的な誤解と、エージェントの役割について
以下の投稿は、もとはマンガ編集者である荻野謙太郎氏のtogetterまとめを読み、私のツイッターに投稿した連続ツイートの転載である(一部修正している)。荻野氏のツイートは、ついに現場のマンガ編集者からもこういう認識が聞かれるようになったか、という感慨深いものだった。私は似た認識を、もう10年近く前から発言している。
「作家とマンガ誌の温度差がちょっとまずい域に来ている。マンガ編集が語る出版社のこれから」 https://togetter.com/li/1210081
荻野氏のまとめには、多数のコメントが寄せられていて、その中に「同人誌即売会やpixivのようなネット上の発表の場が整備されている現在、自作を発表・販売するうえで、もはや出版社や編集者の意味はない」というような意見が多く見られた。ここには「編集」という役割に対する広範に流布する誤解があると思ったので、以下の連続ツイートをした次第だ。
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編集と作家は常に対立しているかのように考える向きが多いが、ここには誤解がある。作品を作るのはもちろん作家だが、これを商品に換えてビジネスのテーブルに載せる役割が編集だ。編集者が作品に意見をする場合も、あくまで「ビジネス」の見地から行われるのだが、これが往々にして勘違いを生む。
完全な作家主義の立場で作品を作ろうと考えたら、もちろんそれは可能だが、その場合、販売は別の話になる。自作を金銭に換えたいと思ったその瞬間から編集と版元の仕事になるからだ。よく「編集を抜きにして作家が同人誌で売れば良い」という人がいるが、ここには編集・版元に対する誤解がある。
つまり、作家が同人誌で自作を販売すると、その瞬間に「作家が編集と版元を兼ねる」状態になるだけなのだ。これが世に言う「セルフプロデュース」の正体である。セルフプロデュースができる作家とは、「創作だけでなく、編集と出版まで自分でできる作家」という意味なのである。(同人誌以外では、編集を兼ねる作家がせいぜいだろう。商業出版の領域で個人で出版まで兼ねた作家は、自分の出版社を作った長谷川町子、手塚治虫、さいとう・たかをのような、ごく少数の巨匠しかいない。)
もちろん創作・編集・販売まで作家個人ができるなら、それが一番いいと私は思う。だが、同人誌以外で、現実にはそこまで出来る作家は多くはない。基本的に創作とそれを販売することは、別次元の仕事だからだ。それを羨望する作家がなぜ多いのかというと、それは「自分の創作に他人から口を挟まれたくない」からである。
作家が創作至上主義になることは当然だ。作家は第一に「いい作品を作る」ことに集中するべきなのだ。創作中からその作品を売ることにまで作家が頭を悩ませなければならないとなると、人によってはオーバーワークで、肝心の創作ができなくなる場合がある。数としては、そういう作家の方が遙かに多い。
もちろん、同人誌で満足している人は別である。そういう人は現実に存在するし、下手な商業作家以上に稼いでいる人もいる。それは「セルフプロデュースに成功した人」なのだ。ただし、同人誌の枠を越えて読者を獲得したいと思ったら、どうしても外部編集者の力が必要になる。
作家が創作に専念できる環境を獲得するためには、やはり編集者や版元が必要になる。ただし作家も編集者も人間で、人間同士の付き合いだ。作家が考える「いい作品」と、編集者が考える「売れる作品」が食い違うことは非常に多い。いや、まず食い違う。
私が考える「編集と作家の確執の正体」はふたつある。「人間としての相性の問題」と、「作家をとるか版元をとるかの局面になったら、殆どの編集者は版元の立場を取るしかない」ことだ。編集者は版元に雇用されている人間だからである(これはフリー編集も同じ)。
庵野秀明監督が「新世紀エヴァンゲリオン」を監督するにあたって、スポンサーであるキングレコードの大月プロデューサー(当時)に対し、「大月俊倫個人の意見なら、僕は聞く。だが、あなたが少しでも『会社の顔』をしたら、その瞬間に僕はこの仕事を降りる」と宣言したそうだ。
驚くべき事に、大月氏はこの庵野監督の言葉を守った。エヴァンゲリオン放映中、チーフプロデューサーなのに、作品としての「エヴァ」を大月氏は見ていなかったのである。見たら当然、作品に口を出したくなるからだ。このことを私は庵野氏・大月氏双方から聞いて驚愕した。
常識を踏み越えた作品を作るには、作り手・送り手も常識を踏み越える必要があるのである。実は2万部しか売れていなかったマンガ版「風の谷のナウシカ」を、「20万部」とスポンサーを騙して企画を通した鈴木敏夫プロデューサーにも、それは言える。
エヴァやナウシカのような作家とプロデューサー(編集者)の関係は、普通はあり得ない。大月氏も鈴木氏も、会社の人間でありながら、規格外の才能と付き合うために、サラリーマンとしての規格を踏み越えたのだが、普通、こんなことをしたら会社をクビになるからだ。
フリーが増えているとはいえ、まだ社員編集者は多い。なので「会社の立場として」作家の意見は聞けない、ということが多いのだ。だから私は、フリー編集者の数が今より増え、「作家と契約して、作家の立場を代弁するフリー編集者=エージェント」が増えることを望んでいるのである。
私のいうエージェントとは「作家の立場に立つ編集者」のことである。弁護士や税理士などと同じなのだ。あくまで作家の立場に立って作家の作品を売り込み、二次使用などのビジネスを取り仕切る。このやり方が作家にとって良いのは、こいつはダメだと思ったら、クビにして乗り換えることが出来ることだ。(ただし契約の文面によって対応は異なってくる。マヴォの場合、作品ごとの契約(作品エージェントなので、契約期間はその作品に限って契約は存続することになる。ただし、契約期間が過ぎれば自作を持って他のエージェントに乗り換えることができる)。
私も自分の会社でエージェント業務を始めているが、既成の出版社との仕事はまだ多くはない。出版社が外部エージェントを使う動機は薄いからだ。しかしIT企業がさかんにマンガに進出するようになって、状況はかわりつつある。IT企業に編集者はいないので、編集は外部に委託せざるを得ないからだ。
最初の話に戻るが、自分でプロデュース可能な範囲で同人誌でやっていこうと思う作家さんがいたら、私はその人を応援する。しかし、「創作で食べて行きたい。でも企業に持ち込むとどんな担当がつくか不安」という人は、現在数を増やしつつある創作エージェントを探してみるのがいいと思う。