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Off Topic // オフトピック『#140 メンタルモデルとは何か』 感想
知的生産技法に興味があるので、今回(#140)のオフトピックを興味深く聞きました。いくつか感想が湧いたので、そのご報告です。
メンタルモデルというのは、僕の理解では、どうやら「海外のトップ企業家たちの思考のフレームワーク」を指すようです。
「なぜ情報社会の情報量に見合った数の天才が生まれていないのか?」
これはポッドキャストのなかで提起された「問い」のようなもので、もうすこし情報量を増やして書くと、「なぜ現代社会は、ベートーベンクラスの天才がぼこぼこ出てくるような社会に、(ポテンシャルあるはずなのに)ならないのか」というようなものだった。
個人的には、この問いの立て方は「能力としての天才」と「ヒーローとしての天才」を混同してしまっていると見ていて、一見説得力あるが、全面的には同意できないなと思った。
後者のほうがピンときづらいと思うので補足すると、ヒーローとしての天才は「社会的に作られる」。具体的には「ヒーロー列伝としての歴史」とかによって「書かれる」ことによって生み出される、というようなことです。これは音楽家に限らず、たとえば科学史とかでも一緒ですね。(ex. なぜ地動説の創始者がニコラウス・コペルニクスだということになってしまっているのか、など。)
で、情報社会というのは、こうした「ヒーローの歴史」が書かれづらい社会であると僕は思っている。(プロジェクトが複雑化し続けており、なんらかの社会的成功の理由を個人の能力によるものだと説明することが難しくなっているため。)
(あとヒーローカルチャーと、雑に言えば"白人男性中心主義"が密結合してきた経緯があり、批判的に見直していこうという機運も出てきていると感じる。というかフェミニストたちは70年代とかから言い続けている。たしか。)
日本版「メンタルモデル」はあるか?
「日本語ではメンタルモデル的なのあんまりない?」みたいな話題になってるけど、たくさんあるとおもう。日本に最適化されているものか、外国から輸入された「xx思考」的なものの2パタン。前者と後者の中間みたいなところに落ち着くと価値が出る時期がくるイメージある
— 中村健太郎 kentaro nakamura (@kentnkmr) November 24, 2022
こう考えている。個人的に「いかにして日本は日本の外で生まれた方法を日本流にローカライズしているか」に関心があるから、というのもあるでしょう。
「メンタルモデル」の定義は?
バットシグナル、わかるなあ。しかしメンタルモデルというのはもうすこしメタな話(wicked problemにどうタックルするか、的な)かなとおもったけど、ベタなテクニックも含むものということなのかな?
— 中村健太郎 kentaro nakamura (@kentnkmr) November 24, 2022
これが個人的に今回一番引っかかったところで、「メンタルモデルとは何か」というタイトルを掲げ、さまざまに「メンタルモデル」なるものを説明していたにもかかわらず、結局具体的な定義がよくわからなかった。結構自在にいろいろなものを「メンタルモデル」と呼んでいるなという印象で、まあそういうタイプの言葉というのはあるから、そういうことなのかもしれない。
他にも思いついたら書き足します。
健太郎
https://t.co/LQjvaiVLFU
— 中村健太郎 kentaro nakamura (@kentnkmr) November 13, 2022
Wicked-Problem Solvers
Lessons from successful cross-industry teams by Amy C. Edmondson
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22/11/25 追記
日本の「メンタルモデル」製造工房といえば馬田隆明さんなのではないか。
11/19に『解像度』をテーマにした書籍を出すことになりました。昨年のスライドをアップデートして、本という形で多くの人に提供できればと思います!ご興味あれば是非ご予約くださいー。図版多めです(書影は仮のもの)
— 馬田隆明 🐴『解像度を上げる』11/19発売 (@tumada) October 4, 2022
元スライド: https://t.co/5Rwu5w6Zkc #解像度を上げるhttps://t.co/JAK5s6E7vA