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企画半生

はじめまして。林健太郎と申します。27歳です。

映画会社でサラリーマンをやりながら、オンラインを軸にした創作集団・劇団ノーミーツの主宰をしております。

会社では映画やゲームの企画、ノーミーツでは主に長編公演の企画、ほかに映画制作など。プロデューサーの中でも企画のコアアイデアの提案や仕組み、座組みづくりをメインで行うタイプです。好きな漫画は『左ききのエレン』小説は『砂漠』映画は『天気の子』『インセプション 』料理はつくね(全てほんの一部)です。

(雑に貼るポートフォリオと取材記事。ちなみにTwitterアイコンでもあるこのイラストは、自分の大好きな漫画家・羽賀翔一さんの個展で自分っぽいなと思い購入した絵画になります。ずっとお気に入りです。)

ノーミーツをはじめる"まで"を振り返ります。

今回は、ノーミーツをはじめるに至った経緯までを記させて頂きます。始めてからの1年間の話じゃなくてごめんなさい。あなたは結局何者なの?何をしてきたの?と言われることが増えたので、下手くそですが自己紹介も兼ねています。ノーミーツをはじめてからの苦闘は、需要があれば、またの機会に。またnoteを書く事はあるのだろうか。

このnoteは劇団ノーミーツ1周年記念企画「劇団員24人全員がnote書く」のひとつです。劇団ノーミーツ主宰/企画・プロデュースの林健太郎が書いています。その他の劇団員のnoteはこちら

無趣味無目標人間

はじめます。

高校時代までは帰宅部、大学時代はサークルにもゼミにもろくに行ってなかった、趣味も無ければ目標も無い人間でした。ボクシング部に半年だけ入ったり、惑星探査機の報告会を見学したり、バンドを同時に3つ組んだり、何かを求めていたのかもしれません。

ただ全部どこかで飽きてしまい、ハマることはありませんでした。バンドを組んでいた時、ドラムだったんですが作曲をしていたメンバーに対して羨ましさを感じていた記憶があるので、どうやらものづくりへの憧れは(なんとなく)あったのだと思います。その彼は今歌舞伎町でホストをやってます。カッコいい。

大学に入っても、迷走は終わりません。新歓シーズンにはノーミーツの演出家である小御門、岩崎が所属していた演劇サークルに入ろうと画策するものの、駐車場で行われていた新人公演の声出し稽古にビビってしまい、立ち消えます。(あのサークルで小御門と岩崎と出会っていたら当時から仲良くなっていたのかな、いやなってなかったんだろうな)

強いて好きだったものを上げるのならば、閃光ライオットとThe SALOVERS

大学初期の一番の目玉である新歓シーズン、自分は教習所に行ってました。(そして8番の左折を3回やり直しました)

はじめて趣味が、できました

そんな時、大学1年時既に齢21歳を超えていた長老的な同級生・比企さん(今は脚本家として活躍中。すげえ)が自主映画なるものをつくっていることを知ります。ちょっとした手伝いをしながらはじめて"みんなで何かをつくるって楽しそうだな"と思ったことをきっかけに、自主映画づくりに興味を持ち始めます。

自分が衝動に委ねて生きるようになったきっかけは多分ここ。それまで無趣味で何かにハマることも無かったので、初めて自分の中で突き上がるエネルギーがあることを知り、嬉しかったのかもしれません。

そこから貪るように映画づくりの世界を知ろうとします。現場ADをやってみたり、短編映画を数本監督したり、とにかく色んな現場に行きました。やっと初めて、ハマれるものが見つかりました。嬉しい。

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1本目の監督作品。どうしても自分で撮ってみたくなって、一夜で書いた脚本を友達に送りつけて、購入したばかりのカメラを振り回して初めて編集した。はじめて自分から誘ってつくった作品。たぶんこの瞬間が人生で一番楽しかった。ちなみにストーリーは、親友に彼女を取られた男子高生が、脈略無くライダー的な何かに変身してブチ倒すという勢いしかないコメディ。BOOK OFFで武器を買いまくり、取り壊し前の廃墟をロケ地にアドリブでアクション撮影を行い、最後のセリフは飛び上がりながらの『やったー!』。気が狂っていた。これが何故か短編映画祭に何個か入選し、若干の勘違いを起こす。

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2本目の監督作品。凡才の監督志望を応援していた親友が、ひょんなことから天才だと分かってしまう、友情モノ。主演の一人は、今ノーミーツで経営企画をしている上原。当時公認会計士受験の専門に通っていて芝居経験も無かったけれど、雰囲気があったので出てもらった。

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学生最後に撮った3本目の監督作品。失恋をゴミ収集者のように回収する業者の女性新米社員と、同性の親友に失恋した男の物語。短編映画コンペに出して準決勝敗退。監督として諦めがついたと同時に、物語の切り口や配役を考えることが好きなのかもと思い始める。普段は口にしないけど死ぬまでにまた一回映画を撮りたい。

とまあ、ハマれるものは見つかり、楽しいけれど、何かの結果に繋がることはなく、自分に監督の才能が無かったことを知ります。

「企画」ってなんだ?

映画もまたいつものように飽きて終わってしまうのか、と思っていた頃、

ネットサーフィンをしていると一つの記事と出会います。

DVDで見た『告白』に衝撃を受けて、ネットで調べている中で発見。後に『君の名は。』『天気の子』なども手掛ける映画プロデューサー・川村元気さんによる、映画の企画に関するインタビュー記事でした。

"ラブストーリーの潮流があったから敢えてバッドエンドの作品に"

"プログレッシブとクラシック"

"世の中のムードを読む想像力"

そもそも"映画プロデューサー"という職業すら知らない自分にとって、映画づくりの中に「企画」という仕事があること、そしてその職種の持つ幅広さに衝撃を受けました。ここまでは良かった。

そして「オトナとコドモとの間にいる若者の心に、爪跡を残す映画を作っていきたい」と記された文章を読んで、大学2年生、壮大な勘違いをします。監督や脚本家にはなれなくても、この「企画」なら作品を作り続けられるのでは?と。今ならそんな甘い訳ないと分かるけれど、何も知らないって怖い。

企画メシ

勘違い状態のまま「企画」とやらを学びたい、とネットでいくら検索をかけても教えてくれる場所はなかなか見つからず、どん詰まりになっている時にたまたま出会ったのが「企画でメシを食っていく(通称:企画メシ)」です。

企画メシとは、コピーライターの阿部広太郎さんが主宰する企画講座。毎回現場の第一線で活躍している講師を呼び、その講師からのお題に沿った企画書を提出し講評を受ける、というかなりガチンコな講座です。

当時大学3年生だった自分は、企画も講座も全く知らない。ただこのタイトルに惹かれ、気持ちをぶつけ特攻した記憶があります。結果ラッキーなことに、熱気溢れる社会人に揉まれながら「企画」のイロハを学べました。 

阿部さんはこれまでもこれからも唯一の心の師匠だし、佐藤ねじさん、ANREALAGE森永さん、キングコング西野さん、バーグハンバーグバーグシモダさん、尾崎世界観さんなどなど個性的すぎる講師陣から受けた影響も、多分にあります。そして何より同期にあたる社会人の先輩たちの熱量!激務の企業に勤めながら何十ページもの課題を提出し、講義後は朝まで飲む(笑)。大学生より楽しそうじゃん、と社会人生活へのポジティブなイメージを早めに持てたことは何より大きかった。

結局課題も全然上手く出来なかったのですが「とりあえず企画をやってみるのが楽しそうだ!」と無鉄砲にも思い、見よう見まねではじめてみます。このとりあえずやってみよう精神が、のちにノーミーツを始めるにも繋がりました。

ちなみに今も変わらないのですが、自分にとっての企画とは"応援"です。同期の近藤さんの受け売りです。目の前の人、業界、世の中、を応援する為に企画はあると思っています。

はじめてのきかく

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趣味をテーマにした街コンって結局趣味の話あんま出来ないし人見知り(の自分)は楽しめないじゃん!という極私的な愚痴から、事前に好きなバンドを聞いて勝手に"マッチング診断書"なるものを作って、趣味トークだけに縛ったマッチングイベント。マッチしたらお互いにCDを貸し借りさせる徹底ぶり。変ですね。
1年休学して行ったロンドンにて、自分が好きな自主映画をなんとかして現地の人に見てもらうために行った手づくり映画祭。コンクリのコンテナを借りて、Amazonでエアベッドを買い込んで、日本酒を配った。大学生っぽい。

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卒業間際には、ノーミーツを共に主宰することとなった小御門と卒制の長編映画を制作。彼が監督で、自分がプロデューサー。上映機会無く終わった幻の作品。であり、実はプロデューサーとして初めて関わった作品。当時もプロデューサーなんて何も分かってなかったけど、自分の中での面白い、小御門の中にある面白さ、を突き詰めた結果、"小御門が不完全燃焼で終わった卒業演劇公演の制作過程を物語にする(フェイクドキュメンタリーと公演本番の2軸構成で)"という攻め過ぎた企画に。面白いと思うんだけどな、、いつかどこかで、、

こう振り返ると、昔も、ノーミーツを始めた今も、企画をするモチベーションは変わっていません。まだ証明されていないけど、きっと出来たら面白いことの仮説を立てて、それを全力で実証する。すると新しい仮説が生まれる。この繰り返しで生きているのだと思います。

会社内生活と会社外生活

こうして?映画と企画に没頭した自分は、卒業後その流れで、映画会社に入ります。会社でははじめに企画系の部署に配属され、先輩上司にとても恵まれながら、ひたすらアシスタント業務や企画開発を行っていました。

そんな激動の日々を送っていたのですが、1年目の終わりくらいから、休日を使って自主制作を始めます。特に大きな決断などは無かったのですが、自主的に行う作品づくりにも、会社で制作する会社規模の作品づくりにはない面白さがあるのでは、と思った為です。これは今も同じ考えなのですが、"面白い"に規模の大小やメジャー/インディペンデントは関係ないと思っています。

映画監督・脚本家の上村さんと共に制作した初の劇場公開作品。夏のボーナスと有給を全部ぶっ込んだ。全く未経験の中でオーディションからリリース作成、SNS宣伝、全部手づくりで行った思い出。荒削りだけど、原点。
自主制作の価値観が変わった参加作品。完成見た時に、自主でもここまでのクオリティが出せるのか、と衝撃。まつきさん、のじーさんの芝居も素晴らしい。
初めて監督したMV。バンドをやっているのは会社の同期。変な会社!撮影のとめさんは野生のカメラマン。生き物のようにカメラを操り、呼吸をするようにタバコを吸う。
TikTok MVなるものも監督したり。楽曲制作のグッさんはポップスの魔術師。撮影のガクさんはパッションモンスター。
初めて働き方について取材をして頂いた記事。仕事観を詳しく話してます。

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いきなりはじめた写真。人見知りなのにカメラを構えると対話できるのが好き。 文脈関係ないけれど、再開したいから載っける。

2年目のある日、一人で中華を食べているタイミングでふと"ハマれるものが見つかってよかった、、"と感じた記憶があります。今もそうですが、最大の恐怖は"飽き"です。自分で制御できるものでは無いので、寿命のように怖い。でも何故か、企画と映画にはそれが無いような気がしています。そう信じたい。

コロナとノーミーツと広屋と小御門

そして、コロナがやってきました。

当時は、目の前のことに必死でした。異動し演劇の劇場勤務となっていたのですが、軒並み休演となっていく公演とお客様への対応で毎日が過ぎ去って行きました。そして収束することなく、自宅待機に。準備していた映画撮影も中止になり、文字通り全てが無くなりました。

いきなり一人きりの自宅生活が始まり、最初は世間や映画業界の動向を追いながら友人たちと情報交換。一人では何も出来ない(寄付する金も無い)無力感を感じる一方で、自宅からでも作れるエンターテイメントはないのか、模索を始めます。

1年前は、家から出ることすら極力禁止されていた時期。外での撮影は自撮りですらリスクがある。ならば部屋の中での自撮りかリモートでの創作か。うーん、、

と考えていると、一通のメッセンジャーが来ます。

ひろやメッセンジャー

広屋さんとは、学生時代にとあるイベントで出会って、年に1度くらい飲みに行く間柄(浅い)。広屋さんが代表をしている街中でミュージカルを行うアグレッシブな団体にはSNSを通していつも刺激を貰っており、いつか一緒に作れたらいいですね、と3-4年間やりとりをしていました。でもライブエンタメと映像、畑が違うので中々交わる機会がなかった。

ちなみにこの街中ミュージカル(正式名はOut of Theater)、一度パフォーマンスを見た際にめちゃめちゃ感動したので、コロナが落ち着いたら是非再会して欲しいし、見て頂きたいです。街中に非日常が生まれることの、唯一無二の多幸感。

このメッセンジャーを経て1年ぶりの再会(オンライン)をし、自分ははじめてZoomを使います。広屋さんは、リアルイベントを手掛けていたのでコロナの打撃をモロに受けていました。いやーどうしましょうかね〜などと世間話をした後、何が出来るかのブレストを始めると、お互いにZoomでの芝居表現に可能性を感じていたことが発覚します。とりあえず一本つくってみよう!とその場で決定。この広屋さんと林の悪ノリ(良く言えばスピード)感の近さが、ノーミーツらしさなるものに繋がっているのかもしれません。

その場で小御門を召喚しました。(広屋さんと繋いでから45分後)

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既読のスピード

小御門とは卒制を制作してからは年に1度飲むか飲まないくらいの間柄でした。つまり、この時点では

林と広屋:年1の飲み友達

林と小御門:年1の飲み友達

広屋と小御門:はじめまして(オンライン)

の浅っさい関係性です。浅い!よくそこから1年続いたな、と冷静に思います。ただ、もしかしたらそんな関係性とか気にしない3人だからこそ成り立ったのかもしれません。広屋さんと一緒にやろうと思い、小御門を誘った理由は、2人の創作欲求への素直さです。たまに話しただけの間柄ではありましたが、広屋さんの面白さを求め続ける欲と、小御門の心の底に眠る果てしない創作への欲、そこに自分の仮設検証欲を混ぜたら今までにない反応が起きるのでは、と思いました。関係値的にも、業界的にも、コロナにならなかったら絶対この3人が交わることはありませんでした。そう考えると、どんな逆境も考えようなんだな

お互いが創作したいものの為に出会い、創作し続ける為に続いている関係性。現在ノーミーツ24人、所属するモチベーションは人それぞれだと思いますが、自分はこの感覚が心地いいです。(ちなみに仲良いですよ!!文章って難しい笑)

ノーミーツのクリエイティブディレクター、スズケンが作った4/9-5/31までの記録動画。ここまででまだ2ヶ月間、流石にやり過ぎてた。ちなみに"スズケンの編集"というテーマだけでnoteが書けるくらいディレクターとしてもファンであります。いつもありがとう

劇団ノーミーツってなんだ?

自分の1周年の振り返りは、これでおしまいです。

すみません、始まりで終わってしまいました。

ノーミーツを始めてから100日間、日記をツイートしていたので、始めてからの振り返り、を期待していた方はこちらから見て下さい。しんどい時は一言です。

いやー1周年、あっという間だったなー。つくってつくってつくってつくったら1年経っていた、そんな感覚です。続けて良かった、心からそう思います。

劇団ノーミーツは、自分にとって居場所です。立ち上げた時は、表現のための手段でした。ですが、作品を発表し続け、仲間が増え続け、いつの間にか居場所になっていました。自分はそれまで、3人だったんです。気を遣わないで話せる人数の上限が。それがノーミーツでは上限解放され、平常時も4.5人くらいになりました。自分にとっては大進化です。最初の3人のように皆がそれぞれ何かしらの欲を持って所属している為、24人になっても気を遣わない(あるいは無理の内容に気を遣う)関係性が維持できているのは、割と奇跡的なバランスかと。1人1人紹介したい。(メンバーは常に絶賛募集中です。)

この場を借りて、みんなにお礼を言わせて下さい。居場所をありがとう!(あと両親と会社の同期と友達、ドライブ連れてってくれるアナタ!いつか映画をつくるアナタ!ありがとう!)

最後に

脈略もなく、ここまで来てしまいました。昨日友人に言われたのですが、自分は大きな目標を立てて進む長距離走よりも、短距離走を永遠とやるのが面白いんじゃないかと。文章も人生も脈略無いんですが、このまま衝動に身を委ねて生きたい所存です。なので最後に、次にやること(やりたいこと)を書きます!

ノーミーツでやること(やりたいこと)

ノーミーツは今後、この世代でものづくりをしたい人にとっての居場所になりたいです。会社員でも、フリーランスでも、学生でもいい。やらなければいけない仕事を頑張っている人も、ここではやりたいことに正面から挑める。本気で遊び、遊びに本気な居場所にしたい。

大きめのプロジェクトは既に来年の2月くらいまで決まっていますが、それぞれが未知なる挑戦です。果たして無事乗り越えられるのか... 今年は分科会的に、オンライン演劇以外の自主プロジェクトも増えていく気がします。林は、マーダーミステリーのパッケージ作品をつくりたいです!つくるぞー!

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先日プレイした #パンドラの人狼 マーダーミステリー ×人狼のような読後感で最高でした。作り手としても、体験型のエンターテイメントに挑戦したい。

個人でやること(やりたいこと)

映画をつくります。まだどんな形で発表になるか分からないけれど、今年は映画に挑みます。1年間、オンラインを軸に様々な挑戦をしてきましたが、その知見の全てを使って、また初心に戻って、映画づくりに没頭します。新しいつくり方、届け方を見つけたい。あとは遊ぶ、飯食う、寝る、に素直な生活を。

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旨い焼き鳥屋さんに惹かれて、4月から三崎の港に住みます!ここのつくねは本当に旨いです。このnoteで一番伝えたいことはこちらです。

あとがき

今なんじゃない?と思ってます。絶望するニュースで溢れ、果てしない逆境だらけなのに、周囲の空気感に、うねりを感じます。これまでにない、熱源のような空気。これまでジッと機会を窺って力を溜めていた人間が、大きな選択を一斉にしようとしている。それを信じて、自分も、ノーミーツも、大きな勝負をしたいです。エンターテイメントに正面から挑みたい。

一人では無理でも、チームでならいけるかもしれない。

何卒!!よろしくお願いします!!!!!!!!!!!

劇団ノーミーツの他のメンバー24人全員のnoteはこちらから!

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