思ったときに思ったことを書く。

人間の興味というのは長続きしないなあ、と最近強く思う。

コロナ期になってサックスを吹いてみよう、英語を勉強しようとか
思いはしたものの結局サックスを購入することも
英会話教室を予約することもなく時間が過ぎているし
行動ができていないことに罪悪感を感じる自分もいない。

本や漫画を読んだり、映画を観たりして
思うところがあって
”今度何か書いてみようかな”
と思う感情も思いの外長続きしないんだなあということを
最近実感している。
この点に関してはちょっともったいないなあと思う。少し罪悪感がある。

今日は惰性でべるぜバブを読んだ後(個人的にはなんであの漫画が5年間も連載できたのかわからない)テロール教授の怪しい授業っていう
モーニングで2018年くらいから
連載している漫画を読んだ。

作者は多分行動経済学に詳しい人で
テロを題材としながら
テロリストというものを世間がどれだけ色眼鏡で見ているのか、や
善良な市民がテロに加担していく仕組み、
そして、(コロナで流れてしまったが)東京オリンピックで
自分がテロを起こし、成功させるとしたらどんな
計画を立てて実行するのかといった
思考実験のエサとしてとても興味深い内容が
バイオレンスな画風で描かれていて
とても楽しみながら読むことができた。

(9.11の自爆テロを起こした工作員の心中は
「インフルエンサーになりたい!バズりたい!!!」
と同じなのではという推論が特におもろかった。)

まあ、こんな感想も結局1日2日したら日常の中に
消えていってしまうんだなあと。
せっかくの世界を分節する機会(最近春日武彦さんの本や小谷野さんの退屈論を読んで、結構しっくりくる表現なので頻繁に使っている。意識の高い大学生がコンセンサスとかコミットとかを使うのと同じテンション)を得たのに、後回しにするのは結構もったいないな、と。

僕はあんまり遊び慣れていない人間、というか
根が真面目なのでカリキュラムが組まれていなかったり
例えば前もって予定を組んでいなかったりする行動が
結構苦手であったりする。

だから大学時代の自由時間も数値で置き換えられるような
ところに置き換えて日々を単純化し、結局趣味が義務になってしんどくなる
みたいな、こうなんていうか自由を謳歌するのが下手くそな
人間であるし、これからは自由を扱うのが上手になりたいなあという
これまた大学生みたいな気持ちで日々を過ごしている。(もう26歳です)

今日も整理するために文章を書いた。
書いているうちに考えが整理されていくのは本当にそうだなあと思うし
元々運営していたブログを書かなくなって丸1ヶ月ほど経つが
(インプットが増えたこともあって)頭の中がごちゃごちゃしているなあと
感じることが増えたので
たまにこうして外に吐き出しながら
人にとってはあまり有用ではないかもしれないけれども
まずは自分自身のために書く、というのを続けていきたいなあと思う。

無のコンテンツでなくて
いつかは知的に楽しめるコンテンツが作れるようになれるといいナァ〜。
おわり

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