水色の部屋を読んだ

水色の部屋を読んだ。

上下の2巻完結の漫画で
青春時代の出口のない葛藤を描いた
カルキ臭のする漫画である。

僕はこういう作品群がとても好きだ。

押見修造さんの惡の華とか血の轍、
浅野いにおさんのうみべの女の子とか
報われない、思うがままにいかない
青春時代を解像度高く切り取った作品が好きだ。

水色の部屋の簡単なあらすじは
母子家庭で暮らす
高校生の柄本という男の子が
自分の大事なものを次々と友人に奪われていく
というものである。

淡くもゆるいつながりのあった幼なじみを友人にとられ
そしてその友人に自分の母親をレイプされ
自分の中の大事なものが暴力的に消滅させられていく。

僕がこの作品で好きなシーンは
母親が友人にレイプされているところを見て
柄本くんが自慰をしてしまうところである。

倫理観はぶっ壊れるし、自己肯定感は吹っ飛ぶし
自分のことが大嫌いになりかねないところであるが
どこか達成感と背徳感の同居した快楽を
感じてしまっている表情に過去を想起してしまう。
共感できてしまう、悲しいかな。

画像1

(何度もこの表情になった青春時代だった)

手軽な例で言うと日常で死ぬるほど嫌なことがあった時に
たらふく酒を飲み、深夜2時くらいになって
もう、人生どうにでもなってしまえ、と
近場の快楽に身を委ね
許容量を完全にオーバーした量の
アルコールを摂取する、あの堕落的快楽追求の感じです。

あまり報われてこなかった人間には
少なからず”破滅願望”があると僕は思います。

カイジの作者として有名な福本先生の描く
「天」の中でも言われてます。

画像2

どうでもいいや、死ぬほど堕ちてやろうという願望は、
救済されていない自分が救済された時の快楽より
苦しさから逃れ、解放された時の心良さの方が
少なからず上回っているから出てくるのかなと思います。

出口のない青春時代を送ってきた人が
出口のない青春を描いた作品を読むことで
当時の欲望や嫉妬、絶望を追体験でき、
その上で、部分的にではあるが
自分自身を救済できることが
これらの作品群の存在理由であると僕は勝手に考えています。

でも、人生ってなかなか全部は救済されず、こまったもんですね。

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