20代デザイナー、デザイン史を学ぶ⑧〜インダストリアルデザインの父〜
「デザインはその物の特性に合った形状をつくること、そして新しい技術を引き立てること」
この言葉は、インダストリアルデザインの父と言われているペーター・ベーレンスの言葉です。
ペーター・ベーレンスは1907年にドイツのAEG社にデザイン顧問した入社した建築家の方です。この言葉自体がいつの言葉なのかわかりませんが、ベーレンスが入社した時から100年以上経ってもこの言葉に感服してしまいます。
では、ベーレンス氏は一体、どんな人で、何をした人なのか本日のデザイン史は探っていきたいと思います。
インダストリアルデザインが始まる
そもそもなぜ、ベーレンス氏は建築家であるのに、インダストリアルデザインの父と言われているのかということなのですが、それは、ベーレンス氏が企業のスタイルのあらゆる側面をひとりで監督する初めての人間であったからだと言われいるからです。
では、インダストリアルデザインの定義について公益社団法人日本インダストリアルデザイン協会は以下のように定義づけています。
今では、デザイナーが企業に入ってデザインを行うという行為が行われいますが、この時はまだ行われていませんでした。製品を造形、考案する人と生産する人が同じであった時代です。
この製品を造形、考案する人、つまりは産業をデザインする人が今日のインダストリアルデザイナーとなっています。では、ベーレンス氏はどのようなインダストリアルデザインをしたのでしょうか。
有名なものにAEG社の電気ケトルがあります。1909年にベーレンス氏によってデザインされた電気ケトルは、かたち、素材、表面の仕上げ、サイズ、それぞれに3つの選択肢があり、それらを組み合わせた30種類が商品化されました。
道具に新しい機能を融合し、共通のパーツを組み合わせて商品を展開する今日の家電や自動車といった大量生産品の先駆けとなりました。
ドイツ工作連盟
そして、ベーレンス氏が所属していた団体がドイツ工作連盟です。ドイツ工作連盟は、建築家や工芸家などで構成されている団体で機械生産を肯定したより近代的で工業化されたデザインを提唱しました。
主なメンバーは、ヘルマン・ムテジウス、ペーター・ベーレンス、ヴィルター・グロピウス、ブルーノ・タウトがいます。ちなみにヴィルター・グロピウスは、ベーレンス氏の事務所で働き、のちにバウハウスの初代校長となった人です。
ドイツ工作連盟はムテジウス氏がアート・クラフツ運動に感銘を受け、設立し、グロピウス氏がドイツ工作連盟を経て、バウハウスを創設するという人の考えが繋いで今日のデザインがあることがわかります。
感想
今回はインダストリアルデザインの父、ペーター・ベーレンスについて書いていきました。この人がいて今のデザイナーがいるのかもしれません。そして、デザインの重要性というものを再度感じました。現在はデザインという言葉が拡がり、何かしらに〇〇デザインと言われる時代です。そういった中でインダストリアルデザインとは何か、何をしていったら社会が良くなるかを改めて考えた本日でした。
読んでいただきありがとうございました。
<参考文献>
絵ときデザイン史
図鑑デザイン史
AEGjapan