初めての狩猟
先輩猟師のトシオさんに、鹿のお尻と後ろ足を地面にグッと押さえつけてもらい、わたしは自分の手と膝を使い、鹿の顔と首を押さえこんだ。刃渡20センチのナイフを鹿の喉元に当てる。ゆっくりと、力を込めて深く喉を切り裂いた。喉笛とはよく言ったもので、ヒュー、ヒューという音と共に勢いよく血が吹き出してわたしの眼鏡や衣服を赤く染めた。
「もう押さえなくていいぞ」とトシオさんが言ったので、わたしは自分の膝を鹿の首からゆっくりと離した。血を吸って赤く染まった地面。光の失われた瞳。動かなくなった四肢。その塊はまだ温もりを持ち、今にも走り出しそうだが意志は完全に失われて、毛皮を纏った、ただの肉の塊となった。あっという間に絶命した。鹿を押さえつけたときに、思い出したのは愛犬ライのこと。鹿の温もりや美しい毛並み、そして愛らしい表情など、ふだん自分が愛情を注ぎ一緒に暮らしている犬と、どこも違わないのだ。けど殺すことに躊躇いは無かった。猟師になると決めた日から、いつかこの瞬間が来ると分かっていたので迷いはなかった。
狩猟免許「わな猟」を取得し、2023年11月から猟師としての活動を始めた。
三重県は11月より狩猟期間が解禁されたのだが、自身の予定が立て込み、罠を仕掛けるのが遅くなってしまった。罠と聞いてよく想像されるタイプは、トラバサミだろうと思うが、現在は使用が禁止されている。用いるのは「くくり罠」というワイヤーとバネ、そして踏み板を組み合わせたタイプだ。
ワイヤーの端(1)を木など固定された物体に括り付け、バネとワイヤーを仕込んだ反対側(2)を地面に埋める。(2)を獲物が踏み抜くとバネの勢いでワイヤーが跳ね上がり、足を捕まえる仕組みだ。獲物は(1)に固定されるので逃げ出すことは出来ない。イノシシは力が強いので、自らの足首から下を犠牲にしてでも逃げ出すこともある。罠については興味があれば調べてみて欲しい。
罠を仕掛けた日付は11/21。大まかに分けて2箇所に設置した。家に近い方をAポイント、遠い方をBポイントと呼ぶことにする。Aは3ヶ所、Bは2ヶ所、計5ヶ所にくくり罠を仕掛けた。自宅から徒歩圏内に猟場があるなんて、どれだけ山の中に住んでるんだよって話。くくり罠は毎日の見回りが法律によって義務付けられているので、狩猟免許を取るなら銃よりも罠のほうが、うちのまわりの環境には適している。
初めての獲物は雌鹿の成獣だった。わたしたちに囲まれて、石垣を背にした雌鹿は怯えてしきりに鳴いていた。鹿のあんな声を聴いたのは初めてだった。獲物の命を断つことを止め刺しと呼ぶ。止め刺しの方法には色々とあって、銃で撃つ人もいれば、電気ショックで意識を飛ばしてからナイフで、という人もいる。初めての止め刺しに同行してくれた先輩猟師トシオさんは銃免許も所持しているので銃殺に頼るのもひとつの手だったが、初めての猟は、自分の手で止め刺しは行うと決めていた。その時の様子は先述した。
絶命させたあとも忙しい。鹿やイノシシは畑の農作物を食い荒らすので有害獣に指定されており、獲ったら謝礼として自治体から報奨金も出る。(猟友会への入会が義務となる)
その証明用に殺処分した獣の写真や、尻尾の一部が必要となる。それらの事務処理を済ませたら、いよいよ解体だ。よそ様の住宅の側で解体するのは気がひけるので獲った獲物を軽トラの荷台へ乗せて山奥へ運ぶ。後ろ足をぶら下げられる間隔1メートルくらいの2本のしっかりとした木があり、解体した肉をすぐに綺麗に洗える沢があると尚良い。
絶好のポイントを見つけた我々。2本の木に右脚と左脚を1メートル間隔に括り付け、まず鹿を吊るした。
そして両足首にぐるりと一周切れ目を入れて、その切れ目のラインは脹脛(ふくらはぎ)、太腿(ふともも)、股間を経由して腹、胸へと続く。そして足首から下に向けて一気に皮を剥いでいくと、大きな肉の塊が現れた。雌鹿でこの迫力なら、雄鹿や、雄イノシシならもっと凄い迫力だろう。次にやることは内臓の取り出しだ。膀胱(ぼうこう)に傷をつけると尿が溢れて肉が臭くなるので要注意。大腸も然り。
「人の内臓とほとんど同じやぞ」と教わる。これを見て吐き気をもよおす人もいるというが、自分は大丈夫だった。臓器をドロリっ、ズルズルっ、と取り出したあとは、肉の塊を部分部分に分けていく作業だ。
ふだんお店の精肉コーナーで見かけるロース、モモ、バラ肉、スペアリブなどが、まだひとつの大きな塊として目の前に存在している。こんなデカい肉の塊を見るのも初めてだった。肝臓(レバー)、心臓(ハツ)、背肉など捌いて分けていく。背肉(正式な呼称は分からない)は刺身で食うのが美味いとトシオさんに教わった。背骨を中心にして、両側に2枚しかとれない貴重な部位だ。鮮度が高くないと食べても美味しくないためか、市場には出回らない。猟師の特権だ。わさび醤油で食べると美味いと聞いたが、わたしは生姜醤油でいただいた。もう絶品である。赤身で柔らかくてマグロのトロみたい!!友人にも少しプレゼントしたが、料理人で酒呑みの彼はゴマ油と塩で食べたという。それも美味そうだ。
さて、目の前の肉の塊である。関節の継ぎ目をナイフで丁寧に外していく。骨付きの塊は、まるでデカいフライドチキンのよう。持参したクーラーボックスから、はみ出てしまう。
トシオさんのナイフ捌きに心底惚れ惚れした。自分も早くそうなりたいと強く思った。家に帰宅してからは肉の水分を取り除くためキッチンペーパーで巻いてみるが、吸水力が弱いため、ペットシート(犬用おしっこシート)を使った。(本で読んだ知識)
食べきれない分は細かく切って冷凍保存した。
鹿肉ジャーキーにしたり、骨を愛犬仲間たちとシェアしたり、肉の有効利用方法を考えるが楽しい。三重の山、川、自然で育ったケモノを獲り、自分たちの生活の糧にする。食うために獲る。その第一歩を踏み出せたことがとても嬉しい。昨年から近所の農家さんたちに稲作を少しずつ教わり、今年からは肉も自給し始めて、来年は野菜に力を入れる予定。三重暮らしはまだ始まったばかり。地に足をつけて踏ん張って生きていこう。