人生を通じて役立つものを、人生の序盤で嫌いにさせてしまうのは勿体な過ぎる。
どうも!上杉健太です。
埼玉県富士見市の総合型地域スポーツクラブの代表をやったり、スポーツ推進審議会委員をやったりしながら、生涯スポーツ社会の実現を目指して活動しています。なんだか一気に寒くなりましたね。
今日は、勉強回です。僕が子育てとか教育について考える時に、大いに勉強させてもらっている工藤勇一さんのポストから記事を拝見した学びを共有し、自分でも考えていきたいと思います。
今回取り上げさせていただく記事がこちらです。
記事の目次だけ抜粋し、掲載しておきますね。
もう目次だけで興味津々ですよね。
記事の冒頭で、いきなり衝撃的なグラフが示されています。2022年にパーソル総合研究所が行った大人の学習習慣の調査において、「社外学習・自己啓発を「何も行っていない」と回答した人の割合が比較されている諸外国よりも圧倒的に高かったのが日本だったのです。日本の大人は、半分以上の人が、学ぶという行為を完全にやめているというが明らかになってしまったのです。紹介されている範囲の次点は、スウェーデンの30%弱という感じなので、20%以上離してダントツの”トップ”なのが日本なんですね。
外国との比較は置いておいたとしても、半分以上が学ぶのをやめてしまっているというのは、何だか心配になる数字ですよね。人生が80年だったとして、ざっくり20歳までは学校などで学ぶとしても、その後は会社以外では学ばないということなんですね。
まぁこの結果を良く読もうとするなら、日本人は仕事に対して全力で向き合っていて、仕事の領域内で学びを得ていて、そこで生き生きとウェルビーイングを実現している。だから社外での学びはゼロだし、自己啓発も必要ない。こうですよね。中にはこういう人を”社畜”と表現する人もいますが、これならこれで、僕は全く問題ないと思います。ただ何となく、そういう人は少数派かもしれないなという気もしますよね(;^_^A (※これは想像)
ここで自分が子どもの頃のことを振り返ると、定期テスト後、受験後などの解放感が思い出されます。僕たちの多くは、人よりも多くの点数を取ることを求められ、そこに向けて努力をし、結果を出そうとしてきました。いわゆる受験戦争というやつですね。それが就職活動まで続くというのが、多くの日本人の感覚ではないでしょうか。そこに向かって努力をするのが、多くの日本の子ども達にとっての”勉強”や”学び”であり、それは求められてするものであって、自らがやりたい内容を調べたり、トレーニングをしたりする学習とはちょっと異なります。だから日本人の多くは、受験や就職が終わると、あたかも「あがり!」とでも言わんばかりに、勉強をやめてしまうのかもしれません。強制や苦しみからの解放ですよね。僕はある程度理解できます。
ところが大人になって思うことは、勉強はめちゃくちゃ楽しいということです。感想文を書く必要がなく、自分が読みたい本を読んで新しい知識を得たり、価値観に触れることがどれだけ楽しいことか。世の中の仕組みを知れることが、どんなに興味深いことか。できなかったことができること、それを社会から評価されることがどんなに幸せなことか。そういう経験をすると、学ぶって楽しいんだなと心の底から思えます。至極のエンタメと言っていいでしょう。
この人生を通じて享受できる学びというエンタメを、人生の序盤の序盤だけですっかり嫌いになってしまって、アレルギーを持ってしまって、捨てなければならない環境になってしまうことは、とても勿体ないことだと思いますし、そういう社会にしてしまっている大人の僕たちは、重い責任を感じるべきなんだろうと思うんですね。多くの子ども達が、学校で高い評価を得る為に、習い事をしたり、塾へ行ったりしています。僕の仕事領域でいうと、「体育の授業で困らない為に、今の内に●●をやっておこう」みたいな広告を打っている習い事教室はたくさんあります。いつから学校は、学びの場ではなく、評価を受ける場になったのでしょうか?評価されることを前提にした学び・勉強を、人は楽しいと思えるでしょうか?いや、人によっては楽しめます。というのも、子どもの頃の僕は、競争が大好きな少年だったので、学力の競争もある程度好きでした。でも、そうではない人は絶対にたくさんいたはずだし、それこそ価値観が多様化し、さらに未来の予測不可能性も高まっている昨今においては、ゴール(向かっている先)が正しいかどうかも分からない競争に疑問符が浮かんでしまう子どもたちはきっと多いと思います。僕の子ども時代とは絶対に違うでしょう。
不登校の子どもの数が年々増加しているそうですが、これはつまり、変化が遅い教育と、時代やテクノロジーの変化を諸に受けている子ども達とのGAPが大きくなっていっていると見るべきなのだと思います。
ちょっと脱線した感があるので戻しますが、勉強や学びは楽しいものです。誰でも、できなかったことができるようになるのは、基本的には嬉しい事だと思います。しかしそれは、「自分がやりたいこと」に限ります。あるいは、圧倒的にメリットがあることに限ります。そうではなく、ただ大人に強制されたものでは、苦しみにしかならないでしょう。だからそこから解放されると、ピタっと学ぶのをやめてしまうわけです。
生涯に渡って学びというエンタメを享受し続ける為には、少なくとも「嫌いにならない」ということが極めて重要だと思います。嫌いになるもののキーワードは、「痛い」「苦しい」「無理矢理」だと思うので、学びの領域からこのキーワードは極力排除するように努力すべきだし、自分が興味のある領域に足を踏み入れないようにしてしまうこののキーワードは「禁止」だと思うので、これもやはり、極力子ども達から排除してあげたいなと思うんですね。例えば僕が今やってみていることは、片付けや掃除の強制をやめています。強制されたものを好きになるはずがないという前提に立つならば、片付けや掃除を強制すれば、それを嫌いになる子が必ず現れて、その子は強制がなくなれば掃除を極力やらない人間になってしまうと考えるからですね。もちろん、強制しないからといって、片付けや掃除の意義や効果を話さないわけではありません。でも、言葉よりも自分が率先してやることで、掃除は嫌々やるものではなく、淡々と当たり前のようにやるものだというポジションに置かせようと思ってやっています。歯磨きみたいなものですね。好きとか嫌いの領域に入れるのではなく、習慣化のポジションを取らせてしまうという感じです。一部の学校では掃除の時間中にお喋りをするのも禁止しているそうですが、これこそ絶対に掃除を嫌いにさせる打ち手だと言えるでしょう。
さて、記事に戻りたいと思います。勉強や学びを大人から与えられて嫌々やるものとするのではなく、自ら主体的に学ぶ人間になっていく為に、効果的な声掛けや大人としての姿勢があるというので、それを紹介して今回の僕の記事は終わりたいと思います。
ちなみにこれを現場で子ども達に話している自分を想像すると、相当に言い方や場面に気を付けないと、「あ、コーチが怒っている」と思うだろうなと思います(笑) ここは本当に日常の関係性が重要だし、仮に自分との関係性が対等だと思われていたとしても、「大人がこういうことを言う時は怒っている時だぞ」と、既に思ってしまっていては、なかなか有効な問いかけにならない気がします。現実的には。だから、これをこのまま使えばいいというわけではなく、日頃から子ども達を一人の人間としてリスペクトするという姿勢を見せていることが極めて重要なのだと思います。その上で、こういう問いかけをすると有効だと考えるべきでしょう。
もう一つ、大人の姿勢として記事の中で推奨されているのが、「幼児・小学生の主体性を伸ばすために「命令」を減らす」です。これは僕も強烈に意識して行動しています。子ども自身の行動について僕が付き添ったり、付き合ったりする時には、必ずその意思決定は子どもにさせています。
「何する?」
「どっちから行く?」
「何で行く?」
「今日は学校行く?」
とか何とか。僕の行動については絶対に僕が決めますが、子どもの行動は子どもに決めてさせています。親子と言えども他人なのですから、当然のことだと思います。わが子と言えども、コントロールしようとしてはいけないと強烈に意識しています。そしてもっと大事なのは、そうやって子どもの意思を聞いた以上は、絶対にその判断を尊重するということです。聞いておいて、何やかんやで大人の都合のいい回答に修正させるパターンを大人はやりがちですが、それなら最初から聞いてはいけません。聞いておいて回答を変えさせる、あるいは無視するというのは最悪の行動だと、僕は肝に銘じています。
さて、色々と書いてしまいましたが、僕が望むのは学びというのは本来楽しいもので、生涯渡ってその楽しさを享受できるものだということが浸透することです。スポーツについても全く同じことが言えます。多くの子どもが勉強というものを、学校や先生から与えられるものとして受け取ってしまっていることが非常に勿体ないと思っています。これを変える為に、不必要な評価をやめたり、強制や禁止をできるだけ排除することが、とりあえずすぐにできる大人の行動なのではないかなと思います。まー教育というのは、答えが出るまでに十年とかかかるものなので、誰も正解が分からずにやっていくしかないのだと思いますけどね(笑) あ、でも、十年後の正解も大切だと思いますが、それだけ正解が不透明だからこそ、今目の前の子どもが”イキイキしているか”というのも、もの凄く大事な指標になるべきだと僕は思っています。極端なことを言うと、僕は子どもがイキイキとYoutubeを見ているなら、何時間でも観てもいいと思っています。実際に子どもたちは、Youtubeの動画でめちゃくちゃ多くのことを学び、真似して技術を習得したりしていくのを目撃しているので、大事なのは視聴時間ではなく、”イキイキしているかどうか”だと思っています。死んだような目で観ている時は、他のことをやれと言いますね、さすがに(笑)
というわけで今日は、子どもに対する接し方とか教育についての勉強回でした。誰かの何かの参考にもなれば幸いです。
今回もお読みいただきありがとうございました!
ではまた!
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総合型地域スポーツクラブ研究所
総合型地域スポーツクラブのマネジメントをしている著者が、東京から長野県喬木村(人口6000人)へ移住して悪戦苦闘した軌跡や、総合型地域スポ…
総合型地域スポーツのマネジメントを仕事としています。定期購読マガジンでは、総合型地域スポーツのマネジメントに関して突っ込んだ内容を毎日配信しています。ぜひご覧ください!https://note.com/kenta_manager/m/mf43d909efdb5