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なぜ体育で嫌な思いをした、という事象が生まれてしまうのか。
どうも!上杉健太です。埼玉県富士見市の総合型地域スポーツクラブの代表をやったり、スポーツ推進審議会委員をやったりしながら、生涯スポーツ社会の実現を目指して活動しています。
さて今日は、『体育で嫌な思いをした?』というテーマでお話したいと思います。スポーツに対する色々な人の意見に触れようと思って、noteの記事を読み漁っていた中で、いくつか「体育で嫌な思いをしてスポーツが嫌いになった」という内容の記事に出会ったので、今日はそのような事象が起きてしまう理由や背景について考え、総合型地域スポーツクラブとして何ができるかまで落とし込みたいなと思っています。
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さて、なぜこの問題を取り上げるのかというと、これによって生涯にわたってスポーツを避けて生きる人が存在してしまっているからですね。生涯スポーツ社会の実現を理念としている総合型地域スポーツクラブとしては、当然看過できない問題なわけです。
もちろん、体育とスポーツは厳密に言えば異なるもので、”体育”を嫌いになったからといってスポーツまで嫌いになる必要はないのかもしれません。ただし、一般的に言えば体育とスポーツはほぼイコールと考えられていると思って間違いないでしょう。だから、「これは体育の問題だ」と捨て置くことはできないのです。
体育で嫌な思いをしたと話す人のシーンは主なものをまとめると以下のようなものになりそうです。
周囲よりも苦手がゆえに、チームメイトの足を引っ張ってしまったり、対戦相手に退屈な想いをさせた。
大勢が見ている前でやらされて、失敗し、笑われた。
体育着が寒い
先生に怒られた
スポーツ現場を知るものとしては、非常に難しい状況もありそうだなと想像します。まず、1つ目の実力が周囲よりも劣っている為に迷惑をかけてしまう系の問題は、他人と何かをやる活動ではどうしても起こってしまう問題です。スポーツだけに限らないでしょう。ただ、策が全くないわけではありません。区分けによって、です。仮にそこにいる人の能力をA・B・Cと区分けできるとしたら、能力Aの人はAの人たちだけで活動(スポーツ)を行えばいいわけです。そうすれば実力差は必然的に小さいものになりますから、「迷惑をかけた」と思う度合いも小さくすることができます。ただ、ゼロにはならないでしょう。どこにでも人を責める人は存在してしまうのが現実だし、責められてもいないのに責められていると感じてしまう人が存在するのも現実だからです。
ただ、ここはさらに深ぼって考えてみてもいいかもしれません。仮にどうしても人を責めてしまう人がいた場合に、なぜその人は”足を引っ張った人”を責めてしまうのか。そこに、”勝利によって得られたはずの何か”があったからかもしれません。学校体育の場合は、成績ですよね。ここで勝てば『5』だと思えば、勝利に対してどん欲になり、足を引っ張る存在が許せなくなったり、自分だけは『5』を取れるように責任転嫁をしたくなったりするかもしれません。つまり、この場合のボトルネックは、人を責めてしまう人にあるのではなく、勝利を評価してしまう構造にこそあるということになるのかもしれません。
恥をかいた系の事象も多いようです。これは僕もよく分かります。僕は基本的には体育が得意で、好きでしたが、水泳の時期だけは死ぬほど体育が嫌いでした。何度か”ズル休み”もしたと思います。体温計をズボンでこすって摩擦熱で発熱を装うのです(笑) まぁ僕の話は置いておいて、体育で恥をかくという問題は、やり方のマズさもありながらも、運動というものの特性が現れている側面もあるのかなと思っています。運動は目に見えてしまうということです。人前でやるかどうかは別問題ですが、運動を隠すことは基本的にはできません。算数の問題ができているかどうかは、一見すると分かりませんし、それこそ紙に残された回答だけを見れば誰がやったかさえ分かりません。でも運動の場合、それができません。その運動は、まぎれもなくその人のものであると認識されてしまいます。だから、いい結果が出ればその人はもの凄い得意げになれますが、逆に悪い結果が出れば恥をかいたと思ってしまう人もいるのでしょう。
結局のところ、この事象も程度を下げることしかできないかもしれません。先ほどの解決策と同様に、能力によってグループ分けをすれば、みんな同じように成功し、同じように失敗をする確率が高くなるので、「恥をかいた」と思う程度も低くなるかもしれません。でも、根本的に自分の運動(動作)を隠すことはできませんから、結局のところ自己肯定感の低い人は「恥をかいた」と思ってしまうシーンはあるかもしれません。難しいところです。
3つ目の服装については、これは速攻で体育が改善した方がいい点だと僕は思っています。僕の頃は完全にそうでしたが、なぜか体育は冬でも寒い服装でやらされたりしますよね(;^_^A あれは一体なんなのでしょうか。普通に体のことを考えれば、「寒い」と感じる状態であれば筋肉を冷やさない為に暖かい服装をしてウォームアップをするべきだと思うのですが・・・。寒い寒いと震えているような状態で運動をすることは、当然ですが運動の質は低下し、怪我のリスクは上がります。何一ついいことはないと思います。何となく「根性」なるものが身に付くという狙いがありそうな慣習ですよね。だとしたら、「根性」というものを完全に誤解しているなと僕は思います。根性は、理不尽なもの(自分が納得していないもの)を我慢する能力などではなく、自分が成し遂げたいものに対してやり続ける行動・習慣のことだと僕は思っています。
4つ目については、もうこれは体育の問題ではないでしょう(笑) どんな場面においても、人に対する好き嫌いは生じてしまい、それによってその教科が好きになったり嫌いになったりしてしまうのが現実です。とある研究では、どのような学校に行くかよりも、どのような先生に習ったかの方が圧倒的に影響が大きいという結果が出ているそうです。強いて言うなら、中学校や高校においては体育教師というのは確かにちょっと他の教師とは異質な部分があるかもしれません。今は絶対のそのようなことはないと思いますが、僕が子どもの頃には職員室とは別に”体育教官室”というのがあったんです。そこに入るといつも煙草の煙がすごくて、パソコンの画面は常に麻雀画面でした。当時の僕は「こういうものなんだな」と受け入れていましたが、今思えばかなり異常な世界ですよね(;^_^A もしも今もこの流れを体育教師が受け継いでしまっているのなら、「他の教師はいいけど、体育教師は嫌いだ」と思う子がいるのも理解はできます。もしも今も変わっていない部分があるなら、これも速攻で改善するべきでしょう。
さて、こうやって考えてみると、以下にグループ分けをしてあげるかが重要かが見えてきました。ここにはリソースの問題がつきまとうわけですが、学校においてはシンプルで、学年やクラスの枠組みをさっさと取っ払ってしまえばいいんです。学年やクラスに閉じ込めて、その中で何とかしようとするから能力のバラつきが多い中で無理矢理やらなければならなくなる。別に、運動が得意な中1と中3が一緒にやってもいいわけですよね?実際に部活動ではそのようにやっているわけですから、全然いけるはずです。小学校に置いても同様です。会場をどう振り分けるかという問題はありそうですが、やれば何とかできるでしょう(笑) 算数なんかは小学校でも能力別にやったりすることもありますよね?小学生はまだ?いずれにせよ、それを体育にも展開すればいい。それでかなり解決できる部分がある気がします。能力が高い子もハッピーだし、能力が低い子もハッピーでしょう。先生たちの現場マネジメントも圧倒的に楽になりますから、先生もハッピーなのではないでしょうか。
ぜひこの方向で学校の体育も変わって欲しいものです。そうすれば、多くの子が絶対に通る「体育」によってスポーツ嫌いになる子が減り、生涯スポーツ社会の実現に大きく前進すると思います。それだけ、義務教育というものの影響は大きいのです。
というわけで今日は、『体育で嫌な思いをした?』というテーマでお話しました。こうやって書いていると、子どもの頃の僕はきっと多くの運動嫌いの人を傷つけていたのだろうなと想像します。いくつか思い出されるシーンもあります。本当に申し訳ないことをしてきたなと思います。僕が今こうして総合型地域スポーツクラブをやっているのは、その償いみたいな側面もあるのかもしれません。
今回もお読みいただきありがとうございました!
ではまた!
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総合型地域スポーツクラブ研究所
総合型地域スポーツクラブのマネジメントをしている著者が、東京から長野県喬木村(人口6000人)へ移住して悪戦苦闘した軌跡や、総合型地域スポ…
総合型地域スポーツのマネジメントを仕事としています。定期購読マガジンでは、総合型地域スポーツのマネジメントに関して突っ込んだ内容を毎日配信しています。ぜひご覧ください!https://note.com/kenta_manager/m/mf43d909efdb5