成功は運のおかげ
成功の確率は努力で上げられるが、まったく幸運が存在しない成功はない気がする。
どうも、ふじみスポーツクラブの上杉健太(@kenta_u2)です。埼玉県富士見市で、誰もがいつまでも、自分に合ったスポーツを続けられる地域社会の実現を目指して、総合型地域スポーツクラブの運営をしています。
今日は、『成功は運のおかげ』というテーマで考えてみたいと思います。私はついつい、「結果は全て俺の行動の成果だ!!!」みたいに考えがちなのですが、成功の多くが運によってもたらされていることも理解しています。そこで、仮にこれまでの私の挑戦を成功しているとした場合に、その成功がどのような幸運の結果としてもたらされたものなのかを明らかにしてみたいと思います。
幸運1:行政に恵まれる
私が総合型地域スポーツクラブを普及・発展させる挑戦を始めて最初の幸運は、『行政に恵まれる』だと思っています。長野県喬木村のことです。
私は地域おこし協力隊として喬木村へ移住し、総合型地域スポーツクラブのマネジメントを始めました。最初の3年間は嘱託職員として半分仕事をし、半分はクラブの職員として仕事をするという立場だったのですが、このやり方がすんなりいったのは、喬木村のおかげです。全国の地域おこし協力隊の中には、行政の指示通りに仕事をしなければならない人や、副業を禁じられている人もいるようなので、その点で私はかなり幸運でした。喬木村は私に自由に働かせてくれました。本当に感謝しています。
私は特に喬木村の行政についてよく調べて移住したわけではありません。ただただ、『総合型地域スポーツクラブのマネジメントができる』という点でのみ選びました。
(※もちろん、下見の時に恵まれたスポーツ環境があることは確認していた)
そんな選び方をして移住した喬木村。そこの行政の姿勢が私にとって最高だったことは、ただただ幸運でしかないんです。そこに私の能力や行動は、1ミリも関与していない。
幸運2:地域の人に恵まれる
喬木村での生活で言えば、『地域の人に恵まれた』という幸運もありました。田舎暮らしを始める時に一番と言ってもいいくらいに心配だったのは、ご近所づきあいです。ドロドロの近所付き合いに疲れてしまうのではないか。そんな心配をしていました。
しかし私に関して言えば、そんなことは一切ありませんでした。消防団活動だけ少し辛かったですが、それ以外は本当に時間やパワーを奪われることはほとんどなく、仕事に専念することができました。
これも、恐らく地域によっては”付き合い”で疲弊してしまう場合もあると思うので、私は幸運だったのだと思います。
幸運3:テニスブームがやって来る
総合型地域スポーツクラブの事業の話をすると、最大の幸運はテニスの成功です。喬木村のクラブには当時、柱と呼べる種目がなかったので、何か作りたいなと思って立ち上げたのがテニス部門。これが本当にはまってくれて、クラブの最大の柱にすることができました。
これにはいくつかの幸運が重なりました。まず、ナイター付のテニスコートが結構使われていない状態であったことです。これは私が何かをしたということはなく、私が移住した時からその状態だったので、ただただ幸運でした。そして、たまたま私にテニス歴があったことも幸運です。私が高校時代にテニスをやっていたのは、この時の為にやっていたわけではなく、中学時代に野球部が潰れて、「今度は2人いればできる個人スポーツにしよう」と思って始めただけだったからです。そのテニスの経験がここで活かせるのは、やはり幸運によるものです。
さらに、喬木村やその周辺の地域には硬式テニスをやる文化がそれほど根付いておらず、指導を受けられる環境が整っていなかったことも幸運でした。
幸運はさらに重なります。テニス部門の立ち上げと、錦織圭選手の大活躍のタイミングがピッタリ重なったんです。テニス部門のスタートが2014年なのですが、錦織圭選手が世界ランク5位に大躍進した年なんです。
↓まとめ動画がありましたので、よろしければご確認ください。
これはもう幸運でしかないですよね。本当にラッキーでした。このおかげで人が集まってくれたという事実は確実にあると思っています。
幸運4:ボランティアセンターを作る時期と重なる
喬木村での幸運はまだ終わりません。実は移住5年目(クラブにとって6年目)にクラブハウスができることになるのですが、これも幸運以外の何物でもありませんでした。なぜならクラブハウスは、自力で建てたものではなく、行政からお声がけいただいて、国や村のお金で建てていただいたものだからです。そこを実質クラブハウスとして使わせていただきました。
この幸運がどうやって訪れたかというと、始まりはボランティアセンターでした。どうやらボランティアセンターなるものを各自治体は持っていなければならないらしく、喬木村の課題となっていました。ボランティアセンターがまだなかったからですね。
そこで喬木村と社会福祉協議会が協議を始めたわけですが、そこでボランティアセンターが入る建物が必要だということになったんです。しかし建物を作るお金がない。そこで白羽の矢が立ったのがたかぎスポーツクラブ(喬木村の総合型地域スポーツクラブ)。ボランティアセンターと総合型地域スポーツクラブのクラブハウスとすることで、国から地方創生系の補助金を引っ張ってくる作戦に出たのです。
(※このあたりの計画の立て方が喬木村はすごく上手なのだと思います!)
もちろんクラブとしての返事は即答でYES!持ち出しゼロで、建設前の計画段階から参画させていただけることになったんです。
実はクラブハウスの話は、ただの幸運ではないかもしれないなと思っています。村長を始めとする行政のキーマン達が、私が残る場所を作ろうとしてくれたのではないかという疑い(?)を私はずっと持っているんです。もしそうだとしたら、本当に有難い限りです。これのおかげで私は、クラブハウスのある総合型地域スポーツクラブのマネジメントを経験することができ、そのおかげでたかぎスポーツクラブも大きく飛躍しました。
いずれにしても、そのような行政と一緒にお仕事ができたのは幸運でした。
幸運5:仲間に恵まれる
5番目の幸運は、『仲間に恵まれる』ということです。これは総合型地域スポーツクラブの挑戦に限った話ではなく、私は常に仲間に恵まれます。大学時代に立ち上げたフットサルクラブの仲間、大学のゼミで出会った先生や先輩・同期・後輩、新卒で入社した会社の上司・先輩・同僚たち、喬木村・富士見市で一緒にクラブを運営した皆さん、クラブの会員のみなさん、総合型地域スポーツクラブを盛り上げようとする同志。本当にいつも思うんです。私は人に恵まれる、と。
例えばクラブなんて、一人変な人が入ってきただけで壊滅的なダメージを受けることがあるんです。私もそういう目に遭ったことがないわけではありませんが、そんなことはほとんどありません。みんな本当に優しい人たちばかり。どういう人がクラブに入ってくるかはコントロールできませんから、これは本当にただただ幸運なんです。
幸運6:人生の環境に恵まれる
こういうことを考えているといつも同じ結論に至ります。結局私の人生を作ってきたのは、私自身ではなく、私の周りにいる人たちだったんだなと。もちろん、そこに私の意思は確実に介在しているわけですが、それでも比重は周辺の人たちに傾いているように思えてくるんです。素晴らしい人や環境があってこそ、私は意思決定ができたし、行動ができた。それはきっと今もそうなのでしょう。
今の両親のもとに生まれ、自由な選択をさせてもらいながら育ちました。色々な人に出会い、色々な経験をしました。結婚をして子どもを二人も授かりました。これらの全てが幸運です。私は何もしていない。ただただ、そこにあった環境で一生懸命に生きてきただけ。結局、私の人生が丸ごと幸運なのだと思います。有難いことです。
というわけで今回は、『成功は運のおかげ』というテーマでお話ししました。別に成功者のつもりはありませんが、ここまでやりたいことをして、しかも特に不自由もなく生活できているのは、幸運のおかげだなと思います。「俺には幸運がついている」
そう思ってこれからも思い切って生きていきたいなと思います。
(※俺には運がついているから努力なんてしなくていいと思ったら終わる)
今回もお読みいただきありがとうございました!
ではまた!
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総合型地域スポーツクラブ研究所
総合型地域スポーツクラブのマネジメントをしている著者が、東京から長野県喬木村(人口6000人)へ移住して悪戦苦闘した軌跡や、総合型地域スポ…
総合型地域スポーツのマネジメントを仕事としています。定期購読マガジンでは、総合型地域スポーツのマネジメントに関して突っ込んだ内容を毎日配信しています。ぜひご覧ください!https://note.com/kenta_manager/m/mf43d909efdb5