後悔とは

 どうも!上杉健太です。
 埼玉県富士見市の総合型地域スポーツクラブの代表をやったり、スポーツ推進審議会委員をやったりしながら、生涯スポーツクラブ社会の実現を目指して活動しています。ピクミン4がもう少しでクリアできそうです。
 さて今日は、『後悔』というテーマでお話したいと思います。先日、スポーツ選手とお話をしている中で、そのかたが「どうせ試合の後にはもっとやれることがあったんじゃないかと後悔する」みたいなことを仰っていたことを受けて、考えてみる回です。皆さんにとって『後悔』という言葉はどういう意味を持ちますか?


 さて、いきなり結論めいたことを言ってしまいますが、実は「試合の後には後悔が必ずある」と言われた後に、「そうですよね?」と話を振られたのですが、その瞬間に僕に浮かんだ回答は、「いや、思えば僕はその手の後悔をした記憶がない」でした。僕は昔からかなりの負けず嫌いだし、悔しくて泣いたことなんて何度も何度もあるけど、「もっとこうしておけば・・・」みたいな後悔をしたことはたぶん一度もないです。もしかしたらその瞬間はそういう念を抱いた瞬間はあったかもしれませんが、少なくともすぐに忘れてしまうようなあっさりしたものだったはずです。だから今では何も思い出せるものがない。一番印象的だった敗戦は、中2の時の野球の試合で僕のサヨナラエラーで負けたものですが、それでも後悔が残った記憶はありせん。

 当時のことはもうあやふや過ぎて何を語っても怪しいので、ここからは今の自分についてお話しますが、たぶん僕は後悔という発想をそもそも持っていない可能性が高いです。もっと根源的なことを言うと、“過去”というものにかなり興味がない人間なのだと思います。卒業した組織に戻ろうという気持ちが湧いたことは一度もないし、いわゆるサラリーマンとしてのキャリアをさらっと変えられたのも、僕が過去に興味がないからかもしれません。


 僕はここで、後悔することをネガティブに捉える気はないし、後悔しない自分に酔っているわけでもありません。もっと僕はあっさりしていて、僕がいったん至ったのは、「後悔なんてものは、そもそも存在していないのではないか?」という仮説です。
 よく考えてみてください。「後悔をする」って、どういうことですか?色々な意味が存在するのだと思いますが、要するに「過去の行いを悔いる」ということですよね。「やらなきゃよかったな」とか、「もっとこうしてたらよかったな」とか。これって、ただ“思ってる”だけなんですよね。この時点では行動になっていない。他人から見たら、その人が後悔しているかどうかは分からない状態。そんなものの存在を認めるわけにはいきません。他人に対して殺意を抱いたからといって、何の罪にも問われないのは、そんなものを存在するものとして認められないからです。それと同じです。(※同じです?)

 しかし一部の人は、後悔で終わらずに改善行動に出ます。「もっとこうすれば」という後悔から始まり、実際にそこを改善した行動を次に取るわけです。ところが一部には、後悔するだけで再挑戦しない人もいますよね。重要なのはここです。行動を起こすのか、起こさないのか。これだけ。後悔しているかどうかなんてどうでもいい。僕たちが生きることができるのはいつも未来だけです。(※現在という“点”には僕は生きることができないと思って生きています)

 縦軸を『後悔する/しない』でとり、横軸を『行動する/しない』でとれば、人を4つに分類することができます。

  1. 後悔し、行動を起こす人。

  2. 後悔せず、行動を起こす人。

  3. 後悔し、行動を起こさない人。

  4. 後悔せず、行動を起こさない人。

 もちろん、「後悔」に効果を見出せるのは1.のみで、2〜4.については後悔というのはほぼ存在意義がありません。ほとんどの人にとって、後悔なんてものは存在していないんです。たぶん僕は2.のタイプなので、別に後悔なんてものはどうでもいいんです。してもしなくてもいい。だったら面倒だからしない。そんな感じなのだと思います。


 人生は選択の連続です。過去の選択について後悔する人もきっといるのでしょうが、僕たちはパラレルワールドを行ったり来たりできないのだから、選択しなかった人生の検証をすることはできないんです。だから、「ああすればよかった」と言ったところで、本当にそっちの方が良かったかどうかは分からないわけですよね。だから結局のところ、自分の選択が正解だと信じて、正解になるように生きるしかないんですよね。

 スティーブ・ジョブズが残した言葉に、「Connecting the dots」があります。和訳すると「点と点を繋げる」ということだと思いますが、興味を持ったことや、純粋にやりたいと思ったことに取り組んでいると、そこで打った“点”が後になって他の点と結びつき、その時には思いもしなかった成果をもたらすことがあるということです。
 その時には失敗だと捉えて、後悔するようなものでも、後で重要な“点”になることがあるし、そうすることができるわけです。
 例えば僕は、高校時代にテニス部で頑張っていたのですが、3年間やった結論として、「俺はテニスには向いていない」に至ってフットサルに転向しています。でも、総合型地域スポーツクラブのマネジメントを始めて、「このクラブに必要なのはテニスだ」と思い至った時に、高校時代に打った“テニスという点”が僕の人生でいきなり輝き出しました。もちろん僕は、高校3年間をテニスに費やしたことを当時から後悔なんてしていませんでした。
 こう考えると、ますます後悔なんてものはいらないような気がしてきませんか?大事なのは点を打ったことであり、また次の点、その次の点を打つこと。それでけなんです。後悔はなくていい。それが僕の結論です。


 ここまで書いて気が付きました。どうやらここにきて、これまで「ある」と思っていたことがどんどんなくなっていっていることに。「やる気」とか「モチベーション」なんてものは存在しないし、「努力」も存在しない。そして「後悔」も存在しないものになりました。定義があやふやで、他人から見て確認ができないものを認めてしまうと、それによって他人を傷つけてしまうし、自分にとっても余計な思考が必要になって無駄が多くなってしまうから、僕はそういうものを存在しないものとしています。
 なんだか人生とは、余計なものを削ぎ落としていく作業のような気がしている41歳の秋です。人生あと半分ほどある予定なのですが、死ぬ時には一体何が残っているのでしょうか?(笑)


 というわけで今日は、『後悔』というテーマでお話しました。もちろん僕は、収入を激減させて総合型地域スポーツクラブの仕事を始めたこと1ミリも後悔していないし、他にも人生において後悔なんて1つもありません。いや、嘘です。ただ1つ。資産運用(お金)の勉強だけは、「もっと若い時からやってればよかったー!!!」と結構強い後悔をしています。だから学生に話す機会には、本題のおまけで必ず伝えるようにしています(笑) お金について思考停止をするな、と。

今回もお読みいただきありがとうございました!
ではまた!


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総合型地域スポーツクラブや筆者の挑戦のリアルな実態を曝け出しています。自ら体を張って行ってきた挑戦のプロセスや結果です! 総合型地域スポーツクラブをはじめ、地域スポーツクラブの運営や指導をしているかた、これからクラブを設立しようとしているかた、特に、スポーツをより多くの人に楽しんでもらいたいと思っているかたにぜひお読みいただきたいです!

総合型地域スポーツクラブのマネジメントをしている著者が、東京から長野県喬木村(人口6000人)へ移住して悪戦苦闘した軌跡や、総合型地域スポ…

総合型地域スポーツのマネジメントを仕事としています。定期購読マガジンでは、総合型地域スポーツのマネジメントに関して突っ込んだ内容を毎日配信しています。ぜひご覧ください!https://note.com/kenta_manager/m/mf43d909efdb5