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【小説】クラマネの日常 第9話「金の卵」

 僕はひょんなことをきっかけに、小さな村にある総合型地域スポーツクラブのマネジャーをすることになった。
 竹内隼人。それが僕の名前だ。郷田さんという役場職員のかたに強引に誘われて、この仕事をすることになった。仕事には慣れてきたと思う。でもクラブの仕事をしていると、まだまだ驚かされることがたくさんある。

 クラブマネジャーと言っても、うちのような小さなクラブでは、マネジャー自身も指導などをしてクラブの収入を増やさないとやっていけないのが現状だ。マネジャーになりたての頃は何も指導していなかったのだが、中山さんという人がサブのマネジャーとして来て、「今の時期はまだ、マネジャーもどんどん現場で働かなきゃ」と言い出して、僕はそれからというものの、年々指導を受け持つクラスが増えている。一応僕がメインのマネジャーで先輩なのだが、年齢が全然上の中山さんの言いなりになっている。もちろん、僕にはそれが合っているというのは自分がよく分かっている。
 受け持っているクラスの一つに、テニスのキッズクラスがある。キッズクラスは、保育園や幼稚園に通うような、まだ小学校にあがる前の子どもたちのクラスだ。保育士を目指して短大で勉強をしていた僕にとっては、一番やりがいを感じるクラスと言ってもいいかもしれない。ただこの年代のスポーツ指導の難しさもよく感じる。というのも、感受性が豊かな子だと、失敗したり、勝負に負けたりすると、怒ったり、拗ねたり、泣いたりしてしまい、それが連鎖したりすると収拾がつかなくなったりすることもあるからだ。かと言って無理矢理やらせるのも違う。中山さんからは、「キッズクラスはとにかく、スポーツが好きになって、小学生になってもスポーツを続けたいと思えることが大切だ。上手いか下手かは関係ない」と耳にタコができるくらい聞かされている。
 このクラスの中に、多美ちゃんという女の子がいる。保育園の年長さんだから、5歳か6歳という年齢だ。多美ちゃんは、はっきり言ってしまえば運動が苦手だ。多美ちゃんがテニスを始めてもう1年近くになるが、まだまだ空振りはたくさんするし、ボールを追いかけてよく転んだりもしている。でも多美ちゃんは頑張り屋さんで、多少のことではめげない。練習も休まずに来ているし、集中力もある。クラスの中だけで言えば、誰よりも練習をしていると言えるかもしれない。ただ、多美ちゃんの上達はなかなか進まなかった。僕はそれがもどかしくて、どうしたらいいのだろうかとよく悩んでいた。
 ある日の練習中。珍しく多美ちゃんが泣いた。僕が手で軽く投げてバウンドしたボールを打ち返す練習をしている時だった。僕は「いーち、にー、さん!」とボールのリズムに合わせて掛け声をしながら、一定のリズムでボールを出していた。子どもたちは、打ったら代わる、打ったら代わるというように動き続けていた。ほとんどの子が空振りをしない中、多美ちゃんの番になると時折空振りが出た。最初は他の子ども達も気にしていなかったのだが、多美ちゃんが空振りをする度に、ラケットに当たらずに残されてしまったボールを拾わなければならず、全体の動きが止まってしまう。それをおもしろく思わなかった子 ―その子は多美ちゃんの順番の子だったから、言い方は悪いが一番の被害者だった― が、とうとう、「多美ちゃん!もう!空振りしないで!」と言った。それを聞いた僕は、「そんなこと言わないで。わざとやってるわけじゃないんだし、失敗は誰にでもあるでしょ」と言ってみんなをなだめた。多美ちゃんも引き攣った表情ではあったが、まだ笑顔が残っていた。それでも多美ちゃんの空振りは続いた。むしろ、それから増えた。多美ちゃんは「空振りしちゃいけない」と思ったのだと思う。それにより、余計に「空振り」が頭に思い浮かんでしまったのだと思う。そういうことは、よくあることだった。とにかく多美ちゃんの空振りは増え、他の子どもたちは、「うんざり」という表情を隠さなくなっていた。さすがに僕はマズイと思って、メニューを変えた。
「はい、じゃあ最後1回ずつ打ったらお終いねー。打った人からボールを拾いましょう!」と僕は言いながら、一人ずつ順番にボールを出していった。多美ちゃんは、最後の1球も空振りをした。
 多美ちゃんの心は、そこで折れてしまったようだった。みんなでボール拾いをしている時、多美ちゃんだけコートの真ん中にポツンと立ち尽くし、ラケットを持ったままの手で何度も何度も涙をぬぐっていた。僕はすぐに駆け寄り、「どうした?」と聞いた。あれから誰が何かを言ったということはなかったとは思う。しかし、僕に気づかないように何かを言おうと思えば言えると思うし、実際のところは本人に聞かないと分からない。でも多美ちゃんは泣き続けるばかりで何も答えない。泣き方を見れば、何も答えられないのはすぐに納得できた。
「悔しい?」と聞くと、今度は小さく頷いた。もちろん悔しいだけではなく、さっき言われた言葉も傷ついただろうと思う。もしかしたらこの練習の時間中に立ち直るのは難しいかもしれないなと僕は思った。でも多美ちゃんにだけ時間を使うわけにはいかない。他の子どもたちは元気いっぱいにまだまだ動きたいのだ。僕は仕方なく、「一回休憩しようか?」と多美ちゃんに提案する。すると多美ちゃんもコクリと頷いた。僕は多美ちゃんの肩を抱くようにして一緒にゆっくり歩いて、コートの脇にあるベンチに腰をおろした。
「回復してやりたくなったらいつでももどっていいからね」と言うと、多美ちゃんはまた頷く。僕はそれを確認すると、他のみんなの元へ戻った。
 その後も、多美ちゃん以外の子どもたちで練習を続けた。結論を先に言うと、多美ちゃんがその日の練習に再び参加することはなかった。泣いていたのは5分くらいだったと思うが、泣きなんだ後も多美ちゃんはベンチの周りで砂をいじったり、ボールをいじったりして遊んでいた。僕は、今日はそれでいいと思って、時折「多美ちゃん、一緒にやるー?」と声を掛けたりはしたものの、強引に誘うようなことはしなかった。
 やがて練習は終盤に入り、順番に試合をすることにした。僕はネットを張っているポールの付近に立ち、審判をしていた。その場所だと多美ちゃんは背中に隠れることになり、僕はしばらくの間、多美ちゃんから目を離していた。それでも後ろで、何かしているな、という気配だけは感じ取ることができる。それに試合の合間合間で振り返って、多美ちゃんが地べたに座り込んでボールで何かをしているのは確認していた。それでも僕は、試合中の子どもたちのプレーを見る方を重視していた。
 その時だった。試合の順番待ちで休憩をしていた子の一人が大きな声をあげた。
「すげー!!!!」
 その声があまりにも大きかったものだから、僕は試合中にも関わらず、試合から目をそらして声のした後ろを振り返って見た。僕の後ろには多美ちゃんがいて、僕に背中を向けて座っていた。大声をあげた子は、多美ちゃんの正面にある何かを見て驚いているようだったが、僕にはそれが多美ちゃんの小さな背中に隠れて見えない。僕は仕方なく視線をコートに戻した。試合では次のポイントが決まり、あと1ポイントを取った方が勝つという緊迫した状況だった。練習での試合とはいえ、勝ちたい子にとっては多少なりとも緊張する状況だ。僕は最後の1ポイントを見逃さないようにボールに集中する。
 その時、再び背後から大きな声が聞こえた。
「うおー!!!すげーー!!3こも!!」今度の叫び声は1人のものではなく、2人のものだったように思った。そのせいか、先ほどよりもだいぶ大きく聞こえた。
「ちょっとしずかに・・・!」注意しようと振り返ると、先ほどまで座っていた多美ちゃんが立ち上がっていて、足元の何かを見下ろしている。僕も視線を多美ちゃんの足元へ落とす。そこには、上に3個重ねられた、テニスボールの小さなタワーが立っていた。
「多美ちゃん、それはマジですごい」と僕は言った。「たぶん、僕にもできない」
 多美ちゃんは上半身だけで僕の方へ振り返り、「えへへ」と笑った。僕が背中を向けていたコートからは、「ちょっとコーチ!今の見てた!?」と怒る子どもの声が2つ聞こえていた。

総合型地域スポーツのマネジメントを仕事としています。定期購読マガジンでは、総合型地域スポーツのマネジメントに関して突っ込んだ内容を毎日配信しています。ぜひご覧ください!https://note.com/kenta_manager/m/mf43d909efdb5