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子育てが楽になるクラブに

 どうも!ふじみスポーツクラブの上杉健太(@kenta_u2)です。埼玉県富士見市で、誰もがいつまでも、自分に合ったスポーツを続けられる地域社会の実現を目指して、総合型地域スポーツクラブの運営をしています。

 今日は、『子育てが楽になるクラブに』というテーマでお話したいと思います。

 子育てというのは、多くの人が悩んでいることの一つだと思います。親になって色々な子育て系の媒体などを読む時期があって、その時に思いました。親には子どもについて色々な悩みがあり、その悩みの解決方法を提案している人(媒体)は本当にたくさんあって、そしてその解決方法が実行できなくてまた親は悩んだりしています。

 私はそういう子育ての「べき論」みたいなのを見て、そして目の前で育っていく我が子を見て、そしてそんな我が子を好きだと思う自分を見て、「なんだ。そんなに頑張らなくても大丈夫そうだぞ」と思うようになり、『子育て』にある意味では対抗する考え方として『ことくらし』という言葉をつくりました。たぶんお手元の辞書に載っていると思うので引いてみてください。

(※絶対に引かないでください)

 『子育て』が、「子どもをこういう風に育てましょう」という思想だとするなら、『ことくらし』は、「ただただ子どもに寄り添って暮らせばOK」という思想です。イメージとしては、『子育て』が子供と向き合う姿勢なのに対し、『ことくらし』は、子どもと同じ方向を見る姿勢です。さらに言うと、子どもは子ども。親は親。別々の人間としてリスペクトし合うということです。他人の人生を勝手に背負い込まない。

 それでも現実的に親には、子どもに対する責任があります。責任どころか、法律によって義務を規定されています。文部科学省のホームページに、『家庭における教育・子育てに関する法律の規定(抜粋)』というのがあったので、紹介しますね。

民法(明治29年法律第89号)
(親権者)
第818条 成年に達しない子は,父母の親権に服する。
(監護及び教育の権利義務)
第820条 親権を行う者は,子の監護及び教育をする権利を有し,義務を負う。

教育基本法(平成18年法律第120号)
(家庭教育)
第10条 父母その他の保護者は,子の教育について第一義的責任を有するものであって,生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに,自立心を育成し,心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。
2 国及び地方公共団体は,家庭教育の自主性を尊重しつつ,保護者に対する学習の機会及び情報の提供その他の家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう努めなければならない。
(幼児期の教育)
第11条 幼児期の教育は,生涯にわたる人格形成の基礎を培う重要なものであることにかんがみ,国及び地方公共団体は,幼児の健やかな成長に資する良好な環境の整備その他の適当な方法によって,その振興に努めなければならない。

児童福祉法(昭和22年法律第164号)
第1条 すべて国民は、児童が心身ともに健やかに生まれ、且つ、育成されるよう努めなければならない。
2 すべて児童は、ひとしくその生活を保障され、愛護されなければならない。
第2条 国及び地方公共団体は、児童の保護者とともに、児童を心身ともに健やかに育成する責任を負う。
第3条 前二条に規定するところは、児童の福祉を保障するための原理であり、この原理は、すべて児童に関する法令の施行にあたつて、常に尊重されなければならない。

次世代育成支援対策推進法(平成15年法律第120号)
(基本理念)
第3条 次世代育成支援対策は,父母その他の保護者が子育てについての第一義的責任を有するという基本的認識の下に,家庭その他の場において,子育ての意義についての理解が深められ,かつ,子育てに伴う喜びが実感されるように配慮して行わなければならない。

文部科学省ホームページより~

 一部、家庭や保護者に求めること以外のことまで抜粋されているようですが、それでも、これだけのことが子育てについて法律に書かれているわけですね。何だかこれを真面目に読むと、すごいプレッシャーに感じてしまうかもしれないのですが、私が「そんなに真面目にやらなくてよくない?」と思うのは、こういう前提があるからこそなんです。

 どうせ私たち親は、子どもについて責任を負っているんです。義務を負っているんです。子どもを育てなければならないんです。だったら心持ちくらいは、「寄り添って一緒に暮らしていればいい」くらいの方がバランスがいいと思うんですね。

 「親は子育てに責任を負っている。だからこれもしなければならない。あれもしなければならない。あぁ、きっとこのやり方ではダメだ。もっとこうしなければ」と、自ら責任や義務の領域を広げてしまったり、あるいは「子どもの為」と言って自らの行動に制約をかけてしまったりしている人が多い気がするんですね。

 これ、行き過ぎると何が起こるかというと、「親が子どものせいで不幸になる」、です。最悪なのが、親がその不幸を回避しようとして子育てを放棄し、子どもを殺めたり、捨てたりする事件ですよね。そこまでいくケースは稀だとしても、子どもによって不幸になってしまっている親もいるというのが事実だと思います。

 これを子供側の目線から見ると、結構切ないと思うんですね。自分のせいで親が不幸になってしまっているんですから。「だったらそんなに頑張らなくてもいい」って、子どもから言われそうな気がしませんか?「俺の為に不幸にならないでくれよ」って。

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 さて、総合型地域スポーツクラブをやっていると、子どもの事で悩んでいる保護者のかたにはたくさん出会います。例えば発達障害があることで悩んでいる保護者。人と話すのが苦手だということで悩んでいる保護者。落ち着きがないことで悩んでいる保護者。我が子に課題を感じ、悩んでいます。

 そういったかたから相談を受けた時にほとんどの場合、私が抱く印象は同じで、「え!?そんな悩むような子には思えない」ということなんです。私からしたら、ほとんど他の子と変わらないというか、いや、変わらないというか、みんな違っていて当然だし、いずれにしても、何か特別に違いがあるようには思えない場合がほとんどなんですね。

 これが、親から見た我が子と、他人から見た我が子のGAPですよね。親はどうしても、我が子に責任を負っていて、場合によっては「こういう人間に育てなければいけない」という理想形を無意識に描いてしまっていることもあります。そうすると、理想と現状のGAPが生まれ、そこに課題が生まれます。本来、どんな人になりたいかというのは、その人本人の課題にしかなり得ないものなのですが、それを他人である親が課題として抱えちゃっているのが子育ての本質的な問題点です。

(※親子は他人同士という認識は超絶大事です)

 一方、私(クラブスタッフ)から見たら、目の前の子どもはもう既に一人の立派な人間なんですね。その子には理想形なんてなくて、もう一人の立派な人間です。それが10歳でも、5歳でも同じ。立派な人間なんです。
 誤解を恐れずに言うなら、その子はもうそのままでもいいんです。子ども自身にやりたい事、やれるようになりたい事、なりたい姿があるからコーチはそれを後押しするだけで、決して世間一般や法律、クラブの価値観に基づいた理想像に向かって子どもを育てているわけではないんですね。

 他人に対して理想形を描かなければ、そこに課題は生まれません。他人の理想に対して課題を持ってしまうと、そもそも他人はコントロールできるものではないのだから、その課題はほぼ自力では解決できない課題になってしまいます。私はそういうものを、”呪い”と表現しています。本来持つ必要がなく、しかも自分でコントロールできないもの。

 この子育ての”呪い”から保護者の皆さんを解き放ってあげるのも、総合型地域スポーツクラブの果たせる役割だなと感じることがあります。それを感じる象徴的な言葉があります。

「うちの子がこんなに楽しく運動できるとは思っていませんでした」

 これは、「運動をできるようにしたい。でも子どもは運動が嫌い。どうしたらいいのか」という悩みから解き放たれた瞬間かなと思っているのですが、少しだけ分析させてもらうと、まずこの保護者のかたは、「運動ができる子」という理想形を子どもに対して持っていたことになります。それに対して、子どもへの現状認識としては、「うちの子は運動が嫌いで苦手」だったのでしょう。ここにGAPがあり、課題として認識していた。そこで運動をやらせて課題解決をしたかったが、子どもは嫌いだからやろうとしない。そういうことだと思います。
 ところが、『遊びとしてのスポーツ』の現場で運動をする我が子を見て、「嫌いだったわけではないんだ」ということに気づいた。体育や運動会など、逃げ場のない運動シーンだけでは判断できない、我が子のスポーツに対する別の姿勢が見えたわけですよね。すると多くの保護者のかたは、「こんなに楽しそうなら、できるようになるかどうかはどうでもいい」となります。ていうか、たぶん親の課題意識と子ども自身の課題意識の乖離に気づくのだと思います。

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 ちょっと散らかってしまった気がするので少しまとめたいと思います。

 親は我が子に対して責任や義務を負っているから、真面目に我が子と向き合っている保護者であるほど、子どもに対して理想形を描いてしまうことがある。そこに、解決できない課題を抱えてしまって悩んでいるかたも多い。

 そこに対してクラブができるのは、子ども一人一人の理想形を勝手に描くことを放棄し、今目の前にいる子どもを一人の立派な人間として認めること。そしてコーチとできることは、子ども自身がなりたい像に向かって子どもを後押しすること(子ども自身の課題解決の手助け)。そしてマネジメントとしてできることは、その活動を継続的かつ効率よくできるように環境や仕組みを整えることだと思います。

 本当に”呪い”というのは持たなくていいもの。だけど自分では気づかずに纏ってしまっているもの。そういう子育ての呪いから保護者を解き放てるようなクラブにしていきたいなと思います。

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総合型地域スポーツクラブや筆者の挑戦のリアルな実態を曝け出しています。自ら体を張って行ってきた挑戦のプロセスや結果です! 総合型地域スポーツクラブをはじめ、地域スポーツクラブの運営や指導をしているかた、これからクラブを設立しようとしているかた、特に、スポーツをより多くの人に楽しんでもらいたいと思っているかたにぜひお読みいただきたいです!

総合型地域スポーツクラブのマネジメントをしている著者が、東京から長野県喬木村(人口6000人)へ移住して悪戦苦闘した軌跡や、総合型地域スポ…

総合型地域スポーツのマネジメントを仕事としています。定期購読マガジンでは、総合型地域スポーツのマネジメントに関して突っ込んだ内容を毎日配信しています。ぜひご覧ください!https://note.com/kenta_manager/m/mf43d909efdb5