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素材としてのスポーツの価値

 どうも!ふじみスポーツクラブの上杉健太(@kenta_u2)です。埼玉県富士見市で、誰もが、いつまでも、自分に合ったスポーツを続けられる地域社会の実現を目指して、総合型地域スポーツクラブの運営をしています。

 今日は、何となく私が大事にしてきたことをダラダラと話してみたいと思います。あえてテーマ設定するなら、『普通にやればいい』ということでしょうか。

 私が総合型地域スポーツクラブをマネジメントしたり、スポーツ指導をするようになって約7年。講演依頼をいただいたり、原稿の執筆をさせていただいたり、それなりにこの業界で評価されるようになってきたように感じます。

(※まだまだ日本ランキング500位ですが、発信量だけなら10位には入りそうな気がする)

 でも、じゃあ私が何か斬新なことをしてきたかというと、そんなことは一つもありません。私は普通にスポーツをする場を作り続けてきただけです。スポーツがしたいと思う人を絶対に拒まず、スポーツをしたくないという人を無理に引き止めず。

 内容も、普通にテニスをしたり、普通にフットサルをしたり、普通にダンスをしたり。スポーツ広場という活動ではオリジナルの種目を作って遊んだりもしましたが、それでクラブがどうこうなったということはありません。私の活動は、”普通のスポーツ”によって作られてきました。

 もしも差別化みたいなことをしていたとすれば、それは、その地域で応えられていなそうなニーズに応えるということでしょうか。例えば、その地域にテニスを習う場がなければ、テニスコーチがいる場を作ったし、ガツガツ系のクラブしかなければ、ゆる~いクラブを作りました。それでもやはり、何かを新しく開発したということはなく、あくまでもコンテンツは、これまで先人たちが作り上げてきたスポーツでしかありません。それを少し、対象やコンセプトに応じてアレンジするだけです。

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 そもそも、先人たちが作り上げてきたスポーツが偉大だということなんです。そもそも、そこの価値が高すぎるので、今さら私が何か価値をONするなんてことは考えなくてもよくて、ただただその素材を活かせばいい。変な調理をしようとすれば、逆に味を損なってしまう。

 むしろやるべきことは、スポーツという素晴らしい素材の価値をオープンにすることでした。どこか閉鎖的なところがあるスポーツを、誰でもできるものだと再認識させる作業です。スポーツは運動が得意な人だけのものではなく、運動が苦手な人も楽しめるものだということを証明して発信する。

 スポーツの価値だと認識されている部分でもある、『鍛える』とか『礼儀』とかは、一方ではスポーツの本質的な価値を隠してしまっていたと思っています。そこを取っ払ったスポーツ本来の姿というものを見せる。やはり大事だったのは、そもそものスポーツの価値を信じて疑わないということでした。ありのままのスポーツに触れれば、その価値は絶対に伝わる。

 結果として体やメンタルが鍛えられたり、礼儀作法が身につくということはあるでしょう。それは素晴らしいことだと思いますが、それはあくまでも”おまけ”。そこが目的化してしまうと、スポーツの本当の価値が隠れてしまい、どこかスポーツが嫌なものになってしまう。苦しみになってしまう。スポーツが嫌いになる人のほとんどが、スポーツの周りにあるそういった付属品を嫌いになっていると思っています。だとしたらこんなに勿体ないことはありませんよね。

 鍛えるとか礼儀とか、近代の人間が時代の都合によって付けられたトッピングよってスポーツがある人達には美味しいものではなくなってしまったのなら、それを洗い流して素材のまま提供するクラブがあればいい。ただそれだけのことなのだと思っています。
 体を鍛えたいという動機でスポーツをやるのもいいし、礼儀を身につけたいという動機でスポーツをやるのもいいし、ただただスポーツがしたいという欲求でするのもいいんです。大事なのは、選べるということです。スポーツに何をトッピングするのか。あるいはトッピングなしで素材を楽しむのか。

 私がやってきたことは、それぞれのスポーツをやりたい動機に、一つ一つ応えて、選べるようにしていくというだけのことなんですね。繰り返しますが、それに新しい開発は必要ないんです。先人たちが作り上げてきたスポーツという素材は、洗練されていて素晴らしすぎるからです。あとはターゲットに合わせてちょっとトッピングを付け加えるくらいでいい。

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 あえてスポーツを普及する上で大切なことを言うなら、「まずはスポーツの素材を認識した方がいい」ということかなと思います。繰り返しになるようですが、近代になってスポーツは、色々なものに利用されるようになりました。軍人を鍛える道具に、子どもを教育する道具に、時には政治に。そうしていく中でいつしかスポーツの周りには色々なものがくっつくようになり、「”それ”こそがスポーツだ」と思われるようになってしまったのだと思います。

 もしも、”それ”こそがスポーツ嫌いを生んでしまった要因であるなら、周りにまとわりつく余計なものは洗い流せばいい。もちろん、”それ”が余計なものではなく大事なものだと思うならくっつけとけばいい。いずれにせよ大事なのは、それはスポーツにそもそも組み込まれたものではなく、あくまでもトッピングなのだと認識すること。嫌いなら外せばいいと、誰もが知っていること。そういった、本来外せるトッピングを込みにして、「これこそがスポーツだ!これを食え!」というのは、明らかに間違っていると思います。

(※飲食店なら、そういう頑固おやじみたいな店もいいですけど、世の中が全部そんな店だらけになったら嫌ですよね。好きな食べ方ができるお店も欲しいですよね。スポーツも同じだと思います)

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 さあ、本当にダラダラと文脈もなく話してしまいましたが、伝わったでしょうか?(^^;) まとめると、「そもそものスポーツというものは、人類が長い年月をかけて作り上げてきた素晴らしいものだから、そこに変な価値を乗せようとしなくてもいいんじゃない?」ということです。もちろん好みによってトッピングは好きにしたらいいんですけど、素材はちゃんと認識した方がいいです。
 スポーツ嫌いだという人の多くが、そのトッピングが嫌いなんじゃないかなと思っています。でも、それが”トッピング”だと思っていなくて、それも含めて”スポーツ”だと思っている。だからスポーツ自体を嫌いになっちゃう。
 もしそれが、あくまでもトッピングであるということが分かれば、外したうえで素材としてのスポーツを楽しむことができるでしょう。


 新しいものを開発する必要はない。ただ、トッピングを外せるようにするだけでいい。スポーツという素材がそもそも素晴らしいのだから。そういうお話でした。

今回もお読みいただきありがとうございました!
ではまた!

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総合型地域スポーツクラブや筆者の挑戦のリアルな実態を曝け出しています。自ら体を張って行ってきた挑戦のプロセスや結果です! 総合型地域スポーツクラブをはじめ、地域スポーツクラブの運営や指導をしているかた、これからクラブを設立しようとしているかた、特に、スポーツをより多くの人に楽しんでもらいたいと思っているかたにぜひお読みいただきたいです!

総合型地域スポーツクラブのマネジメントをしている著者が、東京から長野県喬木村(人口6000人)へ移住して悪戦苦闘した軌跡や、総合型地域スポ…

総合型地域スポーツのマネジメントを仕事としています。定期購読マガジンでは、総合型地域スポーツのマネジメントに関して突っ込んだ内容を毎日配信しています。ぜひご覧ください!https://note.com/kenta_manager/m/mf43d909efdb5