自由時間がなくなるということ

 どうも!上杉健太です。
 埼玉県富士見市の総合型地域スポーツクラブの代表をやったり、スポーツ推進審議会員をやったりしながら、生涯スポーツ社会の実現を目指して活動しています。最近は、子どもが買ったゼルダの伝説(ティアキン)をやらされています。

 さて今日は、『自由時間がなくなるということ』というテーマでお話したいと思います。エビデンスには基づかない、かなり主観的な感覚をベースに仮説を立ててみたというレベルの話なので、適当な感じで読んでください(笑)


 総合型地域スポーツクラブの仕事を始めて10年が経ちますが、この間、何度か保育園や小学校の運動会を見ることがありました。自分の子どもの運動会はもちろんですが、長野県の喬木村ではクラブの子が出ているのを見に行ったりもしていました。
 実は10年前からずっと思い続けていることがあります。それは、「ぶっちぎる子がいないな」です。運動会をパッと見て分かる運動能力なんて走力くらいのものですが、徒競走やリレーを見ても、「うわ~、この子はぶっちぎりで速いな~」みたいに思える子がほとんどいない気がしたんですね。ただ、ここはかなり”調査母数”が少ない中で感じた僕の主観です。そんな気がするというレベルです。実はそんなのは昔からそうだっただけかもしれないし、この状況はたまたま僕の周りでだけ生じているものかもしれません。

 ただ、仮にこれが事実だったとして、なぜそうなったのかを考えてみると、ちょっとだけ面白い仮説が立てられたんですね。その仮説とはズバリ、「現代の子は自由時間が少ないから、他の子と差がつかない」です。


 今の子ども達と、僕(現在41歳)の子どもの頃を比べると、圧倒的に違うのは自由度だと僕は思っています。僕の小学校の頃なんて、放課後に何か習い事をするなんてことは、ほとんどありませんでした。僕の場合は、小学校1~3年生の時には剣道の道場に通わされたので、確か水曜日だったか、平日の放課後に週1回だけ習い事的なものをやっていたことになりますが、それ以外の放課後は完全自由時間でした。剣道をやめて野球を始めてからは、野球は土曜日か日曜日にやる感じだったので、平日の放課後は完全フリーでした。この時間に何をやっていたかというと、「帰れ」と言われるまで校庭に残ってサッカーをしたり、一輪車をしたり、野球をしたり、鬼ごっこをしたり。あるいは、家の近くの公園や道路で同じような遊びをしていました。もちろん、家でゲームをすることもありました。あと僕がよく覚えているのは、誰とも遊ばない時には、家の前の壁でボールを投げていました。ひらすらに壁にボールを投げて、跳ね返ったボールを捕る。ひらすらにこれを繰り返す。投げる範囲を限定すると、だんだんと角度がついたりして、もの凄いいい守備練習をしていたなと今でも思います。しかも僕がやっていたところは地面の一部が砂利だったり、変な段差があったりして、イレギュラーしまくり。もの凄いハードモードで練習していた気がします(笑)

 自由時間の凄いところは、”やりまくれる”ということです。遊んでいて、気が付いたら日が暮れていた経験が誰にでもあると思いますが、夢中になって時間経過を忘れるような時間の多くは自由時間にあったような気がします。ずっと特定に何かに没頭することができるわけです。さらに、何をするかの選択も自由です。

 一方、今の子ども達には自由時間があまりないように思います。共働き世帯が増え、同時に社会全体での子どもの危機管理意識が高まり、子どもだけで遊ぶことが容認できなくなっていきました。その結果、多くの子どもは学童に入ったり、習い事へ行ったりすることが増え、自由時間がなくなりました。
 習い事のいいところは、子どもの発想からは生まれないような体験・経験ができ、大人から直接技能の伝達を受けられることでしょう。一方、自由時間にあった”やりまくる”ができなくなります。行動の選択も自由と言う訳にはいきません。というよりも、ほとんどの場合、誤解を恐れずに言うと、”大人の言いなり”になる時間となってしまっていることでしょう。

 大人の管理下での活動では、基本的には大きな差は生まれません。大人は子どもに平等に接しようとしますから、当然機会も平等になります。スポーツの場合だと、基本的には全員の運動量は同じになるわけです。昔も習い事はありましたが、さらに自由時間もあったので、習ったことを自由時間にさらにやって、やる子は伸びて、やらない子と差をつけることができました。そう、見方によっては自由時間というのは他者との差をつける時間なわけです。

 幼稚園で体育指導なんかを積極的に取り入れているところも多いと思いますが、とある研究だと、それよりも自由遊びの時間が多い園の方が運動能力が高いという結果も出ていたはずです。もし興味があるかたが調べてみてください。僕はそれを知って、当時クラブとして行っていた保育園の巡回指導みたいなものをこちら(クラブ側)から「やめよう」と申し入れたことがあります。その時間は自由に遊ばせてあげてください、と。


 思えば今は、「残業はやめましょう」に象徴されるように、労働時間もみんな一緒に揃えようという動きさえ出てきています。これが悪いわけでは決してないのですが、その分、できた自由時間で他者と差をつける何かをやっていないと、「大人になってもみんな大して差がない」みたいな社会になってしまうかもしれませんね。
 よく、格差という言葉を使って、他者との差が開くことを否定する意見を耳にしますが、それには一定の理解を示しつつも、僕個人としては、「差があってもよくない?」と思う部分もあるんですよね。一方では多様性を認めようと言いながら、一方では差を認めない社会に、何だかモヤモヤしてしまうわけです(;^_^A 差があることなんて当然で、その差によって不当な扱いを受けないということが重要なのではないでしょうか。ていうか、大体の場合において、ある側面ではAさんが優位だが、ある側面ではBさんの方が優位。そういうものだと思いますから、ある側面の差を取り出して大騒ぎする必要がないというのほとんどのような気がします。


 実は総合型地域スポーツクラブをやっている僕にはずっと抱え続けているジレンマのようなものがあります。自由時間の大切さに気が付いていながら、総合型地域スポーツクラブを運営することで子ども達の自由時間を奪っているのではないかということです。でも一方では、僕たちがクラブをやらなくても、今の地域社会には子ども達が自由に遊べる環境はあまりない、ということも事実。どうしても自由な遊び場を作るのが難しいから、せめて総合型地域スポーツクラブという形で色々な子が自分に合った遊び(スポーツ)が出来る場をつくろうとしているのが現状です。いわば今の社会(時代)に合わせた妥協点的な側面もあるんですね。みんなが自由に遊べて、僕たちのような存在が必要なくなれば、それはそれでいいと僕は思っています。でも現実はそうではない。

 じゃあどうするか、ということです。コーチとしての僕は、まずはクラブが大人の管理下にはないという印象の基で、子ども達が活動できるように心がけています。最も重要なのはコーチのポジションです。コーチが子ども達の”上”に立ち、押さえつけてしまったり、あーしろ、こーしろと命令ばかりしていたら、その場は完全に大人の管理下となるでしょう。子どもはきっと自由を感じることはありません。なので僕は、そうならないように”子ども側”に立つように心がけています。もちろん、管理者としての立場も同時にありますから、完全に子ども側に立つわけにはいかないので、イメージとしては子ども達の”半歩前”みたいな立ち振る舞いをするようにしています。具体的には、提案のパートでは大人として振舞うが、改善点を考えたり、ゲーム中は子どもの中に入って一緒に考えたり楽しんだりするようにしています。
 また、5分程度でもいいから自由時間を作るようにしています。その時間は何をしてもいいようにしていると、みんな思い思いの行動を選択します。そのスポーツをさらにやる子もいれば、全く違う遊びをする子もいますし、道具を使って工作めいたことをする子もいます。僕はそれを見て、子どもの本質を必ず見るようにしています。もしかしたらそこにこそ、子どもの”本当にやりたいこと”があるかもしれないわけです。自由時間でもそのスポーツをする子は、当然のようにそのスポーツにおいては周りに差をつけていきます。
 そして当然のように、強制と禁止はできるだけゼロにしています。自由に最も縁遠いもの、それが強制と禁止だと僕は思っているので、法律に違反しない限りは、独自の強制と禁止ルールはできるだけ設けないようにしています。
 これが総合型地域スポーツクラブの運営をしている僕が、できる限りでも子どもに自由時間を作ろうと取り組んでいることですね。

 ちなみに、総合型地域スポーツクラブの理想像の一つには、「クラブハウスを持って運営する」があります。これが実現できると、クラブハウスに職員が常駐し、子ども達はいつでもそこに来て自由に遊ぶことが実現可能になります。長野県の喬木村では自治体と協力してクラブハウスを実現させました。ふじみスポーツクラブでも、いつか必ず実現させたいと思っています。


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総合型地域スポーツクラブや筆者の挑戦のリアルな実態を曝け出しています。自ら体を張って行ってきた挑戦のプロセスや結果です! 総合型地域スポーツクラブをはじめ、地域スポーツクラブの運営や指導をしているかた、これからクラブを設立しようとしているかた、特に、スポーツをより多くの人に楽しんでもらいたいと思っているかたにぜひお読みいただきたいです!

総合型地域スポーツクラブのマネジメントをしている著者が、東京から長野県喬木村(人口6000人)へ移住して悪戦苦闘した軌跡や、総合型地域スポ…

総合型地域スポーツのマネジメントを仕事としています。定期購読マガジンでは、総合型地域スポーツのマネジメントに関して突っ込んだ内容を毎日配信しています。ぜひご覧ください!https://note.com/kenta_manager/m/mf43d909efdb5