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クラばな!(仮)第72話「配達マネジャー」

〜ジュニアテニス会員 コージの視点〜

この前、ぼくがテニスをやっているクラブハイツリーのスポーツテストのイベントがあった。
握力の強さや、体の柔らかさ、素早さ、ジャンプ力や走力などを記録して、順位を競うイベントだ。世代で1位になると賞品がもらえるとのことだった。
ぼくはクラブハイツリーのやる事なら何でも参加したくなっちゃうから、お母さんに相談して申し込んでもらった。そうしたらお父さんも出るというので、一緒にやることにした。
握力を測って、前屈をして、腹筋みたいなのもやって、あとは反復横とびや幅とび、シャトルラン・・・これはきつかった。でもやってみたらあっという間に終わった。たぶん全部で30分くらい。
記録を書いた紙を受付にいた植田コーチに出したら、「おつかれさま。じゃあ結果はまた今度渡すからね」と言われた。すぐにはもらえないのか。そう思って帰りの車でお父さんに言ったら、「そりゃそうだ。みんなの記録が揃ってからじゃないと順位も出せないだろ」だって。まぁそうか。

イベントから1週間くらいが経った。ぼくはすっかりイベントに参加していたことなんか忘れて、いつも通りに学校に行って、いつも通りにテニスをしていた。
そんなある日曜日の午後。家のチャイムが鳴った。誰だろう?家のチャイムが鳴ることなんてほとんどない。大体いつも勝手に玄関のドアを開けて、「こんにちは~!」とか叫んで呼ぶ。郵便屋さんとかだってそうする。だからたまにチャイムが鳴るとドキっとしてしまう。
お父さんは仕事だったけど、お母さんがいたから出てくれた。「はーい、どちらさまでしょう?」お母さんは玄関へ向かいながら言う。玄関の向こうから、「こんにちは!クラブハイツリーの植田です」という声が聞こえた。植田コーチ?なんで?そう思ったぼくは、お母さんと一緒に玄関へ出てみることにした。
お母さんが玄関を開けると、やはり植田コーチが立っていた。「突然すみません。お世話になります」植田コーチは頭を下げて挨拶をする。「こんにちは。こちらこそお世話になっております」お母さんも挨拶をして、「ほら、コージ、あなたも挨拶しなさい。植田コーチよ」とこちらを見るもんだからぼくもペコっと頭を下げた。こういう時ってなぜか声が出ない。いつも話しているコーチなのに。
「今日はどうされたんですか?」お母さんがぼくも気になっていたことを聞いた。「先日コージくんとお父さんが参加された体力テストの結果が出たのでお持ちしました」植田コーチは手に持っていた大きな封筒をお母さんに渡した。
「あら、そのためにわざわざ?」
「えぇ、幸いというかなんというか、はじめてのイベントで参加人数も多くなかったので、各世代で1位になったかたには直接渡してまわってます。副賞が少し大きいので、郵送代の節約もかねて」植田コーチは照れているように笑っている。
「あら、これが副賞ですか?みて、コージ、こんなに大きなお菓子いただいたわよ」お母さんが封筒の中身を取り出してぼくに渡す。大きな箱に入ったお菓子みたいだ。
「コージくんがシャトルランで小学低学年の部1位、お父さんが握力で40台の部1位でした。おめでとうございます。賞品は地元企業からの提供していただきました」
「あら、お父さんも。それは喜ぶわ。わざわざありがとうございます」お母さんがまたぼくをチラリとみるから、ぼくも「ありがとう」と小さな声で言った。
「あの、よろしければ中でお茶でも飲んでいってください」お母さんが植田コーチを誘ったけど、「いえ、まだいくつか配らないといけませんし、すぐに事務所にも戻らないといけないんですよ。うちは人手がいないので」と断られてしまった。すごく残念。ちょうどやることがなくて暇だったんだ。テニスは午前中で終わっちゃったし。
ん?そういえばなんでコーチはテニスの時に渡さなかったんだろう?
「テニスの時に渡せばよかったじゃん」ぼくは植田コーチに言ってみた。すると、「それでもよかったんだけど、せっかく千賀村の色々な人が受賞したからさ、村を回ってみようかなと思ったんだよ。そしたら知らない道ばかりで驚いたよ。コーチが千賀村に来てそれなりに経つし、知った気になってたんだけどな」植田コーチは頭を掻きながら答えた。それにぼくは、ふーんとだけ答えた。
「それで、さ。ちょっと教えてほしいんだけど、この辺にこの人住んでないかな?先に行こうとしたんだけど分からなくてさ。もう表札が出てないとお手上げで」植田コーチは封筒に書かれた名前をぼくとお母さんに見せた。
「あぁ、そのかたならこの裏の家のかたですよ。私が渡してきましょうか?」
「いえいえ、直接渡したいので。ありがとうございます。裏のかたでしたか。じゃあすぐに行っちゃおうかな」植田コーチはそう言うと封筒を抱え直した。
「じゃあコージくん、また来週のテニスでね。では、ありがとうございました。お邪魔しました」植田コーチはまた頭を下げてから歩いて裏へ向かって行った。
「はい、ご丁寧にありがとうございました。今後ともよろしくお願いします」お母さんは挨拶をしながらそれを見送った。ぼくは「じゃーね」とだけ言った。

「植田コーチも色々とやらなきゃいけないくて大変ね」とお母さんは言った。ぼくは「大変そうには見えないけどね、いつもふざけてるし」と言った。「そうなの?」とお母さんは言ったけど、ぼくは答えなかった。
ふざけてるというか、植田コーチはいつも遊んでいるようにぼくには見えていた。テニスをしている時も、イベントの受付をしている時も、配達屋さんになっていた今日だって、ぼくには植田コーチは遊んでいるように見えた。お父さんは、「仕事は大変なんだ」といつも怒ったように言うけど、植田コーチは仕事ではないのかな?ん?植田コーチってあれが仕事なのかな?他に仕事をしてるのかな?
「ねぇお母さん、植田コーチの仕事って何なのかな?」
「そうねぇ。お母さんにもよく分からないわ。でもたぶんずっとクラブハイツリーの為に色々なことをしているんじゃないかしら」
だとするとやっぱりこれが植田コーチの仕事なんだ。仕事って、色々あるんだなとぼくは思った。
家の裏から植田コーチの声が聞こえる。「いちのせさーん!」と何度も何度も呼んでいる。どうやらいないらしい。玄関を開けて中へ向かって叫んだり、裏の庭に向かって叫んだりした後で、郵便受けに封筒を入れようとして断念して、玄関のドアに挟もうとして断念して、腕を組んで玄関をじっと見つめている姿もやはり、ぼくには遊んでいるようにみえた。
「いちのせさん・・・」と小さく呟く植田コーチの声が聞こえてきて、ぼくとお母さんは笑った。やっぱり仕事は少しは大変みたいだ。

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総合型地域スポーツのマネジメントを仕事としています。定期購読マガジンでは、総合型地域スポーツのマネジメントに関して突っ込んだ内容を毎日配信しています。ぜひご覧ください!https://note.com/kenta_manager/m/mf43d909efdb5