「子どもだって有限」子どもの指導や子育てで気を付けたいこと
どうも、上杉健太(@kenta_u2)です。”誰もが、いつまでも、自分に合ったスポーツを続けられる”総合型地域スポーツクラブを広める活動をしています。これまで7年間長野県のクラブでマネジャーやコーチをしてきて、現在は埼玉県富士見市での立ち上げにチャレンジしています。家族には、妻、5歳の息子、2歳の娘がいます。
今日は、『子どもだって有限』というテーマでお話したいと思います。タイトルだけでは分かりにくいと思いますが、子どもの指導や子育てなどで、結構気を付けた方がいいなと思ったことがあるので共有させていただきたいと思います。
子どもの可能性は無限大
「子どもの可能性は無限大」という言葉、よく聞きますよね。よく聞くどころか、私はたぶん言ったことがあります。「君たちの可能性は無限大だ!」って。
この言葉は多くの場合、「子どもはこれから何にでもなれる」という意味で使われていると思います。
これはその通りだと思うんです。だから今日の記事は、それを否定するものではありません。
でも先日、5歳の息子が知育系のドリルをやっているのを見ていて、「子どもの可能性は無限大」という言葉は、扱い方次第では危険な言葉になるのかもしれないなと思ったんです。
どういうことかというと、「子どもの可能性は無限大」は、確かにそうかもしれないが、「子どものパワーと時間は明らかに有限」だということなんです。いや、パワーと時間だけじゃない。興味関心みたいなものも有限ですね。
私がそう思った時のことを少し詳しく説明してみます。
計算と書き順のエピソード
先日、息子が「足し算をやりたい」というので、まだ5歳なので少し早いと思いながらも、やりたいならやればいいかと、買い与えました。
購入したドリルを息子と一緒に機嫌良くやっていたのですが、その時に気が付いたんです。息子が書く平仮名や数字の書き順がめちゃくちゃなことに。
私はすぐに書き順を教えようとしたのですが、そこで私は止まりました。
「ん?ここで書き順を指摘したら、彼のパワーは書き順に向かってしまうかもな」
と思ったんですね。せっかくテンポ良く「2と3、合わせて〜」とかやってるのを止めて、書き順にパワーのベクトルを向かわせていいのか?と思ったんです。
その時です。「子どもだって無限じゃないもんな」と思ったのは。彼らは何にでもなれる可能性がありますが、何にでもなれるわけではありません。
私は書き順のことを指摘するのはやめて、息子が楽しそうにドリルに取り組んでいるのを見守ることにしました。
時間、パワー、興味関心は有限
・・・うーん、伝わりにくいですね(^^;) つまり、計算が得意にも、字がキレイな人にもなれる可能性はありますが、計算が得意で字もキレイな人になれるわけではないというようなことです。
(※いや、なれるだろ!)
・・・医師や力士、宇宙飛行士になれる可能性はありますが、医師であり力士であり宇宙飛行士でもある人間にはなれないということです。
なぜなら子どもの人生に残された時間がいくら多いとは言っても、それは結局は有限のものだからです。パワーや興味関心も同じです。限りのあるものです。何かに力を注げば、何かから力を抜かなくてはならないというわけです。無限ではない。
全部を”頑張る”ということはできます。でも、パワーと時間、興味関心はどこまでいっても有限なので、基本的にはそれは持っている時間やパワーを分散させているということになるのだと思います。
そう考えると、私たち大人(特に親やコーチ)は、「子どもの可能性は無限大」という言葉を、「子どもは何でもできる」と勘違いしてはいけないなと思ったんですね。
つまり、子どもにあれもこれも要求したり、指摘したりしても、それを全部同時にはできないよ、ということですね。
さらに言い換えると、指摘しない方がいいことってあるよね、ということかなと思います。それを単体で見たら指摘した方がいいことであっても!
なので私は、書き順のことは指摘しませんでした。その時の彼のパワーと興味関心は完全に「計算」に向かって進んでいたので、「書き順(文字の形)」に目を向けさせるのは違う、と思ったんですね。
書き順についてはいずれ指摘する時が来るかもしれませんが、少なくともそれは今ではないと判断したんです。
これ、スポーツ指導でもありませんか?例えばテニスでラリーの回数を増やす課題に取り組んでいる時に、ボールスピードを指摘しちゃうとか。その時の子どもはミスをしないことに集中しているわけで、ボールスピードの指摘は野暮。 ←私はよくやってしまいます(^^;)
【野暮】
人情の機微に通じないこと。わからず屋で融通のきかないこと。また、その人やさま。無粋 (ぶすい) 。
~goo国語辞書より~
つい、主題とは違う部分が気になって指摘しちゃうことってあると思うんですよね。自分の子どもだと余計にあるのではないでしょうか?
特に、目の前の子どもに何かしてあげたいと思い過ぎたり、それこそ”指摘”こそがコーチの仕事だと思っている人は、陥りがちな罠かもしれません。野暮な指摘。
そう言う時は、「子どもだって有限」という言葉を思い出すと、野暮な要求や指摘を止められるかもしれません。
「今この指摘をしたら、せっかくのパワーや興味関心をこっちに割かせてしまうことになる。決してパワーや興味関心が大人の都合に合わせてON(追加)されるわけではない。じゃあどっちが優先だ?」
親や指導者は常にこういう思考をし続けることが大事なのかもなと、息子の「計算と書き順」を見て思いました。
可能性は無限大。
でも時間とパワー、興味関心は絶対に有限。
大人も子どもも。
というわけで今回は、『子どもだって有限』というテーマでお話しました。ちなみに私は、子育てを頑張り過ぎて悩む親がこんなにも多いのかと思ったことから、「もう育てなくてよくない?一緒に暮らしてさえいればよくない?」と思うようになり、『ことくらし』(子と暮らし)という考え方をたまに発信しています(笑) 結局は野暮な指摘というのも、頑張り過ぎたり、子どものことを気にし過ぎたりするところから生まれてくるような気もします。親や指導者は、子どものことをじっと見るというよりは、”子どもが見ている方向を一緒に見る”というスタンスがいいなーと思って生きています。今回の話はそこにも通じる話だと思います。
今回もお読みいただきありがとうございました!
ではまた!
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総合型地域スポーツクラブ研究所
総合型地域スポーツクラブのマネジメントをしている著者が、東京から長野県喬木村(人口6000人)へ移住して悪戦苦闘した軌跡や、総合型地域スポ…
総合型地域スポーツのマネジメントを仕事としています。定期購読マガジンでは、総合型地域スポーツのマネジメントに関して突っ込んだ内容を毎日配信しています。ぜひご覧ください!https://note.com/kenta_manager/m/mf43d909efdb5