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【小説】クラマネの日常 第11話「怒らなければ、優しい?」

 僕はひょんなことをきっかけに、小さな村にある総合型地域スポーツクラブのマネジャーをすることになった。
 竹内隼人。それが僕の名前だ。郷田さんという役場職員のかたに強引に誘われて、この仕事をすることになった。仕事には慣れてきたと思う。でもまだまだ、このクラブで働いていると不思議な感覚になることがたくさんある。

 マネジャーと言っても、僕の仕事の半分は指導の仕事だ。クラブの子どもたちは僕のことを、「コーチ」と呼んでいる。「マネジャー」と呼ぶのは、一部の大人の会員だけだ。
 僕が指導をしているのは、主に未就学児と小学生の子どもだ。保育士になる為に短大を出た僕にとって、小さな子ども達と過ごせる仕事ができるのは、とても幸せなことだと思う。僕の思い違いでなければ、クラブの子ども達も僕のことを慕ってくれているように思う。とても有難いことだ。

 ある日。僕が指導をしている小学生のテニスのクラスに、体験の女の子が二人やってきた。
「こんにちは。コーチの竹内といいます」と僕が挨拶をすると、二人は譲り合うように肩を押し合い、やがてそれぞれが「こんにちは」と言った。二人の緊張が手に取るように分かったので、僕は会話をやめて、とにかくコートに入ってしまおうと二人を招き入れた。
「あそこにラケットが置いてあるから、好きなのを使って」と僕は、レンタルラケットがある場所を指さす。すると二人は駆け出して行って、嬉しそうにラケットを手にした。二人は不思議なものを見るようにラケットを見つめている。僕が「そこにボールもあるから、まずは好きに触ってみて」と言うと、二人はそれまでずっと持っていた荷物をコートの隅っこに置いて、ラケットでボールをポンポンと突き始めた。徐々に二人の表情がほぐれていく。
 やがて他のメンバーもやって来た。体験参加の子に気づきながら触れない子もいれば、「ねぇねぇコーチ、あの子たち誰?」とあからさまに興味を示す子もいる。子どもとは実に様々だ。開始時間になり、僕はまず体験参加の二人をみんなに紹介した。
「今日は体験の子が二人います。みんな、色々と教えてあげてください」僕はそう言って、次に二人に自己紹介を求めた。二人は、学校、学年、名前を、本当に小さな声で言って、また来た時のモジモジした感じに戻ってしまった。まぁそんなものだろうなと思う。僕は気にすることなく、いつも通りにウォーミングアップに入った。

 最初のストロークの球出し練習が終わると、みんなで一緒に、散らかったボールを拾った。一人の男子がボールを拾わずに遊んでいるのに気が付いたから、「ボールを拾わないということは君は次の練習はやらないということだな」と僕は言った。するとその子は、「うわー!やめてー!やるやるー!」と言って急いでボールを拾い始める。それを見ていた体験参加の二人がヒソヒソト声を潜めて話していたが、僕は特に気にしなかった。
 ボールを拾い終えると、今度はボレーの練習に入った。ネットの前に2列に並び、それぞれフォアとバックの位置にボールを出す。子どもたちは3球ずつ打って、隣の列に並び直す。さっきの男子が今度は、僕のアドバイスとは全然違った打ち方をして遊んでいる。強引にボールの下に潜り込んでスマッシュを打つようにラケットを振り回す。もちろん、ボールはコートに入らない。ネットにかかるか、コートを大きくオーバーするか、空振りをするかしていた。後ろの子どもたちからは、「ちゃんとやりなよー」とブーイングのような言葉が飛んできていたが、僕は特に何も言わなかった。その時も体験参加の二人は、顔を寄せ合ってヒソヒソと話をしていた。

 やがて練習は休憩時間となった。休憩時間になると、みんな思い思いの過ごし方をする。テニスの練習をする子、鬼ごっこをする子、クラブハウスへ入って行く子。体験の二人はどう過ごしていいか分からないのだろう。何となく僕の周りをウロウロしながら、二人でお喋りをしていた。もう表情はすっかり緩んでいた。すると二人が僕に話しかけてきた。
「ねぇねぇコーチ。どうしてコーチはそんなに優しいの?」
「優しい?そう?何か優しいことしたっけ?」と僕が言うと、「優しいよー。だって怒らないじゃん」と一人が言った。
「怒らないと優しいんだ?」
「そうだよー。だって学校の先生もお母さんも怒ってばっかだもーん」
「私のスイミングのコーチもいつも怒ってるー」
「そうなんだ」と僕は苦笑いをする。「まぁスイミングのコーチはね、仕方ないよ。水泳は命の危険と隣り合わせだから、どうしてもピリピリするんだろうね」
「ふーん・・・」と二人は声を揃えて言う。
「それに、僕だって危ないことをしたら怒るよ」
「えー!嘘だー!どうやってー?」二人はからかう様に言うので、僕は「コラ!」とこぶしを振り上げる振りをして言った。
すると二人は急に冷めたような表情になって、「何それ。全然怖くないし」と言った。僕はふと、短大の頃に付き合っていた彼女との別れのシーンを思い出して悲しい気持ちになる。
 僕は気を取り直して、「そうか、怖くないか」と言って、そういえば最近あまり怒らなくなったなと思った。この仕事を始めたばかりの頃は、話を聞かない子を怒ったり、テキパキと動かない子を怒ったり、言われた通りにやらない子を怒ったりしていた。そんな僕を見たもう一人のクラブマネジャーの中山さんが、「竹内さんは何であんなに子どもに怒ってるの?」と言ったことがあった。僕が、「いやだって、子どもたちが全然言うことを聞かないから」と言うと、「なんで子どもが言うことを聞く必要があるんだ?」と中山さんは言った。僕はその時、はっとしたことを今でも覚えている。そういえば、そうだ、と。子どもは大人の言うことを聞くものだと、なぜか決めつけていた。
「うちのクラブは会員が主役でしょ。それは子どもも一緒。主役は子ども。コーチは脇役だ。なぜ主役が脇役の言うことを聞かなきゃならない」この中山さんの言葉が引っ掛かっていて、僕はだんだんと怒らなくなっていった。子どもたちのやりたいことを最大限尊重しようと努めた。ところが、そんな中山さんが、クラブハウスで賑やかに遊んでいる子どもたちに、「おい!うるさい!静かにしろ!言うことを聞け!」としょっちゅう怒っているものだから、僕は訳が分からなくなる。

 気が付くと、体験の二人が水筒のお茶だか水だかジュースだかを、口にたくさん含んでガラガラとうがいをしている。顔を少し上に向けて、たまにチラチラとこちらの様子を見ている。僕は一体何をしようとしているのだと、不思議なものを見るように見ている。ゴクン。二人はタイミングを合わせたかのように口のものを飲み込むと、またこちらを見る。
「何をしてるんだい?」と僕が聞くと、「怒る?」と言う。
「いや、怒るわけないじゃないか」
 すると二人は顔を見合わせて「ニシシ」と笑い、今度は壁に手を伸ばして何かを掴み、僕にそろりそろりと近づいてきた。
「なに?なに?」僕は何が起きる予感がして、後ずさりしながら言った。
「これも怒らない?」そう言いながら顔に近づけてきた手には、大きな蜘蛛が掴まれていた。言い忘れていたが、僕は蜘蛛が大の苦手だ。僕は「ぎゃっ!」と後ろに飛び退いた。二人はさらに距離を詰めてくる。「やめろ!それは怒る!怒るぞ!」僕がいくら行っても二人は接近をやめない。「本当に怒るぞ!怒る!あー!もう怒る!怒るからやめてくれー!」僕はなりふり構わず駆け出した。「怒った怒ったー!怒って逃げたー!」とゲラゲラ笑う二人の声が後ろから聞こえてきて、僕は本当に怒りそうになる。ただ次の瞬間には、優しいというより、ただ馬鹿にされているだけじゃないのかと、泣きだしそうになっている。

総合型地域スポーツのマネジメントを仕事としています。定期購読マガジンでは、総合型地域スポーツのマネジメントに関して突っ込んだ内容を毎日配信しています。ぜひご覧ください!https://note.com/kenta_manager/m/mf43d909efdb5