クラばな!(仮)第75話「マネジャー、発狂」

~クラブマネジャー 大野の視点~

「今週の週末、どこか旅行でも行かない?」と、今付き合っている女性から電話があったのは昨日の夜のことだった。その時はいつもの通り、「そんな急には休めないよ。俺の仕事は土日に休んでいられないんだから。余暇時間に楽しむスポーツが仕事なんだから」と断った。
しかし寝る直前に届いたLINEを見て俺は急激に焦りを覚えることになる。
「じゃあもうずっと旅行には行けないんだね。分かった。他の人と行きます」

翌日、クラブハイツリーの事務所へ出勤すると、もう一人のマネジャーである植田が既に席について仕事をしていた。
「おはようございます、植田さん。相変わらず早いですね」
「あ、おはようございます。大野さん。朝型なので、私は」植田はパソコン画面を見つめたまま返してきた。
「植田さんはこの仕事楽しいですか?」
「え?」植田が顔を上げて見てきた。「どうしたんですか、急に」
「あ、いや、何となく、給料も安いし、土日も休みじゃないし、よほど楽しくないとできないよなと思って」俺は正直に言う。
「あー、なるほど。それは確かに」植田は笑いながら言った。「まぁサラリーマンの感覚ではやれないかもしれないですね。でも私は楽しいですよ」
「ふーん。そうですか。なんかすみません。変なこと聞いちゃって」
「あ、いえ。なんか悩みがあるなら聞きますけど」
「いえ、いいんです。朝からすみませんでした」
東京からこの仕事をする為に移住してきた”やる気満々男”に聞いたのが間違っていた。俺はもやもやする想いを抱えたまま、パソコンの電源を入れた。

その日の午後。弁当を食べ終えて席につくと、一本の電話が鳴った。
「はい、クラブハイツリー、大野です」俺は電話に出た。
「あぁ、マネジャーさん?私、太極拳をやってる者なんですけどね、昨日行ったんですよ。そしたらね、誰も来ないんですよ。仕方なく私も帰りましたけど、どうなってるんですか?」電話の相手はどうやら太極拳に通っている会員のようだ。
「それはそれは。昨日の太極拳ですね」俺は電話を肩と顔で支えながらパソコンを操作して、クラブのスケジュールページを開いた。
「あぁ、分かりました。昨日は回数調整でお休みでしたね。連絡いっていませんでしたか?」
「連絡なんてもらっていませんよ。そちらからの着信なんてなかったもの」
「あ、いや、これは回数調整なのでだいぶ前から決まっていたお休みです。毎月配っている会報の裏のお休み情報にも載っていますし、ホームページにも載っていますし、ご登録をお願いしているメールへも送られているかと」
「なんですか、それ!そんなの見ていません!普通、電話くれるんじゃないんですか!お休みにするのに電話もくれないなんて、非常識です!」
「お気持ちは分かるんですが・・・」
「何ですか!私が悪いっていうんですか!」
「いえ、悪いなどとはまったく思っていません」
「じゃあ何なんですか!次からはちゃんと電話くれるんですか!」
「・・・・・・」なんで俺はこんな人の対応をしなきゃいけないんだ。彼女には切れられるし、会員からは理不尽な要求をされる。
「なんで自分が努力しないんだ」
「はい?」
「どうして自分から情報をちゃんと取ろうと思わないんですか!事務局はね、休みが決まった時点でさっき言ったように色々な方法で皆さんにお伝えしてるんですよ!それを受け取ろうとしないで、電話しろだと?あんたみたいな人はどうせ電話しても出ないんだろ!知らない番号だとか言って!今時電話なんて出ない人多いんだよ!自分から情報取りに来いよ!こっちは情報出してんだから!」
「な!なんてこと言うんですかあなたは!」俺の怒りが会員の怒りも高めた。
「私が正しいことを言ってるんですよ!少しは自分でも動いてください!」ふと視線が気になって顔を上げると、向かいの席に座るもう一人のマネジャーの植田がじっと見ていた。そして、「ちょっと代わりましょう、大野さん」と言ってきた。
俺はそのまま何も言わずに保留ボタンを押した。
植田は子機で電話を取ると、「あ、もしもし、申し訳ありません。電話を代わらせていただきました。同じくマネジャーの植田と申します」と言いながら、席を立って事務所を出て行った。俺のいないところで話をするのだろう。
俺は冷静になって、電話での対応を激しく後悔した。間違ったことは言っていない。現実的に、前々から決まっている休みを会員一人一人に電話連絡するなど、やっていられないし、そんな連絡を毎回されてもほとんどの人には迷惑だろう。もちろん、急な休みの時は必要に応じて電話での連絡もしている。でもあの会員の要求を飲むことは無理だ。毎回それを全員にするのはできない。ただ、電話であんな言い方をする必要はなかったとなと自分でも思う。はぁ。俺は深いため息をついて机に突っ伏した。周りからどう見られるかなんて気にしていられなかった。力が入らなくなっていた。
やがて植田が電話を終えて戻ってきた。植田の顔には明らかに怒りが滲んでいる。
「大野さん、ちょっと」子機を充電器に戻しながら、俺を呼ぶ。
俺は重い腰を上げて、植田について事務所を出た。
「あの言い方はないんじゃないですか。言ってることは間違っていないと思いますが、あの言い方はない」
「すみません」
「とりあえずこちらの事情も説明して分かってもらえましたが、次お話することがあったら気を付けた方がいいです」
「はい、すみません」
「いつでも正しいことを伝えるのが良いわけではありませんからね。そこのところ」
「分かってますって!俺が悪いんですよ!全部!」俺は大きな声を出してしまったことに自分でも驚いて、その場を駆け出した。事務所には戻らず、外へ出る。そして何も考えずにとにかく走り続けた。もうどうにでもなれ。彼女にも嫌われ、会員に嫌われ、同僚に嫌われた。もうどうでもいい!こんな仕事やってられるか!

結局俺はそのまま家に帰り、眠りについた。そして、朝、激しい後悔とともに目を覚ました。一体俺は何をしてんだ。謝ろう。朝言って、速攻で謝ろう。そう思って朝ご飯を急いで駆け込んだ。
「おはようございます!」出勤すると、いつもの通り植田はすでに仕事をしていた。
「あ!お!おはようございます」植田は少し驚いた様子で挨拶を返してきた。そして、「よかった、回復しましたか」と言った。
「昨日はすみませんでした。俺、どうかしてました。実はプライベートでも色々あって、それで会員さんに嫌な言い方されて、怒りをコントロールできませんでした」
「えぇ、まぁそんな感じかなと思いました。私も反省しましたよ。実は私も会員さんにかなり嫌な言い方をされて、少し大野さんに当たってしまいました。申し訳ありませんでした」
「いや、悪いのは俺です。しかも逃げ出すなんて、子どもみたいなことまで」
「まぁたしかに、あの後ろ姿は不謹慎ながら少し笑えました」
「あ!ひどい!俺なんてほとんど泣いてたのに!」
「ははは。あ、すみません。まぁでも、この仕事やってると色々な人とお話いなきゃいけませんから、時には噛み合わなかったり、敵意を向けられたりすることもありますよね。上手に受け止めて、時には受け流すことも大事だと思います。気楽にやりましょ」
「はい。そうですね」
「気晴らしも必要なんじゃないですか?今度の週末にでも彼女と旅行でも行ってきては?事務のシフトなら何とかしておきますから」
思いもよらぬ植田の言葉に俺は驚きを隠せない。
「いいんですか!?」
大きな恥はかいたが、もしかしたら彼女の機嫌は戻せるかもしれない。逃げるは恥だが役に立つってこういうことだったのか。俺は意味不明なことを考えながら、別の頭ではどこへ旅行へ行こうかと考え始めていた。

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総合型地域スポーツのマネジメントを仕事としています。定期購読マガジンでは、総合型地域スポーツのマネジメントに関して突っ込んだ内容を毎日配信しています。ぜひご覧ください!https://note.com/kenta_manager/m/mf43d909efdb5