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【小説】クラマネの日常 第2話「断れない」

 僕はひょんなことをきっかけに、小さな村にある総合型地域スポーツクラブのマネジャーをすることになった。
 竹内隼人。それが僕の名前だ。郷田さんという役場職員のかたに強引に誘われて、この仕事をすることになった。仕事には慣れてきたと思う。でもまだまだ初めて遭遇する出来事がクラブではたくさん起きる。

 ある日。僕はいつも通りにクラブハウスの中の事務所で仕事をしていた。たぶんこの時は、広報誌をつくっていたのだと思う。
 外は雨が降っていて、少し肌寒いような季節だった。と思う。日中のクラブハウスには、クラブの活動でもない限り、ほとんど人は来ない。だから僕はすっかり油断していた。
 「おーい!何ボーっとしてんだ!お客さんだぞ!」突然の大きな声に驚いて、僕は声の方を見た。窓口のカウンターに一人の大柄な男が立っている。乱暴に伸びた髪はぐしゃぐしゃに散らかっていて、来ているスーツはクタクタで少し陽にも焼けているように見えた。雨に濡れたのだろう、肩のあたりを払うようにしている。郷田さんだ。千賀村役場に勤めている行政マン。僕をこの仕事に強引に就かせた張本人だ。
「郷田さん。すみません、作業に集中しちゃってました。どうなさったんですか?」僕は郷田さんの隣に立っているもう一人の男性に気づきながらも、まずは郷田さんに挨拶をする。
「こちら、健康ハウス株式会社の田中さん。役場に営業に来たんだけどさ、こっちの方がいいと思って、連れてきた」郷田さんが隣の男性を紹介すると、その田中さんは名刺を差し出しながら「健康ハウスの田中と申します」と挨拶をしてきた。
 僕も「あ、千賀村の総合型地域スポーツクラブのマネジャーをやっています、竹内といいます」と言いながら名刺をもらう。そしてすぐにデスクから自分の名刺を取り出して渡した。
「率直に言うとな、置いてほしいものがあるんだよな?」と郷田さんは、隣の田中さんの背中をバンと叩いて言った。
「はい。ぜひこちらのクラブさんに置いていただきたい商品があるんです」田中さんはほとんど郷田さんと同じセリフを言った。何だか僕は、これだけで郷田さんと田中さんの関係性が見えたような気がした。いや、田中さんだけじゃない。郷田さんと関わると、大抵の人がそういうポジションをとることになる。ジャイアントスネ夫のスネ夫のポジション。僕もそうだ。郷田さんの言うことには逆らえない。郷田さんはそういうオーラを持っているんだ。
「はぁ、どういったものでしょう?」僕は興味を持つ振りをする。形式的に。
「こちらなんですがね」田中さんは持っていたパンフレットをカウンターの上で開いて見せてくる。
「これは、この上で立って、前からと横からの二枚、写真に撮るだけで、その人の姿勢や問題点が分かるものなんです。そして、改善する為の運動プログラムの提案まで出せます。こういったクラブに置くのにはピッタリだと思ってご提案させていただいています」
「へー!凄いですね!」僕は大げさに驚いてみせた。実際に驚いたし、凄いとも思ったけど、その機械をどうしたいかという、何か具体的なアイデアがすぐに浮かんだわけではなかった。僕はそういうアイデアマンではない。基本的には、人に言われたことをせっせと真面目にやるのが取り得の、普通の男だ。
「どうですかね?置いていただけないでしょうか?」田中さんが伺いを立ててくる。郷田さんはすでにそのあたりをフラフラと暇をつぶすように歩いている。
「これは、買う形なのでしょうか?それともレンタルとかですか?」
「あ、どちらも大丈夫です。こちらがお値段となってます」田中さんはパンフレットの隅っこに小さく書かれた値段表示を指した。
 僕は、商品を見た時の驚きとまったく比べ物にならないくらいの驚きを、今度は上手に自分の中に押し隠した。高い。よく分からないけど、たぶんうちのクラブが手を出せるようなものではない。予算はもう一人のマネジャーの中山さんが握ってるから、何とも言えないのだけど、たぶん無理じゃないかと僕は思った。
「ちょっと僕では判断できないのですが」と言うと、田中さんは「では、お試しで1週間ほど置いてみませんか?」と新しい提案をしてきた。もう僕は作業途中だった広報誌のことが頭に浮かんでいた。できれば今日の午前中にやってしまいたいなとか、そういうことを考えていた。
「いやー、でも、ちょっと僕では判断できないんで」とまた返したのだけど、田中さんは「そこを何とかお考えいただけないでしょうか」と粘ってきた。それでも僕が「いやー」と渋っていると、フラフラしていた郷田さんが戻って来て、「竹内くん、まぁ置いてあげるくらいいいんじゃないか?」と言った。郷田さんの表情や態度からは、「置いてあげるの一択しかないぞ」というメッセージが発信されているようで、僕は変な汗が出てきた。
「そのお試しは、おいくらなんでしょう?」僕が聞くと、「そこは無料でやらせていただきます」と田中さんが言った。
「無料ですか」僕は考えた。無料なら特に問題はないんじゃないかと思った。郷田さんも、「無料なら迷うことはないだろ。こんないい機械を無料で使わせてくれるんだぞ」とダメ押しをしてくる。
 中山さんが何ていうか、僕には分からなかった。いい判断をしたと褒めてくれる可能性もあったし、何を無駄なことをしてるんだと怒られる可能性もあった。僕がずっと悩んでいると、郷田さんが「じゃあこうしろ。この件については全部竹内君がやる。中山さんには迷惑をかけない。無料なんだからクラブにも損はない。いいだろ!?」と言った。
「分かりました、じゃあ大丈夫だと思います。置いちゃってください」と僕が折れたように言うと、言い終わるか言い終わらないかのタイミングで「よし、じゃあ田中ちゃん、持ってきちゃいな」と郷田さんが言って、田中さんは「はい!」と外で飛び出していった。五分後、田中さんは黒いカバーに覆われた大きな物体を、押して戻ってきた。どうやらタイヤが下についているらしい。
「どこに置いていいですかね?」と言われてはじめて、僕は「しまった」と思った。置く場所を考えていなかった。いくら無料とはいえ、余計なものにスペースを使うとなると、これは誰にも迷惑がかからないとは言い切れなくなるのではないか。僕が言葉に詰まっていると、また郷田さんが「あの辺でいいだろ」と隅っこの空いているスペースを指さす。すると田中さんは僕の了解を得る前に「はい!」と言って、黒い物体をころころと転がして行ってしまった。もう僕にできることは何もなかった。田中さんは黒いカバーを外し、機械を露わにし、手際よくセッティングしていった。僕はただただ、それをぼーっと眺めていた。もう頭の中に広報誌のことすらなくなっていた。
「セッティング終わりました。ぜひクラブの皆さんで使ってみて、ご検討ください。使い方などのマニュアルも置いておきましたので。分からないことがあればいつでもご連絡ください」と言って、そそくさと立ち去って行った。郷田さんも、「忙しいところありがとな。せっかくだから使ってみろよ」と言ってクラブハウスを出て行こうとした。
 二人が出口の前で傘を開こうと立ち止まっている時に、「じゃあ役場の皆さんはこちらで使ってみてください」と田中さんが郷田さんに言う声が聞こえて、僕は中山さんに怒られる僕の姿を鮮明に想像した。

総合型地域スポーツのマネジメントを仕事としています。定期購読マガジンでは、総合型地域スポーツのマネジメントに関して突っ込んだ内容を毎日配信しています。ぜひご覧ください!https://note.com/kenta_manager/m/mf43d909efdb5