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【小説】クラマネの日常 第3話「キュウリ」

 僕はひょんなことをきっかけに、小さな村にある総合型地域スポーツクラブのマネジャーをすることになった。
 竹内隼人。それが僕の名前だ。郷田さんという役場職員のかたに強引に誘われて、この仕事をすることになった。仕事には慣れてきたと思う。でもまだまだどうしたらいいか分からなくなる出来事が、クラブではたくさん起きる。

 ある日。僕はいつも通りにクラブハウスの中の事務所で、事務作業をしていた。事務所を開けた午前10時からまだ30分も経っていないくらいの時だった。それまで誰もいなかったクラブハウスに、パラパラと人が来はじめた。もちろん僕は、この人たちが誰かを知っている。これから始まる健康体操チームのおばちゃん達だ。チームと言うのは、うちのクラブの活動単位の呼び方だ。世間では「教室」と呼ばれることが多いのだが、「そんな呼び方をしてても面白くない」と、もう一人のクラブマネジャーの中山さんが勝手に変えてしまった。
 クラブハウスにはどんどんとおばちゃんが入ってくる。おばちゃんと言っても、皆さんの年齢は60代から70代。見方によってはお婆ちゃんだし、皆さん実際にもう大きなお孫さんがいて、中にはひ孫すらいる正真正銘のおばあちゃんなのだが、おばあちゃんとは呼べない見えない何かがある。
「おはようございます」入ってきた人に順番に挨拶をしていくと、皆さん明るい声で「おはようございます」と返してくれる。上品な人が多い。お金と時間に余裕があるのだろうなと、僕はいつもうらやましく思ってしまう。きっと僕は余裕のある老後は送れないだろうなと、急にネガティブになることすらある。
 ほとんどの人が入口から会場のスタジオまで一直線に進んでいく中、一人のおばちゃんが事務所のカウンターに向かってきた。
「おはようございます」
「おはようございます」僕も挨拶を返す。
「あの、竹内さんってお独りでしたっけ?」突然の質問に少し意図を考えてしまったが、どうせ考えても分からないので、「はい、独身ですよ」とそのまま答える。
「じゃあ迷惑かしら・・・キュウリがたくさん取れてね、よかったらもらって欲しいの」おばちゃんはそういうとビニール袋に入った大量のキュウリをカウンターにドサリと乗せて、グイっとこちらへ寄せてきた。
「迷惑だなんてそんな。独身ですけど、今は両親と一緒に住んでるので、きっと両親が喜ぶと思います。キュウリは好きです」と言って、僕は大量のキュウリを喜んで受け取った。
「あらそう!じゃあよかったわ。まだあるから欲しかったら言ってね」そう言うとおばあちゃんはスタジオへ向かって歩き出した。僕はカウンターの上におかれたキュウリのビニール袋を持ち上げて、荷物を入れているロッカーに運び入れようとした。あまりの重さにビニールの持ちて部分がどんどん細く硬くなっていき、ロッカーの寸前でちぎれた。僕は仕方なく、事務所にあった適当な袋に入れなおしてしまった。入れなおして思ったのは、さすがに多すぎるかなということだった。それに母はそれほど料理が得意な人ではなかった。

 午前は、健康体操チームが活動を終えて帰ってしまうと、他に人はほとんど来なかった。僕は淡々と、会員への連絡を済ませたり、コーチの指導料の計算などをしていた。
 午後に入ると今度は、テニスのチームの人たちが集まりだした。クラブハウスに併設された屋根付きのコートは、スペースこそ狭いが、周りがネットで囲まれていて、「ボールを拾いに行く手間が省けていい」と評判だ。このチームは平日の日中に時間のある人たち ―定年退職をした人や主婦― が集まっている。
 テニスの人たちは、用事がないとクラブハウスの中には入らず、直接コートへ行ってしまうから、僕はガラス越しに目の合った人だけに会釈をする。何人かの人と目が合う。会釈を交わした中に、一人のおじいちゃんがいた。おじいちゃんは僕を見ると、「あっ」というような表情をしてこちらへ向かってきた。僕は少し嫌な予感がした。手に何かが入っているビニール袋を持っているように見えたからだ。ビニール袋は中に入っているものでいびつな形をしているように見えた。おじいちゃんが自動ドアを抜けて入ってくると、予感は確信に変わった。
「おー、竹内君。君は独り者だったかね?どうせ野菜食べてないだろ。ほれ、これ、キュウリ。食べな。遠慮しなくていいから」そう一方的に言うと、ビニール袋をカウンターに置いて、すぐにコートへ戻っていった。ビニール袋の中を見ると、そこには三本のキュウリが入っていた。もらっておいてなんだけど、「またキュウリか」と正直思ったが、すぐに、「三本でよかった」とも思った。

 コートのテニスチームの人たちは、2時間ほどプレーした後、特にクラブハウスで談笑するでもなく、帰っていった。いくらクラブハウスがあっても、ほとんどの人は目的だけ果たしたら帰っていくものだ。たぶん僕だってそうする。クラブハウスは、たまに打ち合わせしたり、休憩したり、そういう為にある。最初は「どうしてみんなもっと使わないのだろう」と思ったものだが、今では「使いたい時に使えることが大切」と思っている。そこに強制力が働いてはいけない。そう中山さんが言っていた。
 午後3時半になると、事務のパートさんが出勤してくるのが、ガラス越しに見えた。車を駐車場にとめて、歩いてきている。天然なのかよく分からないパーマのかかった髪に、なぜかいつもエプロンをしている気のいいおばちゃんだ。年は確か僕より25歳くらい上だったから、もしかしたら母と知り合いなのかもしれない。彼女は僕のことを子どもの頃から知っていて、頭が上がらない。僕は彼女のことをこれまで知らなかったのだけど。
「お疲れさまー、竹内君!」と、おばちゃんはまだクラブハウスの入り口の自動ドアが開ききらないようなタイミングで叫んでいる。その直後に「ガン」と自動ドアに何かが強くぶつかる音がしたので、きっと開ききらないドアを強引に突破しようとしてぶつかったのだと想像する。僕は少し心配になる。自動ドアが壊れていないか。僕はパソコンを見て作業をしていたのでまだおばちゃんの姿は確認していない。足音が建物の中に入り、職員が出入りをする事務所の入口へ向かうのが分かる。その時僕は、妙に嫌な気分になる音を聞く。カサ、カサと、何かが触れ合うような音だった。事務所のドアが開き、おばちゃんが姿を見せる。おばちゃんはビニールの袋を顔の高さに掲げていて、満面の笑みを浮かべている。僕は思わず顔をそむける。
「竹内君、キュウリ、いる?」

総合型地域スポーツのマネジメントを仕事としています。定期購読マガジンでは、総合型地域スポーツのマネジメントに関して突っ込んだ内容を毎日配信しています。ぜひご覧ください!https://note.com/kenta_manager/m/mf43d909efdb5