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【小説】クラマネの日常 第12話「あんたの思い通りにはならない!」

 僕はひょんなことをきっかけに、千賀村という小さな村にある総合型地域スポーツクラブのマネジャーをすることになった。
 竹内隼人。それが僕の名前だ。郷田さんという役場職員のかたに強引に誘われて、この仕事をすることになった。仕事には慣れてきたと思う。でも、このクラブで働いているとたまにグサッとする出来事に出会う。

 あれはまだ僕がクラブマネジャーとして働き始めて、すぐの頃だったと思う。1年目の僕は、ぼんやりと、特に仕事らしい仕事もしないで過ごした。大体を事務所の席に座って、パソコンの画面を眺めていた。そうしたら仕事をしているように見えるから。2年目の4月に地域おこし協力隊というやつで、東京から中山さんという人が来た。短大を出てすぐにこの仕事をすることになった僕とは違って、東京の有名大学を出て、有名な商社だか証券会社だが、僕には何をしているか想像もできないけど”名前だけは知っている有名企業”で働いていたという、凄い経歴の持ち主だ。実は中山さんにはその前にクラブのトラブルを解決してもらったことがあり、僕は中山さんには頭が上がらなかった。
 実は今のクラブのメインの活動となっているテニス部門は、この中山さんが作った。「竹内さん、テニスできますか?」と言われた時は、正直驚いた。テニスなんてほとんどやったことがない僕に、「小学生にテニスを教えろ」と言ったのだから。最初は固辞した僕だったけど、別に中山さんの熱量に押されたわけでもないのだけど、何だかんだで言いくるめられて、今でもテニスのコーチをしているという始末だ。まぁ僕も楽しくやれているから、中山さんに感謝の気持ちがないわけでもない。
 そんな風にテニスのコーチもやることになったクラブの2年目。小学生を対象としたテニス教室を中山さんと二人でやっていた時、一人の女の子が入会してきた。珍しく、体験参加をせずにいきなり入会をしてきた子だった。5年生だったと思う。スラっとした子で、長い黒髪は真っすぐに地面に向かって伸びて艶があり、運動も得意なように見えた。実際、どんなに運動が得意な子でも、最初はほとんどまともにラケットにボールが当たることはないのに、その子は最初から相手のコートにボールを返すことができていた。名前をエリカといった。
 僕と中山さんは、その子を見た時に思わず顔を見合わせた。中山さんがその時に何を思って僕を見たのかは、正確には分からない。でも、僕と似たような思いだったのではないだろうかと、僕は思っている。この子は凄い子だ。この子はクラブの中心になる子だ。そのようなことを、僕は思った。
 思っただけでなく、僕は実際にエリカにそのようなことを言った。僕の球出しを相手コートに返せた時、アウトだけど鋭い球を打った時、僕はそのたびにエリカに「凄い凄い」と言った。「すぐにみんなに追いつくぞ」と言った。「最初からこんなに出来る子を見たことがない!」と言った。周りの子たちも、「凄い子が入ってきた」と思ったのだろう。他の子を見る目とは違った目でエリカのことを見ていた。
 エリカはどんどん上達していった。長い子ではその時、テニスを始めて半年くらい経っていたと思うが、エリカは1か月くらいで誰よりも上手になるくらいにまで上達した。
 そんなある日の練習。天気が少し悪く、たまにポツリポツリと雨が落ちてきていた。雨が降ってくると、ほとんどの子が最初は嫌がるが、だんだん濡れてきたりすると逆にそれを面白がってきたりするものだと、僕は思っていた。だから僕は、多少の雨が降っても練習を続け、段々と雨が強くなってきても練習を続け、いよいよザーザー降りになっても練習を続けた。子どもたちではなく、僕自身がハイになっていたのだと今では思う。
 やがて指導にも熱が帯びるようになっていた。少し厳しい球を出しては、「ほらほら!頑張れば届いたよ!」
「もっとスイングスピード上げて!」
 普段は言わないようなことまで言っていたと思う。そんな中でも、エリカは黙々と練習をしていた。僕はエリカにも、「エリカならもっと強く打てるよ!」「思いきってスイングして!」「エリカなら取れる!」そんなことを言っていた。
 球出し練習でエリカの番になった時、エリカは僕が出した球を追わなかった。それでも僕は、エリカの様子にちゃんと気づいていなかった。
「エリカ!なぜ追わない!やる気がないならコートに入るな!」なぜ僕はそんなことを言ったのか、今ではもう分からない。雨に濡れたせいなのか、エリカへの期待のせいなのか、とにかく僕はエリカに”言い過ぎた”。その後に僕に言ったエリカの言葉を僕は今でも忘れられないでいる。
エリカは、下を向いた状態でコートに突っ立ったまま、「私はあんたの思い通りにはならない!」と避けんだ。空気が切り裂かれるような張り詰めた声だった。普段無口なエリカの突然の叫びに、僕も周りの子も、中山さんも、みんなが止まった。
「私は雨の中でテニスなんかやりたくいないし、別にそんなに上手になりたいわけでもない!この中で一番になりたいわけでもない!私には水泳が一番なんだから、テニスはそこそこでいいのよ!あんたの理想を私に押し付けないで!」
 エリカはそう言うと、屋根のあるベンチへと歩いていって、タオルで顔を覆って座った。僕がエリカの方へ歩いていこうとすると、隣のコートで球出しをしていた中山さんが駆け寄って来て、「いい」と言って片手で僕を制した。中山さんはそのままエリカのいるベンチに駆け寄り、一言二言、言葉をかけたように見えた。エリカは小さく頷いたように見えたが、二人がどんなやり取りをしていたのかは分からなかった。その中身を聞くのも怖くて、今でも僕は二人がその時にどんな会話をしたのかを知らない。
 結局その日、僕はエリカと話をすることはなかった。終わりの挨拶の後に、「今日はごめんな」と声を掛けたが、エリカは僕の方を一切見ることなく、不機嫌な顔のまま、コートを出て行った。
 エリカのお母さんから退会の申し出があったのは、次の日だった。
「エリカなんですけどね、今月いっぱいで退会させてください」と母親は電話で言った。
「そうですか。昨日のことですよね。エリカさんを傷つけるようなことを言ってしまって、申し訳ありませんでした」僕はどんなことを言われても仕方ない覚悟で母親と話していた。
「ああ、いえいえ。エリカから聞きました。せっかく熱心に指導していただいたのに、こちらこそ申し訳ありません」とエリカの母親は言った。その声には怒りはこもっていなかった。
「いえ、私の行き過ぎた声かけのせいです。もうあのような指導はしませんので、また来ませんか?」僕は最後の望みをかけて言った。しかし母親から出てきた答えは変わらなかった。
「いえ、一度やめさせようと思います。実はエリカは小さいころからずっと水泳を頑張ってきてて、最近ちょっと水泳が嫌になることがあって、それで気晴らしになればと思ってテニスをやらせてみたんです。本人もそれなりに楽しくやっていました。でも、やっぱりちょっと生活リズムとか、体力的に厳しかったみたいで、それで本人もイライラしちゃって。ちょっと水泳のペースも落とそうかと思っているんですよ」エリカの母親は丁寧に説明をしてくれた。僕は、「そうでしたか」と言って、退会の申し出を受け入れた。「またテニスがしたくなったらぜひ来てください」と言ったが、もうエリカが来ることはないだろうということは、分かっていた。

 その電話の後で、中山さんと話をした。
「エリカ、やめるって?」と中山さんは言った。
「はい。残念ながら。すみません、僕のせいで」
「いや、仕方ないと思います。確かに竹内さんのコミュニケーションの取り方は、もっとやりようがあったかもしれない。でも、難しい問題だったと思います」と中山さんは珍しく優しい言葉を言った。
「今後はこのようなことがないように気を付けます」
「そうですね、それしかありませんね。これからも、ああいう子は来ると思います。こちらが期待したくなっちゃう子。でも、こちらの期待と、子ども自身のなりたい姿は別ですからね。それを我々は肝に銘じておかなければいけませんね」中山さんの言葉は、僕にすっとしみ込んできた。
「はい、そうですね」と僕が言うと、中山さんは、もうこの話は終わりだと言わんばかりに一心不乱にパソコンのキーボードを打ち始めていた。僕が、「そんなに一生懸命、何を作ってるんですか?」と言うと、「対策ですよ、対策」と中山さんは言った。
「私が持っているクラスにね、全然私のいうことを聞かない子どもがいるんですよ。何とか私の言うことを聞かせてやろうと思ってね、作戦を練ってるんですよ」
 僕は、先ほどしみ込んでいった中山さん言葉を吐き出したい気持ちでいっぱいになり、お腹をドンと拳で叩いた。中山さんは言った。
「そんなに自分を責めないで」

総合型地域スポーツのマネジメントを仕事としています。定期購読マガジンでは、総合型地域スポーツのマネジメントに関して突っ込んだ内容を毎日配信しています。ぜひご覧ください!https://note.com/kenta_manager/m/mf43d909efdb5