【ここが変⁉】とある宗教2世の特殊すぎる幼少期
前回の記事はこちら↓
お元気ですか?
ケンタです。
いきなりですが、集中したいときによく聴くものがありまして。
川のせせらぎを2時間ひたすら聞き続けられます。
集中力の散漫な私、
歌詞がついていたり、メロディの強すぎる音楽だとどうしても集中しきれず、
ワイヤレスイヤホンにノイズキャンセリングをかけて、ひたすら水の流れる音を聞く…
というところに落ち着きました(笑)
ヒーリング効果、集中力アップ。抜群です。
お試しあれ。
川のせせらぎみたいな自然音、大好きなんですが、
それは小さい頃、公園でボールを蹴ったり、川遊びをした楽しい記憶がよみがえるからかな?
なんて思ったり。
ケンタ少年、小さい頃は家族、親戚と年に1回の川遊びが恒例で、いつも楽しみにしていました。
私にも、そりゃもう、かわいいかわいい少年時代があったわけです。
やっぱり、ちょっとばかり特殊で、それのために大きくなって大苦労…なんてことも当然ありましたが。
エホバ2世って、小さい頃なにしてるの?
どんなところがほかの子と違うの?
今回も、特にオチのない話ではありますが、ちょっとした異世界気分を味わえるんじゃないかと思います。
そして、2世のあなた、ぜひどこかでお会いしたときに、ハイボールでも飲みながら、あるある話で盛り上がりましょうね。
エホバ2世の幼少期
教団の活動がぜったい優先!
成長とともにつくりあげられる価値観の99%は、エホバの教えから成り立っています。
神さまの言うとおりに、教団の活動をしている時がいちばん幸せ!
…と思って、
いや、むりやりそう思うようにしていましたね…
①集会
地区ごとに50名~100名ほどのグループ(会衆)に分けられ、週に2回の集会を行います。
私が小さい頃は3回ありました。
小さい子も含め、信者は、この集会が生活リズムの中心になっています。
そして優先順位において、すべての物ごとの上に立ちます。
仕事よりも、家事よりも、学校よりも…
集会優先!!!!!
私が小さい頃は、
水曜日19時~ 1時間
木曜日19時~ 2時間
日曜日14時~ 2時間
1歳、2歳のころから、白シャツにネクタイをしめていました。
②奉仕(布教活動)
もうひとつの最優先事項が、奉仕とよばれる布教活動です。
小さい頃は、土曜日の10時~が定番。
みんなが公園でブランコに乗っているころ、
おうちでテレビを見ているころ、
DSで通信対戦しているころ、
私はうらめしそうな顔をしながら、大人たちに手を引かれ、
見知らぬお宅のインターフォンを押し続けていました。
今でも、
一軒家の玄関に咲くパンジーを見つけると、小さい頃の記憶がフラッシュバックしたり、
インターフォンの形状を見ると、だいたいどんな音が鳴るかが分かったりします。
③3歳にして課せられていた“ノルマ”
当時両親は、宗教教育にとても熱心で、1日ごとに課題が課せられていました。
基本的には、聖書や教団の教育用書籍を読んだり、そのなかの課題をこなしたりすること。
もしくは、集会で取り上げられるテキストの予習をすること。
細かい段落ごとに質問が用意されているので、答えが書かれているところに下線を引く…
という作業ですね。
そんな“ノルマ”が、1日に多いと5つくらいあった記憶があります。
この英才教育のおかげで、教団の教えには、小さい頃からずいぶん詳しくなりました。
プチエリートへの道をかけあがっていくわけです。
(いまとなれば、その成長と脳内キャパを、別の有用なことにつかいたかった…泣)
④幼稚園、保育園には行けず
はい。じつは、どっちにも通っていません。
小さいころ聞かされた理由としては、
「漢字や算数は、うちでも教えてあげられる」
「ケンタには、集会があるから。保育園よりもずっといろんな、よいことを教われる場所だから」
というものでした。
もしかしたら、経済的な理由もあったのかな? なんて今は思いますが。
エホバの証人は、外界との接触を極端に避けます。
世の中の教育は、悪い影響がある、と両親は本気で考えていたのでしょう。
⑤“ふつうの”友だちができない
そんな感じですから、公園でたまたま一緒に遊ぶような子はいても、“友だち”と呼べるような存在がいませんでした。
なので、小学校入学のときは、全員はじめまして。
自分の考え方、性格にも問題がたくさんあったのですが…(笑)
コミュニケーションにはすごく苦戦した、苦い思い出があります。
どんなリトル・ケンタに成長してしまったか
・ぜんぶ言う通り。まじめで優等生
生活のあらゆる面でこまかく指示を受ける。
そして、それをすこしでも破ると厳しくしかられる。
神様を悲しませると、ハルマゲドンで滅ぼされる。
そんな条件付きの、脅しの要素も含まれた教育を受けると、自己主張のない、おとなしい、大人の顔色をうかがう少年が爆誕します。
・自分の考えを持たない。答えを探そうとする
すこしかぶりますが、「正解」「正しいこと」を自動的に受け取るよう教え続けられると、自分の頭で考えられなくなります。
傀儡です。あやつり人形です。
“集会”でも、自由な考えを発表したりする機会は一切なし。
書かれている「答え」を読み上げる、答え合わせが延々とおこなわれます。
“予習”も、答え探しをして線を引くだけ。
そんなbotみたいな少年ですから、読書感想文や自由作文は、ちいさいころすごく苦労しました。
今、思うこと
大人になって、物事は白か黒かではない。
その間には無限の色が広がっている。
自分の意志で、その色を探して、選び取っていくことが大事。
ということを強く意識するようになりました。
…おっと、ちょっとミスチルが入りました(笑) 大好きなもので。
なので、どんどん新しいことにチャレンジして、いろんな人に出会って、いいこともそうでないことも、たくさん経験していきたいなって思っています。
次回は、それの真逆…(笑)
エホバの証人はとにかく禁止事項が多い。
私が体験した禁止事項を、すこしまとめてみようかなとおもいます。
今回はこのへんで。
次のnoteでお会いしましょう。
それではまた。